陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

よじれた他人の負の感情とはまともに向き合わない

2023-08-24 | 医療・健康・食品衛生・福祉

私は宅建士やら行政書士やらの資格を下手に持っているせいで、知り合ったばかりの人から相談事を持ちかけられることがあります。国立の大学院修了者で受験も困らなかったせいか、お子様の学習のアドバイスを請け負うこともあります。

自分の知識や景観が役立つなら、という善意であれやこれや助言したり。本を探し出して読めばいいよと教えたり。そういう労をとったものの、傍から眺めていたら、本人は何も状況を改善しようとしません。

例に出すと、境界トラブルの問題。
土地や建物の形状や立地にもよりますが、その道を通らないと生活できないような場合、通役権といいまして、隣家の所有地であっても自由に往来できることが認められています。

私に相談を持ち掛けた人物(甲さん)は、隣人の乙さんとかねてから仲がよろしくない。
で、乙さんの家の裏道を通らないと、甲さんは道路へ出られない。ところが、乙さんがたまに大きなゴミ箱を置いて塞いでいるので通れない。法律上問題があるのではないか、不動産屋に相談に行きたいからついてきてほしい、というのです。

私はとりあえず、その乙さんなる隣家に手紙を出し、甲さんが不自由しているから通行させてほしい旨を訴えました。ところで、私が観察するに、乙さんはいつもいつも通路を塞いでいるわけではなく、そのゴミ箱とやらもひと一人は通れるぐらいのスキマを残しているわけです。

さらには。乙さんから聞いた話では、甲さんは玄関側の通路に鉢植えを置いたり、自分の苦手な犬を過去に飼っていて鳴き声がうるさく、とても迷惑したとのこと。
互いの事情をきけば、やれ甲の玄関前に、乙のお店のお客さんの自転車を置かれただの、ゴミを投げ入れられただの、煙が入ってくるだの、工事をする際に業者に資材を私有地に置かれただの、工事を妨害されたので塀を境界線まで建てられなかっただの。とにかく、不動産所有者にありがちな問題がわらわら。あげくは下水道業者の清掃まで妨害しはじめた、と。

こうした隣人とのトラブルは、たしかに法律にあてはめて、権利侵害を訴えれば解消されるかもしれません。
しかし、この甲と乙とは、生涯その家に住みあうのです。もし甲か乙かに火事があったり、強盗が押し入ったりしたら、互いに助け合わねば共倒れになってしまいます。そうしたことを私は、甲さんに訴えたのですが、まったく聞く耳も持たず。

しまいには、お前の説得のしかたが悪いから乙とよけいにこじれたのだ、と責任転嫁されるようになりました。
お前はなにもしなかった、やったことは無駄だった。さらには、難関資格を取っているくせに、こんな程度の問題も解決できないようでは宝の持ち腐れ。何のために勉強したのだとまでなじられてしまいました。こうなってはもう、私はこの件から手を引くしかありますまい。ありがとうすらも言わないのですから。むしろ、ここまで言われたら、隣人の乙さんのほうが正しいのではないかとも肩入れしたくもなります。

自分の感情を抑制できないことで、味方になってくれるはずの人まで敵に回してしまうのは愚かなことではないでしょうか。
不満を買い物依存症でまぎらわしたり、家のなかが片付いていない甲さんは、むしろ、リフォーム工事をおこないたがる乙さんに対して嫉妬しているようにも思えるのです。要するに、自分の感情のケジメの問題なのに、誰かを攻撃対象にしているだけなのです。

正直、この甲さんがどこの不動産屋だろうが、弁護士だろうが、相談しようが、同じ結果になるでしょう。
ただ、自分の感情の憂さ晴らしに、隣人とトラブルを起こしているだけなのです。しまいには、乙さんの家の息子さんと我が子との結婚の有無やら、就職先やら、学歴やらをいちいち比べだして、自分の家のほうが立派だとレベルの低い承認欲求を満たしているあたり、とてもこの人の老後は幸せなものでないだろうと思われます。しまいには、隣人に対する害意やら、希死念慮まで口にし出して、もうまともに相手にできるものではありません。

かえって自分の子どもにすら見捨てられるのではないでしょうか。
田舎では老親を捨てて働き盛りの同年代が上場して帰ってこないのは、こうした年寄りの僻み根性が、若い世代にうとまれているからに他ならないのです。
隣の家と競って、家を大きくしたり、見栄えのいい花壇をつくったり、して自尊心を得ても、ただ浪費をするだけで意味がありません。自分のココロの中には常にあいつを引きずりおろしてやろうというゆがんだ感情が渦巻いて、穏やかではいられないからです。

甲さんの愚痴は、隣家のみならず、自分の既に亡くなった身内やら、実家の隣人やらにも及び、彼女の負の感情にある根っこがそうとう深いものだとわかります。
いらいらすると、乱暴に車を運転させるような彼女の性格ぶりをみると、いつか取り返しのないことをしかねないと思われたのです。なので、私はこの甲さんが誰かの悪口を言い出した時点で話を逸らしたり、黙ったりして、まともに賛同したりしないようにしました。必要最低限のコミュニケーションしか取らないことに決めたのです。もう金輪際、協力しないという意思表示です。

私自身もいまだに、友人だと思っていた人物に裏切られた経験や過去の職場でのトラウマを思い出し、歯噛みしたくなるほど怒りが湧いてしまうことがあります。個人事業で踏み倒された未収金の件でも、あちこち弁護士に相談に行き、内容証明郵便まで出し、少額訴訟の準備までし、行政委員会の協力も得てきましたが、それでもすべての代金を弁済されたわけではありませんでした。

でも、そんなことをいまさら反芻してみても仕方がないことです。
私自身はそうした執着を手放し、資格を取り、再就職活動に励むことで、個人事業上の減った収入分をなんとか取り戻して暮らしています。

人生に思いがけぬ損失や自己の過失によらないイザコザに巻き込まれることは多々あります。
けれど、大きな障害を負うだとか、寝たきりになるほどの病気にでもならない、さらに贅沢ではないが三食きちんと食べれられるほどの環境なのであれば、なにをこれ以上、望むことがあるのでしょうか。

禅の教えに、「知足充実」という言葉があります。
足るを知るというのは大事なことで、人間が欲望に支配されたらキリがなく、周囲の権利を妨害してまで自己主張を押し通そうとし、結果としてそれが成功したとしても他人の怨みを買って、いつか復讐されてしまいます。ときには自分が割を食っても、譲り合うべきところは譲り合わないといけないことはあるのです。


このブログでは腹立たしいことを記事にしてストレス解消にしていますが。
じっさい、本人に対して、やりこめてやろうなどとは思っていません。自分が紹介してあげた仕事を悪友に奪われてしまい荒れていた私は、かえって好条件の正社員就業ができたことがありました。もし、そのとき、その悪友に仕返ししてやろうと、あれやこれや画策して無駄な時間を過ごしていたら、私の今はなかったことでしょう。しかも、その友人とへ縁が切れたので万々歳です。

アドバイスするのは気持ちが良いものですが、よかれと思ってやったことが裏目に出たり、責任転嫁されたりもします。ただ悩んで、悪感情を周囲にぶつけているだけの不機嫌な人間からは遠ざかった方が無難です。これが親族や友人ならなおさら。

自分の負の感情に誰かを巻きこんで連帯しようとする関係性で、他人とつながらないようにしましょう。
私は困っています、苦しんでいます、という傷口を見せることで依存してこられるからです。自分自身もそうした甘えをみせて、悪口ばかりを言い合う人間関係ばかりを築き、不幸の塊になります。こうした人も一種のサイコパスなエナジーバンパイアで、あなたの生きる活力を奪い続けます。他人が幸福になるのを赦せないからです。親きょうだいや配偶者がこうした性格の持ち主である人は、特に注意してください。


(2022/08/20)

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