陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

電気じかけのキャンドル

2009-06-21 | 自然・暮らし・天候・行事


本日は、夏至。一年でいちばん太陽が長い日。
そんなわけで午後六時を過ぎても、陽あたりのいいこの部屋ではルームライトのお世話にならずに済んでしまったり。

100万人のキャンドルナイトの執行時間が近いので、それにあわせた記事を。



乏しい室内灯の夜、キャンドルは幻想的にみえます。
以前、ルームライトの蛍光灯が切れて不自由していることをネタにしたら(拙稿「月行燈」参照)、アンジェweb shop様からうれしい贈り物をいただきました。ありがとうございます。

さて、この中国製のLEDキャンドルlumino、いったいどんな輝きなのか。
せっかちな性分で説明書を読むのももどかしく勘をたよりに組み立ててみたものの、ライトは点きません。皆さんも買ったばかりの電飾物やおもちゃが動かなかったことはありませんか。注意していただきたいのは、本体の故障を疑うより先に、電池切れを疑うことです。輸入製品の場合、附属の電池がすでに消耗していることがよくあるからです。
なお、私のが点かなかったのは、どうやら+と-を入れ間違えていた様子。故障を疑うのなんのという以前の問題でした。

単体で眺めれば、どうも安っぽいクリスマスツリーのイルミネーションと変わりないライト。しかし、ガラスのシェードをかぶせますと、ほんものの炎のように、ゆらゆらと揺らめいているのです。ちかちかと点滅するライトが、乳白色のガラスを透かしてみますと、伸び縮みする灯心に。焔(ほむら)をどう演出するかをよく考え抜いたアイデア商品ですね。すばらしい。煤を出すこともないのに、パチパチと言って闇を焦がす炎のつぶやきが聞こえてくるようでした。

今の部屋は南に大きな出窓がありまして夜には街灯の灯りが射し込みます。したがって、夜ながく起きている時は、スタンドライトと併用したり、テレビをつけたりしてやりくりしている始末。ほどよく暗い室内って、けっこう情緒があっていいものですね。暗がりが増えると、狭い室内でも奥行きがでるように感じられるのです。

現代の住宅は部屋ごとに電燈が配備され、明かりが隅々まで行き届いています。街灯だってそうです。子どもの時分、闇はもっと深いものでした。だからお化けだってほんとうにいるのだって信じられたのです。夜が恐いから、子どもは早く寝られたのです。

ちょっと控えめなくらいの蝋燭の火がかえって貴重で神聖なものに思いなされるのです。


【〇八年十一月十一日記事を加筆修正】


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