陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

月行燈

2008-10-22 | 自然・暮らし・天候・行事


部屋の灯りを夜中にはたらかせすぎたせいか、パチパチ瞬き。
灯りは休みたくとも、私は目が冴えてしかたがありません。

それでも追い立てるようにライトが喚くので、私は仕方なく外へ出ました。なぜかといいますに、こんな深夜では、せっかちな彼女をいさめるうまい手だてがありません。少ない蓄えで替えのライトはおいていなかったのですから。いったい蝋燭の炎ですら終わりはあんなに慎ましく情緒的であるのに、人工照明はどうしてこうも人情味がなくて潔くないのでしょうか。困ったものですね。困るのは近くでおおきな溜息をついても、いつまでも消えてくれないことです。部屋のライトは人間の悲しさを知りません。

午前二時の街はすっかりと秋の闇に覆われて、数日前まで喉を転がしていた鈴虫の声も聞かなくなりました。
ほどなく朝の喧噪が静かな路地をおびやかす。夜でも車の往来のあるおおきな国道から一歩はいった、その路地は旧家が軒先をつらねています。私の大好きな昭和前期の面影を残した町並み、夕暮れ時になるとおふくろの味の匂いが、明かりのついた台所の窓から、涼しい夕風にのって流れてくるのです。

けれど静かな深い夜には、どんな生活の足音もなくて。
ただ私の眼前にあるのは、夜空にうかぶ月だけでした。

きょうの月は、仁王の瞳のように、三白眼のかたちをして睨んでいました。一週間前はあんなに、まんまるな銀月で、数日前は猫の目のようにやわらかく膨らんでいた月は、たしかに怒っていました。
私は道路に寝そべって、その怒りの光りを浴びていました。ひんやりと冷えた路面が背肌を凍らせるほどであっても。
誰にも遮られることなく、こんなに無駄に思考についやした夜もあったのだと、あとから笑って過ごせるように。

やがて冬が来て、夜が重くなる。その夜の重たさに、雪がかがやき、妍を競う住人の電飾が街を飾っても、私はなにが私を照らすのかを忘れはしないでしょう。初夏の蛍はあてにならない。カーライトは光りの外がわへはじいた闇を深めてしまう。お酒では眠ってしまう。酔わせるのは月の光りだけなのです。

怠け者には、静かな怒りの光りがちょうどいいのです。どうして、人類はコンマ数秒で明滅する光りを発明してしまったのでしょう。空を百八十度まわるくらいの時間をかけて点いていたっていいじゃないですか。星だって何億年も輝いているのに。

秋の夜長に月の明かりに触れて、思考する時間を私はたいせつにします。おかしな思想は秋に実りやすいのです。夏の末から「マトモ」の殻が壊れていたのでしょう。




(2008年10月22日)




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