陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

差別発言者の著作や動画は見るだけ時間の無駄

2021-08-17 | 医療・健康・食品衛生・福祉


※この記事は過激な発言が含まれていますので、ご注意ください。


お盆前、全国とくに人が密集している都心部を中心に、依然、新型コロナウイルス感染者が増え続けています。医療崩壊も叫ばれている。豪雨で土砂災害も警戒されていて、避難民のストレスも尽きない。

こういうときこそ、有識者は庶民の不安を煽らない、ただし必要最低限の情報は提示するべきなのに。またぞろ、ネットをある失言者が賑わいしているとの報が。世情が不安定なときにデマゴーグが流行るのは歴史の常ではあるものの。

8月某日、メンタリストを自称する某若手タレント男性が、「ホームレスや生活保護受給者はいらない」「猫の保護に税金を使った方がまし」などとユーチューブで発言。その後、自身の意見の多様性を主張したものの、クレームが続出し、一転動画内で謝罪。今後はホームレスや生活保護についての見識を深め、動画などの収益を慈善団体へ寄付するとのこと。

さて、皆さん、この一件どう思われたでしょうか?
もちろん、いわゆる炎上商法でこの彼はわざと狙ったに相違ありません。改心した自分を演出するために。あるいは、最近、生活保護の男が小田急線の車内で傷害事件を起こしたので、世論を味方につけられると甘く踏んでいたのか。

このメンタリスト氏は反論として、ホームレスや生活保護受給を容認するのならばお前らがお金を払って救えばいい、と主張しています。
申し訳ないですが、国民年金法だとか、雇用保険法だとか、この場合は生活保護法もそうですが、そうした社会保障に関する法律の前文ぐらい目を通してください。「公的扶助」と「国民の連帯」、その文言の意味ぐらいは。ひとの心の救済を目的とするならば。法(それが公共の福祉に反しない限り)は個人の意思を超えるものだからです。

勤勉な日本人の多くは、正当な事由なく働かないままの人や失業手当ばかり貰っている人、住所不定、生活保護を受けている人に対して、あまりいい顔をしないでしょう。
けれども、公的扶助に頼る彼らがただ生きていることを誰も否定はできない。それだけは許されない。処刑しろなんて言えはしない。どんなエリートでも老いて、身体機能を失い、社会のお荷物になることはある。それを公の場、しかも金銭が絡む配信でわざわざぶちまけることの愚かさぐらい、庶民は誰でも知っています。だからこそ、障害者への暴行を働いた音楽家は華々しい五輪開会式メンバーから干されたのです。

ついでに言っておくと。犬や猫などの保護は動物愛護法などで進んではいますが。
民法上は動物には人権がなく、あくまでも物権扱いです。つまり、どんな人間よりも、動物が尊いなどと言うことはありえない。首相の飼い猫をひき逃げしたからと言って運転手は死刑にされたりしない。そもそも、なんで牛や馬は食べられるの?ということにもなる。この発信者は日本国の最高法規である憲法の三原理のひとつである基本的人権の尊重を理解していません。小学生からやり直したほうがいいですね。もちろん、動物だから死なせていいと言っているわけではなく、ものの喩えです。

このメンタリストが言おうとしていることは、災害に遭ったときに、寝たきりの老人、浮浪者、引きこもり等も含めて、彼が「価値がないとみなす人間」よりも、自分の可愛い愛猫を救えとせがんでいるようなものです。動物アレルギーの救助隊員だったらどうするんです? 猫や犬が嫌いな人間は人権がないとでも? ホームレスや生活保護受給者がただ飯食いというのならば、ペットだってそもそも納税なんかしてくれません。保健所が野良の犬猫を殺処分せざるをえないのは環境美化や衛生上の必要があるからです。猫の保護活動するなら寄附を募らず自腹でやればよろしい。それに野良猫と暮らすホームレスもいるだろうし、人間が満足に暮らせない社会でなければ犬猫だって幸せになりません。

要するに「自分にとって気分がイイ」生きものならば、存在が許される。立派な優生思想ですね。自分が神で生物の生殺与奪を握っていると思い込んでいる。東大に行けなかった劣等感でもこじらせているのでしょうか。

善意ぶるわけではありませんが。
私が大学院に通いながら公立の図書館で働いていた時も、正規職員の司書さんは来館するホームレスの悪口をこぼしていました。誰だって職を失い身寄りがなければなる可能性はあろうし、そもそももともと納税者かもしれないのに図書館を利用したらいけないのですか?と可愛げもなく反論した覚えがあります。そして、今の図書館はもう非正規職員だらけですよね。安全圏にいた人が梯子外しをされている。

都会の公園などのベンチや待合スペースが長居できないような、いじわるなデザインにされたり。誰にでも開かれているべき公共の福祉の場が、お上ヅラした人間の権威で排他的になっているのは解せませんね。バス停のベンチに座っていたホームレスの老女が男に殺害された、なんて話を聞くと居たたまれないものがあります。落ちぶれたら存在してはいけないのですか? 明日は我が身なのだと、こんな不安な世の中では誰しも感じている。そんな私たちの不安や怒りをこの発信者は知りえなかったのでしょう。

こんなえせセラピストはまともな有識者ではないので、賢明な皆さんはその言動に一切の利益を与えるのは止めましょう。
話題性と金儲けに利用されているだけです。慈善団体に寄付して、褒章を受けるのを狙っているだけです。そもそもジャニーズのタレントさんや女性ミュージシャンなどがよく寄付をして褒章を受けたりしていますが、あれだって、もとはファンがコンサートのチケット代やらグッズやらで散財したお金ですからね。海外だと金持ちの慈善行為は義務ですし、節税対策だから賞賛せねばいけないわけでない。芸能人が知り合いの社会福祉法人に寄附してリベートがあるなんてこともありそうです。

最近、芸人さんやタレント、もしくはそこたしのブロガーでも、スピリチュアル系でセルブランディングして、サロンみたいに集客しているのを見かけますけども。
もともと自分が歪んだ精神を持っていて、体験談を売りものにしているだけで、大した仕事をしていないように感じます。図書館でただで借りて読める自己啓発本に書いてあるようなことを、少し言い換えてるだけですよね。

自分の負の感情に他人を巻き込む人間を私は信用しないです。
なぜって、その人は自分の憎悪や怒りや不機嫌を晴らすために、誰かにずっと依存しなくてはならなくなって、付き合う人間が消耗させられるから。

この手合いが差別発言などをして馬脚をあらわしてきたときは、無駄にその著作を読まなくてよかったな、と思うことにしています。
キレイゴトを書いてくれていて薄荷みたいに一時的に爽やかになるけれども、けっきょく長続きしないんですよね。自分のメンタルを保つなら、古典を読むか、いい映画を嗜むか、おいしいものを食べて運動するか、創作できる趣味を持つか、自分の身につくことをしたほうがてっとり早いです。たぶん、そんな簡単なこと、そこらの田舎の人間でも知っています。

(2021/08/14)




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 戦争記念日にこそ観たい映画... | TOP | 2021年8月19日のブログ工事 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 医療・健康・食品衛生・福祉