歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「小春穏沖津白浪(こはるなぎ おきつ しらなみ)」 -1

2015年12月28日 | 歌舞伎
「小春穏沖津白浪(こはるなぎ おきつ しらなみ)」
「小狐禮三(こぎつね れいざ)」という副題がついています。

これは江戸時代の初演時の脚本をもとに書いた説明です。
戦後「復活上演」された作品は、とくに後半部分はかなり書き換えられているようです。
こちらの記事については基本設定や作品の雰囲気を知る上での参考としてご覧いただくといいかと思います。

いまだ決定版というものはないと判断しますので、とりあえず原型のこれを載せておきます。

初演時のこの作品は、ストーリー的にわりと破綻しており、お話だけ追うとちょっと混乱なさるかと思います。
書いたのは江戸末期のとても有名な作者、「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」です。
「弁天小僧」とか「三人吉三」とか書いたかたです。

なぜその黙阿弥が、このような一見てきとうな話を書いたのかも含めて説明していきたいと思います。

書かれたのは「元治元年」。1964年なので江戸の最後のほうです。
すでに多くの歌舞伎作品が書かれており、黙阿弥の人気作品も何本もあります。
それらの先行作品との関連なしに、この作品は語れません。

とりあえず内容を追っていきます。

一幕目

・新清水の場
「新清水寺(しん せいすいじ)」というのは鎌倉にあったお寺で、京都の清水寺を模して北条政子が作ったそうです。
お芝居では「しん きよみずでら」と言っています。
というわけで時代は鎌倉とか室町時代の設定ですが、これは歌舞伎の定番で、実際は江戸時代の江戸の街、
ここは上野の清水観音堂だと思って見ればいいのです。

さて、この「新清水(しんきよみず)」という場所設定自体が、すでにお芝居の冒頭シーンの定番です。
ここでの展開も定番になっており、
・桜が満開の境内。
・若殿様が家宝を持ってくる。お寺に奉納、または祈祷してもらう儀式のお使いである。
・お姫様がお花見に来る。若殿様と双方ひと目ぼれする。
・若殿様の家来とお姫様の侍女がすでに仲良し。若いふたりの仲を取り持つ。
・若殿様の家来の中に悪者がおり、家宝を盗むか傷をつける。またはふたりの密会を見つけて問題にする。

ここまでテンプレです。
新薄雪物語(しん うすゆき ものがたり)」が原型で、
黙阿弥作品では「白浪五人男」を通しで出すと冒頭シーンがこれになっています。
南北の「桜姫東文章(さくらひめ あずまぶんしょう)」の冒頭もこれです。
鏡山旧錦絵(かがみやま こきょうのにしきえ)」の冒頭も、若殿さまは出ませんが同じ絵面です。
逆に清水が舞台ではありませんが、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅ てならいかがみ)」の「加茂堤(かもつつみ)」の場も構造はこれです。

今は残っていない数多くの当時の作品にもよく使われていたであろう、定番の場面なのです。

このお芝居でも、まず境内の掃除をしているお寺の寺男たちが
「今日は月本家(つきもとけ)の若殿様が家宝の香合(こうごう)を奉納しにやってくる」などと説明セリフを言います。
この時点で、というか桜が満開のお寺の境内、石段、左奥に清水の舞台。
これらを見た時点で客は、「いつものあの展開だ」と予想できるしくみです。

若殿様、「月本 数馬之助(つきもと かずまのすけ)」が家来と共に登場します。香合を持っています。
「香合(こうごう)」というのは、お香をブレンドして入れておく箱のことで、香箱とも言います。
趣味の品ですから繊細な細工をされた高級美術品が多いのです。

忠臣派の家来は家老格の「荒木 左門之助(あらき さもんのすけ)と若侍の「花田 六之進(はなだ ろくのしん)」、
あと、下っ端の奴さんの「弓平(ゆみへい)」です。
悪そうなのは「三上 一學(みかみ いちがく)」といいます。
彼らが主導権争いでちょっとモメたりがあり、若殿様は本堂に向かいます。退場。

ちなみに、初演は旧暦の11月にあたるので、境内に満開の桜は無理がるのですが、
ここは定番の演出なので
「今年は冬になってもあたたかいので桜の返り咲きで春のようだ」という設定になっています。
タイトルの「小春穏(こはるなぎ)」という部分はここから取られています。
タイトルの説明は下のほうで少し詳しく書きます。

悪人の「三上一學」が残って香合を盗む悪だくみを話す場面があり、退場します。


さてお姫様が侍女をたくさん連れて登場します。「齋姫(いつきひめ)」といいます。

お約束どおりだな、と客が先を予測しはじめたところで、
遊女が登場します。

お約束だと、境内ですれ違ってお互いの顔を見て「美しい」と言い合うのはお姫様と若殿ですが、
今回は遊女とお姫様がすれ違います。
新しい!!

遊女は「花月(かげつ)」といいます。こっちもお付きの女の子をたくさんつれています。

「斎姫」は若殿の「月形数馬之助」の妻です。
というか、一応結婚はしているのですが、数馬之助斎姫をいやがって全然そばにいません。
というわけで「斎姫」はまだ処女という設定で、お姫様の扮装のままでいます。

「数馬之助」は、なんと、この遊女の「花月」ちゃんとラブラブなのです。
というわけで、ふたりはお互いをチラチラ見ながら「あれが奥様だという」とか「あれがあの恋人の」とか言います。

ここに出てくる「高瀬(たかせ)」という侍女が道化役で楽しいです。しかし悪役です。

お姫様一行は一休みするために退場します。

さて、花月ちゃんは、本妻から若殿様を寝取った遊女なわけですが、あまりスレたかんじではなく、
むしろ素人の小娘のように数馬之助さまに恋い焦がれています。
今日も、どうにか数馬之助さまに会いたくて理由を付けてここまでやってきました。

ヘルプについている「花川(はなかわ)」ちゃんがこっそり手紙で知らせておいてくれています。
花川ちゃんは、まず奴さんの「弓平(ゆみへい)」を呼んできます。
「弓平」は身分の低い雑用係の「奴(やっこ)さん」ですが、
これは「繻子奴(しゅすやっこ)」とか「色奴(いろやっこ)」とか呼ばれる役で、とても派手な衣装を着ています。男臭いイケメンです。
身分が低くいぶんフットワークが軽く、またケンカも強いので主君の若殿様のためにいろいろ働きます。
歌舞伎によく出てくるお得な役です。

若殿の数馬之助さまを呼んできてと頼まれた弓平は「仕事中だから」とまじめに断るのですが、
ここに数馬之助さまが出てきます。
なんと、自分から花月ちゃんに会いに来ました。
今日ここに花月ちゃんが来ることは知っていて、本堂で祈祷してもらっている間もすっと花月ちゃんのことばかり考えていた、と言います。

定番の設定ですと、この場面に出てくる若殿さまは生真面目でしっかりした青年なはずなのですが、
このお芝居の「数馬之助」さまはかなり頼りない上に優柔不断です。
上方のお芝居によく出てくる「つっころばし」的な役柄です。

というわけで、数馬之助さまと花月ちゃんは、上方歌舞伎で遊女と若だんながよくやっているような痴話喧嘩をしたり仲直りしたりします。
けっきょく、がまんできないのでそこにある茶屋の中にふたりで入って行きます。

ところで、弓平さんと花川ちゃんも、じつは恋人同士です。
他のお付きのみんなは気を利かせて場をはずし、
ふたりもどこかに消えていきます。


お寺の中の客間になります。斎姫(いつきひめ)ご一行が休息しています。
若殿の家来の「六之進」も心配してやってきます。
花月ちゃんの美しい様子を見た斎姫は、もう完全にあきらめました。
数馬之助さまは花月ちゃんにゆずって、自分は出家してしまう決心です。
心配する一行。

とはいえ数馬之助さまはあの調子で遊郭に入り浸っているので、けっこう立場はあやういです。
今回の香合に祈祷してもらうお使いも、ちゃんとできるのか周囲はヒヤヒヤしています。
このお使いをちゃんとやって、遊郭通いもやめないと、勘当されそうな状況なのです。

心配が尽きない斎姫です。


また境内の場面になります。

悪役の「三上一學(みかみ いちがく)」が、さっきのゆかいな腰元の「高瀬(たかせ)」さんと話しています。
「高瀬」さんは立役から出る役で、ぶさいくでガサツなモテないタイプの女性です。
「三上一學」「高瀬」さんに気があるふりをして家宝の香合を盗ませました。
高瀬さんはしかしお家乗っ取りとかはどうでもよく、一學をガンガン口説きます。
香合を持ってきてくれたらお相手しましょうと言ってしまった一學は困っています。
手下のお侍たちがどうにかなだめます。

さて、三上一學も遊女の花月ちゃんが好きなのですが、
花月ちゃんはわざわざこの新清水寺までやってきて数馬之助といちゃいちゃしていると家来が知らせてきます。
というか、すぐ横のその茶屋の中にふたりはいます。やばい!!
一學の家来がはりきって茶屋に踏み込みますが、
中の人に投げ飛ばされて出てきます。
中にいるのは、忠臣派のえらい家来の「荒木 左門之助」です。
数馬之助さまがピンチなので間一髪でふたりを逃がしたのです。
この「危機一髪で部屋の中身が入れ替わっていた」というのも歌舞伎では定番の展開です。

しかしこのお芝居ではそのままでは終わらず、一學の手下が裏から逃げたふたりを捕まえて連れて来てしまいます。
うわー。

と、ここに、「家宝の香合が盗まれた」という知らせです。
驚く数馬之助。

大事なお使いの途中に遊女とイチャイチャしていた上に、数馬之助は遊女茶屋への支払いがたまっています。
数馬之助がお金ほしさに香合を盗んだのだろうと決めつける一學。

一學は香合がほしいのではなく、数馬之助に失敗させて切腹させるのが目的です。
そのあと、家の当主で兄の「月本園秋(つきもと えんしゅう)」も殺して家を乗っ取るつもりなのです。

忠臣派の若侍の「花田六之進」が、自分の責任だと言って切腹しようとしてとめられる定番の場面があります。
同じく忠臣派の「荒木 左門之助」が一學に突っ込みを入れます。
なぜ盗まれた、絶対に出てこないと決めつけるのだ。何か知っているのか。
だまる一學。

探すだけ探して、どうしても見つからなかったら幕府に報告して、切腹しろとお達しがあってから切腹はすべきです。
というわけで、数馬之助はこの場で浪人し、家宝を探すことになります。
奴さんの「弓平」がつきそいます。

花月ちゃんは数馬之助さまが浪人したので、喜んで、違った、責任を感じて、
以降、花月ちゃんが数馬之助さまの生活のめんどうを見ることにします。
これはまた、自分に惚れていて数馬之助さまをいじめた一學へのイヤガラセでもあります。

全員退場します。
三上一學だけが残って家来たちと「うまくいったな」とか「あとは当主の月本園秋を殺すだけだ」とか話します。
これを、奴さんの弓平が聞いています。お前が香炉を盗んだのか!!
ということで言い合いから斬り合いになって、そのまま幕です。
決着はつきません。ここは弓平の見せ場のためだけの場面だと思います。

・月本家屋敷の場

まず、見回りの番をしている奴さんたちの会話があります。雰囲気が伝わってくるいいセリフです。
若い役者さんたちの持ち場ですが、
こういう場面をしっかりとやってくださるとお芝居が引き締まります。

お殿様の「月本園秋」は、家宝の香合が出てくることを祈って一心にお経を読んでいます。
ここに、三上大學の手下が忍び寄ってきて襲いかかります。
セリフはないままに立ち回りになり、園秋が余裕であしらいます。
家老っぽい忠臣派の「荒木左門之助」が出て来て加勢したり、悪者が密書を落として左門がそれを読んだりします。
悪者の密書、つまり陰謀の証拠が手に入ってしまったので、お家騒動の話はここで終わりです。決着つくの早。
お芝居には出てきませんが、三上大學は追放されます。
あとは香合を見つけるだけになります。

ところで、ふつうはお家の当主は主人公の若侍の父親ですが、
この「月本園秋(つきもと えんしゅう)」は、数馬之助の「兄」です。

なぜなら初演の数馬之助が、後に「大芝翫(だい しかん)」と称された名優になる、中村福助だからです。
まだ若いですがすでに人気も実力もありました。
数馬之助はいい役ですが、なんといってもだらしなさすぎる。女性ファンがこれではちょっと幻滅します。
なので、数馬之助と2役で、兄の園秋も福助がやったのです。

ちょっとダメな若者。イケメンだから許す。かわいいー!!
しっかりもののお兄ちゃん。イケメン!! かっこいいー!!
というかんじだと思います。

この幕おわりです。


二幕目
やっと副題の「小狐」が出ます。

まず山道の街道筋の場です。
土地のお百姓さんたちが迷子を探している場面から始まります。
一休みしていると、奴さんがやってきます。
お屋敷のお使いで急ぎの旅をしているのですが、どうも様子がおかしいです。
同じ場所をぐるぐる歩いては同じことを聞きます。
狐に化かされているのですが、本人は気づきません。

お百姓さんたちは行ってしまい、いよいよ狐が出てきます。
奴さんにはこの狐がキレイなお姉さんに見えるようでイチャイチャしだし、
しかも、狐に言われるままに、お使いの荷物まで渡してしまいます。
この荷物の中身が、
盗まれた「胡蝶の香合」なのです。

さらに化かされ続けた奴さんは自分の眉を剃り、頭を剃り、さらに鼻を剃り落としてしまいます、痛い痛い痛い。

香合を持って狐は逃げていきます。


・矢倉沢一ツ家(やぐらざわ ひとつや)の場
矢倉沢というのは地名ではなく、「矢倉沢往還(おうかん)」と呼ばれる街道です。
江戸赤坂から東海道の沼津に至る古道で、江戸時代は東海道のバイパス的に機能していました。
東海道ほど開けていない山道です。

山の中の小さなあばら家です。
こんな場所に人が住めるのかというような立地と住環境です。しかも夜で雪がつもっています。
旅人が道に迷ってやってきます。
徒歩で旅をした時代だとリアルに不安をかきたてる設定であったろうと思います。

さて、このあばら屋にいるのは身なりはみすぼらしいですが美しい若い娘です。あやしい!!
一応役名は「胡蝶(こちょう)」ですがお芝居では名乗りません。
ここに、これも美しい巡礼の女の人が一晩泊めてくれとやってきます。こっちもあやしいです。
こっちも役名は「妙典(みょうてん)」といいますが(略)

ふたりは囲炉裏のをかこんで仲良くあたりさわりのない会話をします。

さて、この巡礼さんは「熊野比丘尼(くまのびくに)」だと名乗ります。
「比丘尼’びくに)」は尼さんのことです。
熊野と言えば熊野神社ですが、ここは山岳信仰の聖地であったので、仏教の信仰対象にもなっていました。
「熊野比丘尼」は熊野の本尊とされる仏像の絵を持って勧進(かんじん、寄付です)を集めて歩いた尼僧です。
ただ、身分を証明するものはありませんのでニセモノのほうが多いのです。
ぶっちゃけ「熊野比丘尼」と言う時点でアヤシイのです。
暗に「売色するひと」という意味すら持ちます。

ここでは、巡礼はまともな熊野比丘尼だという設定で話が進みます。
熊野比丘尼は寄付を集めるために仏画を売るほかに、
「地獄絵図」を見せて地獄の様子を語る、というパフォーマンスをやります。
江戸の街では子供でもあまり怖がらなかったかもしれませんが、
田舎の娘が相手であれば地獄のおそろしげな描写は十分にインパクトがあったのでしょう。

娘の頼みで巡礼は地獄の絵を見せて地獄の様子を語ります。
「地獄にいるのは十中八九、みな盗人(ぬすびと)」という文句を聞いて娘がぎくっとします。

ネタバレしておくと、この娘はじつは男で「小狐禮三(こぎつね れいざ)」という泥棒なのです。
巡礼もじつは泥棒で「船玉お才(ふなだま おさい)」という名前です。
初演での禮三は、五代目尾上菊五郎です。「弁天小僧」をやった2年後になります。
「弁天小僧」で男が美しい娘に化けるという設定が大受けしましたから、ここでもサービスとして出したのだと思います。

「盗人と言えば」と話を変えて、巡礼さんが、来る途中で拾った包みを出します。

誰かが盗んだもののようです。狐がくわえて持っていたのですが、
たまたま田んぼの「鳴子(なるこ)」が落ちて、カラカラ音を出したのにおどろいて包みを落として逃げました。
中身は、香合です。
そう、さっき狐が奴さんからだましとった「胡蝶の香合」です。

「鳴子(なるこ)」というのは板に細い竹の棒を何本も結びつけたものです。さわるとカラカラ音がします。
田畑で鳥獣を脅して追い払うのに使います。

村の誰かが落としたのだろうから、ここに置いておけば持ち主がわかるだろう。
そう言って巡礼さんは、そこにあった煙草盆を引き寄せ、
というか、お芝居で見るとわかるのですが、知らないかたのために書いておくと
煙草盆(たばこぼん)というのは煙管(きせる)で煙草を吸うための、種火とか灰捨てとかの一式を並べた箱で、
持ち運べるように上に取っ手がついているのです。

巡礼さんはこの取っ手に、香合が入った包みを鳴子を並べて結びつけます。
誰かが盗んで行かないように香合にさわろうとすると鳴子が鳴るしかけなのですが、
これは狐を捕まえる罠と同じ構造です。

巡礼さんは寝るために奥の部屋に入ります。

娘(子狐禮三)はずっとこの香合を探していました。
お芝居の中でセリフでは言わないのですが、狐を使って奴さんを騙して香合を盗ませたのも禮三です。

巡礼さんも泥棒なのですが、禮三がこの香合を欲しがっているのに気付いたので、わざと罠を作って、
禮三の正体を確かめようとしています。

罠になっているのですから、今この香合に手を出すのは危険です。
しかし、禮三は「小狐禮三」という異名の通り、狐の属性を持っています。
ここでも狐の身振りをしながら香合をほしそうにします。

この場面は、狂言の「釣狐(つりぎつね)」を意識していると思います。
頭のいい狐が、完全にそれが罠だと見抜いているのに、肉のいい匂いにがまんできずに罠にかかってしまうという内容です。

さてここからかなり意味不明な展開になります。
まず鉄砲の音がします。
山の中なので猟師さんがいるのは不思議ではないのですが、何の説明もなく急に出てきます。
禮三はあわてて壁の中に消えます。妖術です。

猟師は「牙蔵(きばぞう)」と言います。
これもセリフでは名前は出ません。

牙蔵も香合を取ろうとしますが、巡礼さんが出てきてこれを阻止します。
この牙蔵は、この場面にしか出ず、最後まで説明もないので、何しに出てきたのかよくわかりません。
通りすがりの猟師さんとしか説明のしようがありませんが、
まあ、ここは動きを楽しむだけの場面なので気にせずご覧ください。

ここで急にセットが替わります。雪も家も消えて山の中になります。小さなお堂があります。
家にいたと思ったのは狐にだまされていたのです。
香合は舞台の真ん中に落ちています。

さっきの3人が香合を奪い合い、さらに人が増えていろいろ立ち回ります。
ここは真っ暗だという設定です。無言で手探りで立ち回ります。「だんまり」と言います。
さらに、お堂の中から強そうなおじさんが出てきます。
「日本駄右衛門(にっぽん だえもん)」という盗賊です。
駄右衛門もまざって「だんまり」になり、ついに禮三が香合を手に入れて、退場します。

月が出て明るなり、まだ少し立ち回りがあって、幕です。

幕が引かれたあと、花道に禮三が出てきます。
さっきまで冬だったのに菜の花や柳の背景になります。狐のしわざです。
禮三は「狐六法(きつねろっぽう)」という独特の動きで花道を引っ込みます。

3階席や2階のうしろのほうだと花道は見えないと思いますが、
伸び上がったり立ったりせずにゆったりと音や雰囲気ををお楽しみください。
歌舞伎は何から何まで全部見なくてもいいようにできています。


三幕目

大磯 三浦屋(おおいそ みうらや)の場

最初に説明したように、お芝居の時代設定は表向きは鎌倉時代ですので、遊郭の場所も「大磯」になっていますが、
もちろん江戸の吉原のつもりでご覧になっていいのです。

「三浦屋」というのは「助六由縁江戸桜(すけろく ゆかりの えどざくら)」という有名なお芝居の舞台になっている大きな揚屋です。
この場面の舞台セットは完全に「助六」と同じです。オマージュです。

この幕は、全体の流れの中での位置づけは
「胡蝶の香合」を盗まれて浪人した、「月本数馬之助(つきもと かずまのすけ)」さまの話になります。
といっても胡蝶の香合は出てこず、お家騒動も全然進展せず、ただ遊郭でのゴタゴタがあるだけです。

この横で、直前の幕で出てきた「小狐禮三」が、今度はお金持ちに化けていろいろやります。
関係のない2つのお話が同じ場所で交互に展開していき、後半でちょっと絡むかんじです。

まず、数馬之助さまを陥れた悪人の「三上一學(みかみ いちがく)が出てきて、揚屋の使用人のおばさんに文句を言います。
数馬之助さまの恋人の、遊女の「花月(かげつ)」ちゃん。
一學は花月ちゃんが好きで、ずっと通っては大金を使っているのですが、
花月ちゃんはいっこうになびいてくれません。
当時の遊郭システムでは、客いn呼ばれたら遊女はやってきてお座敷で宴会しますが、
そのあと絶対に一緒に寝なければならないという決まりはないのです。
どうしても嫌なら断れます(払うお金は同じです)。
一學はずーーっと花月ちゃんに振られつづけています。

どうにか仲を取り持ってくれと揚屋の人に頼んでいるところです。
一學は金払いがいいので、揚屋は一學の味方です。

数馬之助さまは勘当されて浪人して、今は貧乏に借家暮らしです。奴さんの弓平がめんどうを見ています。
というか、生活費は花月ちゃんが出しています。イケメンの特権です。悔しがる一學。

しかしさすがに、揚屋に払うお金までは花月ちゃんも建て替えられません。ツケがたまって百両です。
これを理由に、揚屋は数馬之助さまを出入り禁止にしました。花月ちゃんとは会えません。
ジャマものがいない間に全力で口説くつもりの一學です。

というような話をして、一同は一度退場します。

やってくるのは、花月ちゃんと並んで人気がある遊女の「深雪(みゆき)」ちゃんです。
一緒にいるのは評判のお金持ちの「八重垣禮三(やえがき れいざ)」です。深雪ちゃんとラブラブです。
これが前幕で出た「小狐禮三」です。今度はイケメンの金持ちで出てきます。
それぞれお供を連れて、華やかな一行です。

禮三が通りかかったほかの遊女に興味を持って、深雪ちゃんが怒るという場面があります。
遊郭の軽い華やかな雰囲気を出すための会話なので、特にストーリーには関係ありません。

さて、
深雪ちゃんはもともと頭痛持ちなのですが、今日は特にひどいです。苦しそうです。針や医者はあまり効きません。
最近遊郭にやってくる「女まじない師」がよく効くという話になり、ちょうどやってきたので呼ぶことになります。

このまじない師の「お才」さんが、前の幕で出た女泥棒の「船玉お才」なのです。

お互い顔を見て「あれっ」と思うふたりですが、そしらぬ顔で会話をします。
お才さんは予約が入っているということで、夜にまた来ることになります。
一同退場します。

数馬之助さまが出てきます。
大事な家宝を盗まれてしまって勘当され、がんばって探さなければならないのですが、
ついうかうかと花月ちゃんに会いに通って来ています。ダメダメです。
しかもツケがたまっていますので、来ても花月ちゃんには会えません。
会いに行ってはダメだと家来の弓平に禁止されたのですが、
がまんできずに来てしまいました。
こういう雰囲気も、上方の若だんなの「つっころばし」の風情です。

ここに花月ちゃんのヘルプについている「花川」ちゃんが出てきて、
こっそり花月ちゃんに会わせてくれることになります。
見つからないようにこそこそ店に入っていく数馬之助さま。

弓平が出てきます。数馬之助さまがこっそり揚屋に入っていったと知って怒ります。
弓平も店に入っていきます。

・花月の部屋の場

ここはわかりやすいです。
数馬之助さまに会えないので花月ちゃんは悲しんでいます。
仲良しの深雪ちゃんは恋人でお客の八重垣禮三さまがお金もちで、毎日来てくれていいなあ。といか言っています。
数馬之助さまがやってきます。喜び合うふたり。
ふたりで屏風の陰に入ります。うん何しようとしているかわかりやすいね。

しかしあっと言う間にバレました。揚屋の人が踏み込んできます。きゃー!!
ひきずり出される数馬之助さま。
花月ちゃんは数馬之助さまをかばいますが、
ここに三上一學がやってきます。

一學は月本のお屋敷を追放されたのですが、上手いこと他のお殿様に召し抱えられました。
前より羽振りがよくなっている上に、そう、もう数馬之助さまの家来ではないのです。
花月ちゃんは自分がずっとお金を出して呼んでいる。金も出さずに手をだすのは泥棒だとか、
いろいろいじめらる数馬之助さま。
やってきた弓平もとりなしますが、どうにもならず、仕方なく手をついて謝ります。
しかも、謝ったのに返してくれず、店に来た以上、ツケの百両を払えと言われます。
払えないなら坊主にすると言われます。それは困ります。

困っていると、深雪ちゃんがやってきます。
なんと深雪ちゃんが百両はらってくれます。
出したのは、八重垣禮三です。
ここでふたりがあいさつし、少し会話をします。
禮三は東北の地主の息子で子供のころから鎌倉(江戸)と本国を行き来しているので、
風俗や言葉が垢抜けているとかそんな話です。
あとはこの御恩はいつか返すとかです。

お互い恋人と一緒ですから、それぞれの部屋に引き上げます。
弓平も花川ちゃんと仲良くしに行きます。
揚屋で働く若いものもそれぞれに恋しい相手がいるようです。
みんながたのしい気分な夜更けです。

と、
あまりに遅いので忘れていました。さっきの女まじない師のお才さんがやってきました。深雪ちゃんの頭痛を直すんでした。
お才が風呂敷包みを出します。これが頭痛のまじない用のアイテムだというのです。
深雪ちゃんが開けてみると、
生首です。びっくり。

こんなまじないはいらないから帰ってくれという深雪ちゃん。
お才は、帰ってもいいがお金をくれといいます。

ここから「ゆすり場」になります。
難癖付けているだけなので詳細はどうでもいいといえばいいのですが一応書くと、

・深雪ちゃんが3両出す。
・お才が突き返す。首の値段は7両2分と決まっていると主張。
これは、不義密通は訴えると表向きは死罪なのですが、ふつうは慰謝料を払って内々に済ませます。
この慰謝料の相場が7両2分ということで、浮気の慰謝料を「首代(くびだい)」と呼ぶことからのセリフです。
・この生首は、さっき人を殺して取ってきた。頭痛を治すのに必要だから命がけで取ってきた。見つかれば自分は死罪だ。
その代金なのだから百両くれと言う。
・大きな揚屋のお座敷で堂々とゆすりをしているので、使用人たちがやってきて役人のところに行こうとする。
・お才は捕まったらここにいる全員を道連れにするぞと脅す。
ここで「抱いていくぞ」と言います。お芝居によく出る文句です。
事件があって容疑者が捕まると役人は関係者を全員役所に呼んだのです。毎日毎日呼ばれます。仕事になりません。
容疑者が「あいつが関係ある」と一言言えば絶対に呼ばれます。イヤガラセです。
という脅しです。
・ここでお才はかぶっていた手ぬぐいを取ります。いがくり頭です。当時の感覚だと女性のこういう髪型は非常にショッキングです。
これも、先行作品の「十六夜清心(いざよい せいしん)」で大受けした演出の再現です。
自分の盗人としての経歴や覚悟のよさをかっこよく語ります。作者の「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」の得意なところです。
・禮三の家来の「友平」が本気で怒ります。
ちょっとだけ禮三の正体を言いかけますので、友平もお金持ちの若だんなの使用人に見せかけて、じつは泥棒の手下です。
・それを阻止した禮三は、めんどう事を避けるためにあと百両持っていたのをお才に渡します。
・納得して帰るお才。

こんな流れです。

・ところで、国会図書館の「黙阿弥全集21巻」のこの部分4ページが切り取られています。誰だ切ったの!!

さわぎがおさまって、みんなも退場します。もう夜もずいぶん遅いです。八つ(午前2時)をすぎました。

禮三が深雪ちゃんに、帯を出してくれと言って身支度を始めます。出かけるのです。
ちょっと遊郭の他の店に用があるとごまかす禮三なのですが、
深雪ちゃんは勘づいています。
ここまでは、ただかわいいだけだった深雪ちゃんなのですが、
さっきのお金はヤバいお金なのだろう。どこから盗んで来たのだとさらっと尋ねます。
しかも初めて会ったときから禮三が泥棒だと気付いていて、それでも好きになったのでずっと一緒にいるのです。
いつか女房になったら一緒に泥棒をする覚悟です。

横の部屋で数馬之助さまと花月ちゃんがそれを聞いていてびっくりしますが、
このふたりは以降出ません。

お店の使用人たちも聞いていて禮三を捕まえようと部屋に踏み込んできますが、
禮三は狐の妖術を使って逃げます。
みんなは驚きますが、深雪ちゃんんだけは悠々と落ち着いているのがかっこいいです。


・大磯八町縄手(おおいそ はっちょうなわて)の場
大磯の廓のそばの土手沿いの細い道です。川崎にこの地名があるようです。
イメージされているのは「深川洲崎土手」であろうと思います。

深夜、夜明け前です。寒いです。
夜回りの町人たちと、駕籠屋さんとの軽い会話があります。
若手の役者さんたちの持ち場になります。黙阿弥はこういうところをとても丁寧に書くので、
しっかりやっていただくと雰囲気が盛り上がって舞台が引き締まると思います。

さっきの「お才」が酔っ払っていい気分で歩いてきます。
まだ首を持っていますので首を持ったままそのへんで飲んだようです。ふてぶてしいです。
禮三の手下の「友平」がお才の後をつけていますが。お才は気にしません。
首はもういらないことに気付いて川の中に投げ込みます。
ここで、首は「地蔵谷」で拾ってきたと言っていますので「人を殺して持ってきた」というのはウソです。
地蔵谷というのは昔は墓地があった場所のようです。


さて、禮三が出てきてお才に声をかけます。
金を返せというのかと思ったら、自分にも頭痛のまじないをしてほしいと言います。
まじないに使いたいのは、お才の首です。
お金は、セリフで「足利小判」と言っています。幕府の刻印のある御用金をイメージしています。
なのでどうせ使えないのでいらないのです。

お才はこの首は悪いことをし尽くしたらお上に差し上げる予定の大事な首だと言います。なので渡せません。
そういう言い方をするとなんだか真面目そうに聞こえます。

斬り合いになります。

ここに駕籠かきがやってきて、斬り合いをみて駕籠を置いて逃げます。
駕籠の中にいるのが日本駄右衛門です。ふたりをとめます。

ここで3人はかっこいい「渡り台詞」で以前会ったときの話をします。
山の中の小さな家で、禮三が娘に化けていたあのときです。

また会うとはすごい偶然です。

さて、ケンカをとめた駄右衛門はもう争うのはやめろと言いながら自分が名乗ります。
駄右衛門が非常に有名な泥棒ですのでふたりは驚きます。

のこるふたりも名乗ります。
ここで、禮三が甲斐(かい、今の山梨)の出身で神主の子供であること、
「稲荷小僧」とも呼ばれて狐を使役することを言います。

お才はお金持ちの廻船問屋の娘だったのが駆け落ちして家出したあとだんだん泥棒になり、
巡礼姿で旅をしながら盗みをしています。
出身が廻船問屋なので「船玉」お才です。
「船玉」というのは船に飾ってある航行安全のお守りなのですが、
有名な「仮名手本忠臣蔵」の七段目で、大石内蔵助がお軽の陰部を下から見て「船玉さま船玉さま」という場面が有名ですので、
ようするにエッチな隠語でもあると思います。

さて、駄右衛門もじつはたまたま客としてさっきの三浦屋におり、
さわぎを全部聞いていたのでした。
なので事情を知った上で、このケンカを自分にあずけろと言い、
まず、持っているだけで危険なその百両を川に捨てます。
そして自分が持っていた二百両を、ふたりにそれぞれ渡します。これで仲直りしろということです。

駄右衛門の気っぷのよさに惚れ込んだふたり。3人は兄弟分になることになります。

約束のしるしに、禮三は以前手に入れた「胡蝶の香合」を渡します。
数馬之助さまが探しているやつです。
数馬之助さまにやれよ!! 百両あげなくていいから香合をあげろよ!! と思いそうになりますが、
このほうがお芝居がおもしろいのでしかたありません。

さらにお才も、「千鳥の篳篥(ひちりき)」というのを出してきて渡します。
「ひちりき」は楽器の一種で、これも家宝クラスの高級品なのだと思いますが、
ここで急に出てきます。
展開の都合でてきとうに出したのだと思います。気にせずご覧ください。

通りすがりの(この場合は浮浪者と思っていいです)が高そうな品物を狙って襲いかかりますが、
3人は楽々と組み伏せます。
最後のこの立ち回りはただのサービスです。

ここは「三人吉三巴白浪(さんにんきちさ ともえのしらなみ)」の「大川端(おおかわばた)」の場面を強く意識した場面です。
全体にこのお芝居は、過去の自作、過去の名作人気場面をサービス満点に再現しながら構成されている、
一種お遊び作品なのです。

=後半=に続きます。

=50音索引に戻る=


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5 コメント

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はじめまして (しろねこ)
2016-01-17 13:51:39
いつも楽しく興味深く拝読しています歌舞伎・文楽素人です。
この狂言も、三宅坂の初春公演で初体験。まぁこちらの記事とちょこちょこ違うものなんだな、と観ていったら、後半は結構しっかり違っていました。再演にあたり「磨きをかけた」と謳っていたので、オペラなんかのいわゆる“新制作”くらいかと思っていたら、ほほぅ、と。以前の上演にも、黙阿弥先生のホンにも興味がわいてきました。素人ですけれど。
とりあえず「違いましたー」とのご報告と、日頃お世話になっていますお礼のみにて失礼いたします。
返信する
コメントありがとうございます。 (ひろせがわ)
2016-01-18 02:09:13
しろねこさま
コメントありがとうございます。
かなり違うんですねー。今回見に行けそうにない状況ですので、
情報とても助かります。ありがとうございます。
ということは、今回のが決定版とも限らず、また変わるかもなのですね。
一応「現行上演とは違う」と書いておきつつ、
原型をこのまま載せておいて、
今後どうなるか様子をみてみるのがよさそうですね。
助かりました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
返信する
歌舞伎の現代化 (ひらやま)
2016-01-31 23:15:19
古典舞台芸の現代化について考えている音楽家です。
手抜きの無い、しかし わかりやすい解説をしていただきましてありがとうございます。筋だけでなく、全体構成についてのコメントが大変参考になります。
1月の国立劇場公演を観に行ったところ、貴兄が解説されているオリジナル台本との差異があまりに大きい(特に後半)のでびっくりしました。そこで帰りに売店で公演台本を購入し、河竹黙阿弥全集と比べてみました。
この比較から歌舞伎の現代化の一面が見えると面白いかなぁと考えています。
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コメントありがとうございます。 (ひろせがわ)
2016-02-03 03:22:20
ひらやまさま
コメントありがとうございます。
本当にかなり違うようですね。今回行けなかったのですが、上演台本をワタクシも取り寄せることにします。
ありがとうございます。
古典作品の現代化のキーワードは、個人的には
・好みの変化
・客層の変化(女性が増えた)
・先行諸作品についての知識の量の変化
・作劇上の約束事が客と共有できない
・セリフが聞き取れない
あたりかと思いますが、好みの問題よりも、共有情報の不足による制約が一番大きいのだろうと考えています。

今後もがんばります。よろしくお願い申し上げます。

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アドバイスありがとうございます (ひらやま)
2016-02-04 02:35:57
アドバイスをいただきましてありがとうございます。
今回は歌舞伎が置かれた社会的地位という視点から現代化の必然性について考えてみました。先ほど投稿したばかりですが、お時間の許すときにご一読いただければ幸いです。URLは下記の通りです。
http://blog.goo.ne.jp/hirayama41713/e/5cd5308d010be39ad2cbe07ecfc8fc32
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