小泉純一郎政権から続く国策犯罪(人権侵害)の被害者のブログ

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松橋事件の宮田浩喜さん(85)が再審裁判で無罪判決

2019-03-31 14:46:11 | 人権侵害と人道への犯罪を許すな
2019年3月28日


【松橋事件】34年後無罪に安堵も喜び半ば


「ようやく重い荷物を下ろせた」。

逮捕から34年。松橋事件で28日、熊本地裁は宮田浩喜(こうき)さん(85)に無罪を言い渡し、弁護団ら支援者には喜びが広がった。

判決は「犯人であることを示す証拠がない」と認定。

しかし、捜査や裁判所の誤判などへの言及はなく、介護施設で寝たきりの父に代わって出廷した次男の賢浩(まさひろ)さん(60)は「無罪は無罪だが、捜査機関の責任は問われないのか」とやるせなさをにじませた。

「殺人罪については、被告人は無罪」

熊本地裁で最も広い101号法廷。午前10時すぎ、溝国禎久(よしひさ)裁判長が判決主文を読み上げると、賢浩さんは父のいない法廷をじっと見つめた。

賢浩さんにとって宮田さんの無罪は当然の結果だった。

判決後に記者会見した賢浩さんは、取材に対し「一段落してほっとしている」と安堵(あんど)の表情を見せたが、「最後まで抵抗した検察から何の謝罪もなく終わってしまった。それが残念だ」と物足りなさも口にした。

完全に晴れやかな気持ちにはなれなかった。

賢浩さんは高校卒業後、実家から上京。その後、宮田さんが逮捕され、まさかとは思ったが、もともと折り合いが悪かったこともあり、父を信じ切れない自分もいた。

再審へ向けた支援者との活動や弁護士との打ち合わせなどは兄の貴浩さんに任せきりだった。

しかし平成29年9月、貴浩さんが61歳で亡くなった。

賢浩さんは兄の死後、大事に保管されていた裁判資料を見つけた。任意とは名ばかりの苛烈な取り調べがあったと記録されていたといい、「父がはめられたのは一目瞭然だった」。

無念を晴らせる家族は自分しかいない-。

父の人生に向き合おうと誓った。
ただ、もっと早く関わっていれば、貴浩さんだけに負担をかけることもなかったとも思う。
自責の念に駆られた。

再審開始が確定したのが30年10月。裁判所と検察、弁護側の三者協議は日程が前倒しされ、今年2月の再審初公判は即日結審するなど、迅速な審理が行われたが、判決を迎えるまでに、熊本市内の介護施設で暮らす父の体調が急変する恐れもあり、賢浩さんは何度も気をもんだ。
「ここまでおやじも兄もよくがんばってくれた」。

家族の思いこそ結実したが、約10分間で終了した判決宣告では、捜査機関や裁判所の過ちに言及せず、やりきれない思いは残った。

無罪判決を宮田さんに直接報告するという賢浩さん。
「無罪となるのは分かっていたこと。いつもどおり、父の顔を見てこようと思います」
産経新聞
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