喜寿から始まる

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五木寛之の「新老人の思想」について

2016年12月30日 | 日記
年末年始は、整理の時期だ。
休みに備えて本を数冊購入。
積ん読だけでも精神衛生上いい。
「新老人の思想」は、直接関係があるので、さっそく読むことにした。
というのは、70を過ぎるとガクッと体力が落ちる。感じる。
そのうちに慣れてはくるのであるが、「もう若くはない」という意識は
しっかりと自分の中に根付いているからである。
今の、そしてこれからしばらくの70歳、80歳の高齢者は、
この本によれば「老人」というべきとなるが、増え続けるが、
どういう生き方をすべきか、何が待ち構えているのか、未知の世界という。
そのこと自体、争いはない。
老人同士での相互扶助でとの提案はあるが、具体性がない。
長生きすることだけが意味があるというような従来的発想はおかしいというのは
その通りであるが、では発想の転換をどうするのかとなるとこれという案はない。
人間は現実的であるので、そのうち必要に迫られ老人たちで何とか考えるのでは
という楽観的な考えがあるのかもしれない。
なお、「新老人」というのは従来型老人像に抵抗し、気力、体力、能力を持て余し、
暴走したり迷走したりしている老人のことらしい。
「老い」を受け入れることが出来ず、さりとて「将来に対する希望」はなく、
「不安と絶望」を抱きながら悪あがきしているお年寄りということだ。

要は自然体で生きていくことしかないということだ。
五木氏も検診はしない主義のようで、同じ仲間がいることに安堵した程度だ。

今年も残すところ1日ちょっと。
新しい年も、これまでの延長になりそうな予感だ。
と言いつつも’新老人’として、何とか「目標」をみつけて迷走・暴走するか?

この本の中でプラグマティストの「ウィリアム・ジョーンズ」に触れた部分があった。
その格言の中から一つ。(五木氏の本とは無関係)

 人間は心構えを変えることによって、その人生を変えることが出来る。