はーい我が軍隊の安倍晋三首相
稲田朋美防衛相(自民党議員)。
2016年12月24日
アフリカの南スーダン国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊部隊が、首都ジュバで七月に大規模な武力衝突が発生した際の状況を記録した日報が、廃棄されていたことが分かった。
陸自の文書管理規則が定める三年間の保存期間に満たない。
治安が悪化する同国でのPKOは派遣要件を満たしていないと疑問視する声が強いが、日報の廃棄でさらに批判が高まる可能性がある。
南スーダンPKOは半年ごとに部隊が交代しており、七月に活動していたのは十次隊。
ジャーナリストの布施祐仁(ゆうじん)氏が情報公開法に基づき、同月七~十二日の日報を九月末、防衛省に開示請求したところ、今月二日付で「既に廃棄しており、保有していなかった」とする通知を受けた。
同省によると、陸自の文書管理規則では、PKO関連文書の保存期間の基準は三年間。
一方で「随時発生し、短期に目的を終えるもの」や「一年以上の保存を要しないもの」は、例外的に一年未満で廃棄できる。
同省統合幕僚監部の担当者は、廃棄の理由について「上官に報告した時点で、使用目的を終えた」と説明。
これ以外の日報も、紙や電子データを含め、同様に廃棄しているという。
陸自は、日報に基づき、後続部隊ヘの教訓をまとめた「教訓要報」を作成しており、当時の現地状況もこの中である程度記載される。
しかし、原本に当たる日報が廃棄されてしまえば、治安の実態や自衛隊の行動について国民が正確に把握することが難しくなる。
布施さんは「これが許されるなら、あらゆる報告文書はすぐに廃棄されてしまう。
国民の検証のために公文書を保管する意識が欠如している」と批判する。
黒塗りより深刻
日報廃棄の問題からあらためて浮かび上がるのは、活動継続への疑念が強い南スーダンでのPKOについて、国民に正確な情報を届けて理解を得ようという意識が、安倍政権に依然として薄いことだ。
ジュバで最初の大規模衝突が起きた、二〇一三年十二月に派遣されていたPKO五次隊の「教訓要報」には、隊員らが防弾チョッキと鉄帽を着用したり、撤退経路を偵察したりという対応が記されている。
これを作成する材料となった日報が存在していれば、国民は当時の状況をより詳しく知ることができた。
まして今回、日報の廃棄が判明した六日間は、陸自の宿営地の隣にあるビルで銃撃戦が起きるなど、一三年に劣らず緊迫していた状況が明らかになっている。
日報の廃棄が、検証を難しくした可能性は大きい。
PKO関連文書の保存期間を原則三年間と定めた、文書管理規則が形骸化している事実も見逃せない。
今回のように「上官に報告したから」という理由での廃棄がまかり通れば、組織にとって都合の悪い文書はすべて公開せずに済む「抜け道」になりかねない。
南スーダンPKOを巡っては、これまでも現地報道を基にした地図を黒塗りにして公表するなど、情報公開に消極的な政府の姿勢が批判されてきた。
黒塗りどころか、将来公開される可能性を摘む「廃棄」は、より深刻な問題だ。
東京新聞
2017年2月7日
アフリカの南スーダン国連平和維持活動(PKO)に参加した陸上自衛隊の部隊が、首都ジュバで昨年七月に大規模な武力衝突が発生した際の状況を記録した日報が廃棄されていた問題で、防衛省は六日、これまでの説明を覆し、文書の電子データが省内に保管されていたと明らかにした。
日報を作成したPKO部隊と、日報の報告先の陸自中央即応集団は文書を廃棄していたが、他の部署に文書が残っていないか改めて調べたところ、統合幕僚監部内の部署で電子データが見つかったという。
陸自の文書管理規則はPKO関連文書の保存期間を三年間と定める一方、「随時発生し、短期に目的を終えるもの」や「一年以上の保存を要しないもの」は、例外的に一年未満で廃棄できるとしている。
統幕は当初、廃棄の理由を「上官に報告した時点で、使用目的を終えた」とし、紙や電子データを含めた全ての日報を、同様に破棄したと説明していた。
しかし、自民党行政改革推進本部(本部長・河野太郎衆院議員)が「行政文書としての扱いが不適切」だと問題視し、データの存否を再調査するよう要求。
河野氏は六日、自身のツイッターで、日報について「電子情報の形で残されていたものが発見された」と写真付きで投稿。
「必要なら情報公開請求にも対応できる」と指摘した。
日報はジャーナリストの布施祐仁(ゆうじん)氏が情報公開法に基づき、昨年七月七~十二日の日報を同九月末に開示請求。
防衛省は同十二月、布施氏に「既に廃棄しており、保有していなかった」と通知した。
都合次第で「不存在」に
防衛省は「上官に報告した」ことを理由に、廃棄したと説明してきたPKOの日報を保管していたと認めた。
今回は一転して「存在」が明らかになったが、組織にとって都合の悪い文書を非開示にできる恐れは変わらない。
問題の根幹は、行政文書の範囲を政府側の解釈で狭め「不存在」扱いにする手法が、防衛省以外にも横行していることだ。
先月も、憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使を容認した二〇一四年七月の閣議決定を巡り、内閣法制局が情報公開請求に非開示とした法制局長官用の想定問答について、総務省の情報公開・個人情報保護審査会が開示を求め、法制局が一転して開示した。
法制局は当初、想定問答が最終的には採用されず、その後に別の想定問答が採用されたことを理由に「行政文書に該当しない」と判断。
電子データは職員が消去し忘れたため、保存されていたが、利用実績がないことを理由に「廃棄されたに等しい」と主張していた。
二つのケースに共通するのは、政府側の解釈で保管すべき文書を廃棄してもよいことにし、本当は存在する文書を存在しないことにする手法だ。
情報公開法は「国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進」が法律の目的だと明記している。
政府はこの趣旨に基づき、適切に保管、開示をするべきだ。
東京新聞
2017年2月7日
アフリカの南スーダン国連平和維持活動(PKO)に参加した陸上自衛隊の部隊が、首都ジュバで昨年七月に大規模な武力衝突が発生した際の状況を記録した日報を、防衛省が一度は廃棄したと説明しながら、一転して保管を認めた問題について、稲田朋美防衛相は七日午前の記者会見で「請求を受けた当時、時間に限りがあったとはいえ、探索しきれなかったことは十分な対応ではなかった」と述べ、当初の対応の不備を認めた。
記者会見後、防衛省は保管を認めた日報の一部を黒塗りした状態で、報道陣に開示した。
そのうち、昨年七月十二日の日報は、当時の情勢について、ジュバ市街では停戦合意が履行されているものの「偶発的な戦闘の可能性は否定できず、巻き込まれに注意が必要」と指摘している。
一連の経緯について防衛省は、日報を作成したPKO部隊と、報告先の陸自中央即応集団は文書を廃棄していたが、他の部署に残っていないか再調査したところ、同省統合幕僚監部内で電子データが見つかったと説明。
稲田氏は「なぜ統幕監部で見つかったのか。非常に疑問に思う」と述べた。
意図的に隠した可能性については「隠蔽(いんぺい)ではない」と否定した。
陸自の文書管理規則はPKO関連文書の保存期間を三年間と定める一方、「随時発生し、短期に目的を終えるもの」や「一年以上の保存を要しないもの」は、例外的に一年未満で廃棄できるとしている。
こうした規定を踏まえた従来の対応について、稲田氏は「法的には問題なかったと思うが、現地の隊員が見聞きしたことを書いた一次資料は一定期間しっかり保管すべきだ」と述べた。
防衛省は当初、情報公開請求を受けた昨年七月七~十二日以外の全期間の日報について、電子データを含めて廃棄したと説明。
その後、省内のデータを再確認し、昨年十二月までの半年間、現地に派遣されていたPKO部隊第十次隊の日報は、全て統合幕僚監部に保管されていたことを確認した。
十次隊に交代して派遣された第十一次隊は「駆け付け警護」などの新任務が付与されたことを踏まえ、日報を半年間保管する方針に改めたという。
東京新聞
2017年2月8日
防衛省は七日、当初は廃棄したと説明していた陸上自衛隊の南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報を一部黒塗りで開示した。
日報は、陸自が活動する首都ジュバ市内で昨年七月に大統領派と反政府勢力の「戦闘が生起した」と明記し、「市内での突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」と報告。
現地部隊は戦闘の激化を深刻に受け止め、PKO停止の可能性にも言及していた。
防衛省が開示したのは、昨年七月十一、十二日の日報など四冊の関連資料。
同省は情報公開請求を受けた同七~十日の日報も順次公開する。
ジュバでは昨年七月に大規模衝突が発生し、八日には二百七十人以上の死者が出た。
十一日には市内の国連南スーダン派遣団(UNMISS)司令部がある施設で、中国軍兵士二人が砲弾を受け死亡した。
十一日の日報は、こうした不安定な情勢を踏まえ、事態の推移に関する「予想シナリオ」を掲載。
大統領派と反政府勢力の関係が悪化した場合、ジュバで「衝突激化に伴う国連(UN)活動の停止」や「大量の国内避難民(IDP)」が発生すると予測していた。
昨年七月の衝突では、稲田朋美防衛相が同年秋の臨時国会で「国際的な武力紛争の一環として行われる人の殺傷や物の破壊である法的意味の戦闘行為は発生していない」と強調。
防衛省の武田博史報道官は七日の記者会見で、日報の「戦闘」について「一般的な意味で用いた。政府として法的な意味の戦闘が行われたとは認識していない」と説明した。
非開示 駆け付け警護論議意識か
<柳沢協二元内閣官房副長官補の話> 防衛省が日報を廃棄したとして非開示扱いとした昨年十二月は、PKO部隊への駆け付け警護などの新任務付与が問題になっていた。
だから、武力衝突が起きた時期の日報を開示したくなかったのだろう。
政府は新任務を付与しても大丈夫と考えているようだが、国会の議論を聞いても根拠が分からない。
日報は現地の緊迫した情勢を伝えているが、安倍晋三首相は国会で現地情勢を「永田町よりは危険」と述べた。
こうした不誠実な答弁を続ける姿勢も問題だ。
東京新聞
追記。
2017年7月19日
稲田氏、組織的隠蔽を了承
PKO日報、国会で虚偽答弁
南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報を廃棄したとしながら陸上自衛隊が保管していた問題で、稲田朋美防衛相が2月に行われた防衛省最高幹部による緊急会議で、保管の事実を非公表とするとの方針を幹部から伝えられ、了承していたことが分かった。
複数の政府関係者が18日、明らかにした。
防衛省・自衛隊の組織的隠蔽を容認した形になる。
稲田氏はその後の国会で、一連の経緯の報告を受けていないとし「改めるべき隠蔽体質があれば私の責任で改善していきたい」と答弁。
国会でも虚偽の説明をしたことになり、防衛相辞任を求める声が強まり、安倍晋三首相も任命責任を問われるのは確実だ。
共同通信
追記。
2017年7月28日
稲田防衛相、日報で引責辞任へ=安倍首相の任命責任必至―改造まで他閣僚が兼務
稲田朋美防衛相は28日午前、南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題をめぐる特別防衛監察の結果公表に合わせ、辞任する意向を表明する。
同問題で防衛省・自衛隊組織を混乱させた責任を取る。
稲田氏を抜てきした安倍晋三首相の任命責任が問われるのは必至で、先の東京都議選惨敗に続き、政権にはさらなる痛手となる。
第2次安倍政権発足後、閣僚の辞任は4月の今村雅弘復興相に続き6人目。
首相は当初、来月3日に予定される内閣改造で稲田氏を交代させる考えだったが、政権運営への影響を最小限に抑えるには、これ以上辞任のタイミングを遅らせることはできないと判断したとみられる。
稲田氏をめぐっては、都議選での「防衛省、自衛隊としてもお願いする」との応援演説で、資質を問題視する声が強まった。
日報問題では、稲田氏本人が2月に陸上自衛隊幹部から非公表とする方針について報告を受けていた疑いが浮上。
野党から罷免、与党からも辞任を求める声が出ていた。
稲田氏は28日朝、防衛省に入る際、辞任についての記者団の問い掛けには無言だった。
監察結果公表に先立ち、防衛相として最後の定例閣議に出席する。
内閣改造までは他の閣僚が兼務する。
ただ、北朝鮮情勢などで緊急事態が発生すれば、稲田氏が職務を続行する可能性もある。
時事通信社
安倍首相、追い込まれ観念=稲田防衛相辞任、政権にダメージ
南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題をめぐる混乱の末、稲田朋美防衛相が辞任する事態に追い込まれた。
支持率が急落する中でも安倍晋三首相は「秘蔵っ子」の稲田氏を擁護し続けたが、世論の辞任を求める声に抗し切れなかったとみられる。
任命責任が厳しく問われそうで、政権運営は一段と厳しさを増している。
「遅すぎる。もっと早く辞めさせるべきだった。稲田氏は歴代で一番ひどい」。自民党の防衛相経験者は27日、吐き捨てるようにこう語った。
2005年8月15日に靖国神社を参拝中の稲田氏に、電話で「郵政解散」に伴う衆院選への出馬を打診したのは首相だ。
思想・信条が首相と近く、12年の第2次政権以降、規制改革担当相、自民党政調会長を歴任。防衛相にも抜てきされた。
だが、先の東京都議選の応援演説で「自衛隊としてもお願いする」と発言。
与野党から閣僚としての資質を問う声が相次いだ。
日報問題でも、稲田氏が隠蔽(いんぺい)に関与した疑いが浮上。稲田氏への風当たりは強まっていた。
このため、首相は来月の内閣改造で交代させる方向で検討。
それがこのタイミングでの辞任になったのは、防衛省の黒江哲郎事務次官や岡部俊哉陸上幕僚長が日報問題の責任を取り辞任する方向となる中、渦中の稲田氏だけ無傷ではいられないとの判断があるとみられる。
自民党関係者は「次官も陸幕長も辞める。流れができていた」と語った。
稲田氏の辞任は、政権にとって痛手だ。
首相周辺は「都議選で失言したときに辞めさせておけばよかった」と語る。
ただ、公明党幹部は「辞めるとしても、稲田氏にはちゃんと説明してもらわないといけない」と指摘した。
野党は、首相の任命責任の追及を強める構え。
民進党の大串博志政調会長は27日のBSフジの番組で「真実を隠蔽(いんぺい)するための究極のとかげのしっぽ切りだ」と厳しく批判した。
時事通信社