臆病な青びょうたんぶりなのに、黒っぽいビール瓶みたいにハラの中が透けて見えない。
気味の悪いオンナだ。とにかく、あの目つきが気に入らない。ホルマリン漬けのカエルを観察している解剖学者のような、もしくはまな板に乗せられた魚をどう捌こうかと見下ろしている料理人みたいな、温かみの欠片も滲ませないまなざしだ。こいつの鏡には、笑顔などお目にかかったことがないだろう。眼鏡をかけてる奴はたいがいレンズで目の回りの温度が抜けて、冷たい感じがするけれど、こいつは格別そう見える。なにせその口もハンパなく悪い。
しかもなぜか、こういう弱っちいの限って、向こう見ずな勇気があったりする。
自分より大柄な相手を見るや、湧き上がってくる劣等感をとりつくろうとして、わざと小馬鹿にした態度をとるといった具合だ。
「歌ってるときの顔は、あんまりかわいくないね。マイク握ってたら、なんかエロい」
「…なッ!」
怒りの導火線に火が点くのに二秒とかからない。
だが、濡れそぼる雨に冷やされて、くしゃみをしたとたん、憤りも吹っ飛んでしまった。
たしかに、この女の言うとおり、自分で映像を確認したけれど、歌唱中の顔は鼻の下が伸びていたり、前歯が出すぎていたりして、あまり見られたものではない。伸びやかな声を出そうと深い息を吐き出すときに、そういう顔をしてしまうのだ。民謡歌手でならした子ども時代の癖で、あの表情はあまりアイドルらしくないともいわれる。声には自信があるけど、いま流行りの振り付けダンスも得意なほうじゃなかった。
「さっきみたいな、ちょっとへそ曲げてるくらいの顔が、いちばんいい。モデル料なら払う」
「…いくらよ?」
「傘一本ぶん」
女は鞄から折り畳み傘を出してさしだした。
傘は一度使用して畳まれたのか、濡れジワがついていた。あきれてモノもいえない。腰に手をあてて、あたしはこの不遜な観察者を睨みつけた。
「このコロナさんの肖像権を、たかだかそんな傘一本ですませようっての? バカにすんな! この芋オンナッ!」
「今の貴女にはこれでじゅうぶん」
「なんですって?!」
怒りに任せておおきく振りかぶった手が、女の頬をひっぱたいた。
肉を叩く軽い音が響いて、女の眼鏡が落ちた。腫れた片頬をおさえて、倒れこんだ女をあたしは悠然と見おろしている。ざまぁみろ。
今度はこっちが悔しさに打ちひしがれてる情けない顔を拝んでやろうと、しゃがみこんで顔を覗きこんだ。落っことして内側にひび割れの入ったビー玉みたいに焦点の合わないぼんやりした目をしている。あたしは違和感を覚えた。その顔に見覚えがあったからだ。
「あんた、どこかでみた顔ね…」
女の顔に見とれているうちに、騒ぎを聞きつけたギャラリーが集まってきた。
もともと人通りの多い往来に沿った店先で、しかも芸能界の話題をさらうカップルの挙式という客寄せをしていた場所だ。こんなところで喧嘩なんかしたら、結果は予想つきそうなものなのに、きょうに限ってやってしまった。
【目次】神無月の巫女二次創作小説「ミス・レイン・レイン」