歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「助六由縁江戸桜」 すけろくゆかりの えどざくら

2013年06月05日 | 歌舞伎
歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)」のひとつになります。
キャラクター、ストーリー含めて歌舞伎最高の人気演目です。

今回、ストーリーと平行して細かいウンチクを書いていくので、読みにくかったら申し訳ありません。
「助六」ばかりはこういう細かいところを見ていかないと楽しくないと思うので、読むのがめんどうかもしれませんがよろしくです。

ストーリーだけを追った「簡易版」もあります。=こちら=です。
さらに急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。

現行上演の出だしの前に、もともとは色々コメディタッチな場面があります。
吉原のにぎやかさや、ばか騒ぎの雰囲気が伝わって来て楽しいです。
ここに、後半に出てくる「白酒売り」が出て、あの「外郎売(ういろううり)」の口上を言ったりしています。
現行上演だと後半で急に出る助六の母親も、本来ははここですでに出ていて前ふりしています。
なので本当は最初から出すとわかりやすいのですが、長くなるので今は出ません。全部出すと3時間くらいかかります。

現行上演の手順を中心に書きます。

幕が開きます。
当時実在した、吉原の中でも最高ランクの遊女屋、「三浦屋(みうらや)」の入り口前です。
中央上手寄りに長い暖簾のかかった入り口、左右に美しい朱塗りの格子がずらりと張り巡らされていますよ。
当時の遊女屋は、通りからからお店中の遊女を見ることができるように、遊女屋はどこも格子張りだったのです。
ピエル・ロチというフランスの将校が明治初期に日本に来て、「秋の日本」という著作の中で当時の遊郭の様子に触れています。
小鳥くらいしか入れておけないような細い華奢な格子が左右の通り一面にずらっと並んでいて、その中に遊女たちがいる。
そこに若い遊女の友達であろう素人娘たちがやってきて、遊女と彼女らがきゃっきゃっと楽しそうに会話している。
なんか平和すぎですがそんな様子だったようです。
「助六」のセットは元禄のころの吉原ですので、もうちょっと大ぶりで、でも豪勢な雰囲気かと思います。

舞台の構造としては、下手の格子の内側に、お囃子のみなさんが控えています。
この「助六」のお芝居でだけ特別に使う「河東節(かとうぶし)」という音楽です。
「河東節」というのは浄瑠璃の一種ですが、江戸末期にはすでにかなり廃れており、今はプロはおりません。
なので「十寸見(ますみ)連」と呼ばれる保存会的なみなさんが毎回演奏します。
「助六」がある限り、河東節がなくなることはないでしょう。

出だし
ジャラン ジャラン という音と共に、鉄棒引き(かなぼうひき)の子供たちが歩いてきて、舞台ですれ違います。
鉄棒引きというのは、音の出る鉄の棒を引っ張って歩いて、火の用心や戸締り用心の注意を喚起して歩いた人です。
とくにストーリーには関係なく、吉原の風俗描写として出てくるのです(江戸市中にも似たのはいました)。
ふつう「金棒引」はオトナなのですが、「助六」のこれが子供なのが、「助六」独自の演出なのか何か理由があるのか、ワタクシわかりません。また調べます。

花魁(おいらん)の行列がいくつも通ります。
花魁が肩を借りているのは「ぎう」と呼ばれる若いモンです。吉原にいる男衆です。「牛」とも「妓夫」とも書きます。
花魁の後ろにいて傘をさしかけているのも「ぎう」です。片手を後ろに回して傘を支える持ち方は、廓独特のものです。

その後ろにいる年配の女性が、「遣手(やりて)」です。客に合わせて遊女を手配する人です。
さらに花魁の身の回りの世話をする、修行中の子供である「禿(かむろ)」が二人続き、
さらに「新造(しんぞう)」と呼ばれるまだ若い遊女が続きます。
これはまだ決まった客を持っておらず、花魁の妹分として花魁のヘルプに付くのです。上方の遊廓だと「引舟(ひきふね)」と呼ばれます。

この後ろに杯や煙草道具、着替えや専用のお布団などの荷物を持った行列が続きます。
これを総称して「花魁道中(おいらんどうちゅう)」と呼びます。
置き屋にいる遊女が、客に呼ばれて揚屋に行くときの、豪華で大げさな様子を「道中(旅行)」に例えた表現ですが、
同時にこの「道中」は、花嫁が嫁入り道具を持って花婿の家まで移動する、「花嫁道中」の「道中」を意識しているとワタクシは思います。
遊女と客の関係は、常に「結婚」を模したまじめっぽいものなのです。

ところで、遊女にはランクがあります。最高位が「大夫(たゆう)」、次が「格子(上方だと「天神」)」です。
さらに「囲(かこい)」、「散茶(さんちゃ)」「埋茶(うめちゃ)」と続きます。
禿と新造を二人連れて、立派な道具を持って移動していいのは最高位の「大夫」だけです。「花魁(おいらん)」と呼ばれるのも、「大夫」だけです。
以下のランクは連れて歩く人数も道具も減るので、「道中」というほどの規模になりませんよ。
「花魁道中」は「大夫」クラスならではなのです。

そして、この「大夫」の位は時代が下るにつれてなくなります。お金がかかりすぎて呼ぶ人が減ったのです。
遊女は比較的リーズナブルな料金&出費ですむ「格子(天神)」以下のみになりました。やがてランク付けそのものがなくなります。
そんなこんなで、「花魁道中」も江戸中期以降、なくなってしまいます。
「助六」に代表される、歌舞伎に描かれる吉原の風俗は、元禄前後の、最も豪華で贅沢だった時代を再現した、動く時代絵巻です。

何人もの「花魁道中」が通った後に、ヒロインの「揚巻(あげまき)」が登場します。
客は揚巻がいつ出るかいつ出るかと思いながらそこまでのきれいな花魁たちを見ていますから、
それらと段違いの美しさ、品のよさを、出た瞬間納得させなくてはならないこの場面は、大変難しいと思います。

揚巻はすでにけっこう酔っぱらっています。
彼女は舞台正面にリアルなセットが組まれた、この「三浦屋」の、専属の大夫です。
今日も他の大夫さんたちと待ち合わせて三浦屋に来たのですが、人気者なので来る途中もあちこちで声をかけられて、相手をしていたら遅くなってしまいました。

吉原では、遊女と宴会を始めるには早いくらいの時間にこの街に入り、
座敷に上る前に茶屋などの店先で表通りの華やかな様子を楽しみながら一杯飲んでいるお客さんが何人もいます。
そのヒトたちが揚巻に声をかけて一杯勧める感じです。
とはいえ揚巻は全盛の花魁ですから、酔っぱらって乱れるようなみっともない真似はしません。
「そんなに酔っていない」と言い張ります。
酔った遊女のあぶなっかしい媚態と、「酔っていない」と言い張る高級遊女らしい気丈さと気位の高さを同時に見せるところが、
この場面の見どころです。

酔っている揚巻に禿が「袖が梅(そでがうめ)」という薬を渡します。これは吉原名物の酔いざましの薬です。
吉原という街は、誰も彼も一日中酔っぱらっている街なので、どの店にもこの薬は置いてありますよ。
ここで揚巻が「これを飲んだらすっかり酔いが醒めた」とわざわざいうのは、宣伝だと思います(笑)。
チナミに、吉原名物の同じ梅製品、「梅甘露」とは別物です。

この「袖が梅」 に引っかけて、揚巻が、
「たがそでふれし ねやのうめぞも」と言います。
これは古今集の和歌、

 色よりも 香こそあはれと思ほゆれ
 誰が袖ふれし 宿の梅ぞも

というのの引用です。

「梅の花は、その色の美しさよりも香りのほうが心にしみいるように魅力的であることだ。
袖には香が薫きしめてあるから袖が触れたものにはいい香りが移るのだが、
この宿(家)の梅は、一体どんな魅力的な人が立ち寄って、こんなすばらしい香りを移したのだろうな」

みたいな意味ですが、
「宿の梅」は暗に女性を示しています。「香り」は、女性の魅力を指します。
「一体どんな人と恋をして、この女性(あなた)はこんなに魅力的になったのでしょうね」
みたいなあやういい意味にも取れてしまう歌です。
古今集の梅の歌は、どれもこういう具合に意味深長です。桜の歌は普通に桜を詠んでいるのに。

「助六」のセリフでは、「宿の梅」を「寝屋の梅」に変えています。
揚屋の寝室のおふとんの上で思う、恋人(助六)の残り香、みたいな意味になります。色っぽいです。

お芝居に戻ります。

揚巻に手紙が届いています。恋人の助六のお母さんの満江(まんこう)さんからです。
助六が吉原に入り浸って帰って来ないので心配しているのです。ちょっと困る揚巻。
現行上演では手紙を読むだけですが、もともとはここで満江さんが実際に出てきて揚巻に声をかけます。助六を心配して揚巻に相談しにきたのです。
見知らぬ老婦人が助六の母だと気づいた揚巻がさりげなく人払いをする機転や、二人の奥ゆかしく愛情深いやりとりも見どころですし、
ふたりの会話から助六の傍若無人な暴れっぷりや、揚巻へのヒモっぷりもよくわかって楽しい場面ですが、
今はカットです。

「意休(いきゅう)」という金持ちそうな老人が出て来ます。「髭の意休(ひげのいきゅう)」と呼ばれます。
敵役(かたきやく)ですが、安い役ではありません。ラスボスランクです。かっこいいです。
お供の若いもんも大勢引き連れて、専用の椅子や座布団、煙草盆や香炉まで持たせての登場です。

白玉(しらたま)という遊女と一緒です。一緒に仲良く出てくるせいで、意休は白玉の客だと思ってしまいがちですが、違います。
今出ない部分で、意休が「頼みがある」と言って白玉を呼び、一度いっしょに退場して、今戻ってきたところです。
知らなくてもお芝居を見るのに支障はないですが、一応書いておきます。

白玉さんは、今の出しかただと役割が中途半端で印象が薄いのですが、本来は揚巻と同格に近い、全盛の大夫です。
揚巻に物を言える唯一の存在、みたいな位置づけです。ふたりはとても仲良しです。
今は少し位取りが低い印象になってしまっている気がします。

お芝居には関係ないですが、「白玉」の名前の由来は、「伊勢物語」の「芥川(あくたがわ)」の段の
「白玉か 何ぞとひとの 問いしとき つゆと答えて 消えなましものを」
から取っています。
万葉集の「白玉は 人に知られず 知らずともよし」の方ではありません。おしることも関係ありません。

ところで、意休というキャラクターもまた、廓にいる人物のひとつの典型です。
たしかに感じの悪い老人ですが、品のない無粋な男ではありません。「意休」というのは本名ではなく俳名でしょうから趣味人でもあります。
むしろ遊郭にとってはこういう客こそが必要なのです。
花道でのセリフからして、漢籍を引用しながらしゃれた感じに締める、教養とセンスに溢れたものです。

意休を見て立ち去ろうとした揚巻を白玉が引き止めます。ここで「その名に負って揚巻さん」と言います。
「揚巻」いうのは、子供の髪型の、左右にくるんとおだんごにしたものをいいます。
「源氏物語」、宇治十帖の「総角(あげまき)」を意識していると思います。漢字違うけど。あと「揚巻結び」という飾り結びがあります。
どれも「くるり」と回るイメージと結び付きますので、白玉は「名前の通り、くるりと回って戻って来て下さいな」と言っているのです。

意休はずっと、揚巻目当てで吉原に通っていますが、何度呼んでも揚巻は断ってばかりでお座敷にすら来ません。
意休はお座敷で宴会だけして、毎回さびしく帰りますよ。
というのはつまり毎回お金だけ払って目当ての遊女に会えなくても文句も言わずに帰っているということです。
ジェントルマンです。

意休の頼みで白玉が揚巻に「お座敷だけでもいいから意休と付き合ってほしい」と取り持ちますが、揚巻は断ります。
恋人の助六に顔が立たないからです。
江戸の遊廓システムは遊女が客を断ることができました。もちろん客が減るリスクがあるので普通はやりませんが、アリではあったのです。

助六の悪口を言う意休。そもそも助六の素行が悪すぎるので、意休が言っている事は事実なのですが、
意休が「助六が喧嘩のたびに相手の刀に手をかける」と言い出し、ドロボウ呼ばわりするので揚巻が腹をたてます。

じっさいは揚巻は吉原の大夫ですから上品な女性です。悪口など言ったことはないのです。
でも、生まれて初めて悪口を言いますよ。
この場面の揚巻の啖呵があまりに派手なので、よく人をこき下ろすセリフの代表のように言われるのですが、
揚巻は普段からこんな事言っているのではありません。
助六のためにおっかなびっくり一生懸命なのです。
という気持ちを考えながらこのセリフを聞くと、また少し違うニュアンスで楽しめるかなと思います。

白玉の仲裁でケンカは一応おさまりますが、揚巻は白玉と一緒に三浦屋の中に入ってしまいます。
他の大夫たちと意休が残ります。

いよいよ助六が登場します。
現行上演、まず三浦屋の主人の役者さんが、下手の格子の中にいる「十寸連(ますみれん)」のみなさんに
「河東節連中(かとうぶし れんぢゅう)のみなさん、始められましょう」とまず挨拶します。
これは職業的に「河東節」を演奏するプロの太夫さんが今はいないので、ふだんはアマチュアの。河東節をお稽古しているみなさんが今は演奏するからです。
演奏するみなさんは、舞台に上がってはいますが、お客様でもあります。なのでご挨拶するのです。
そして一方で、一瞬舞台の流れを断ち切ってウチワのセリフを言う事で、
「助六の登場」はお芝居の流れの一部であると同時に、歌舞伎の最高の一場面を見せるための、一種の儀式だという、
なにかお祭りめいた気分を引き出します。
絶妙の演出だと思います。

というか、河東節は江戸後期には廃れていたので職業的な太夫さんがいなかったのは江戸時代からそうだったらしく、
趣味でお稽古しているひとたちが舞台に上がるのは伝統なようです。
そして、こういうレアお稽古ごとをわざわざ選ぶのは、遊郭でゆったり遊ぶお金持ちの旦那衆かそのお相手の芸者さんなどばかりでしたので、
中途半端な出演料を出すよりは、劇場内でVIPとして優遇することのほうが有効なお礼だったのです。
もちろん桟敷席をずらっと用意したりもしたのですが、幹部俳優のみに許される楽屋用の上履きを彼らも履けるとか、そういうことのほうが大事だったようです。
そういう特別待遇の一環としての、この舞台上でのあいさつだったのです。

こうして万端整ったところに、尺八の音がして、河東節に乗って助六が登場します。
唐傘を使った花道での振りがあります。
ただ、2、3階席からは花道は見えませんので、諦めてそこは、いろいろ想像しながら優雅に座って音を聞いていてください。立たないで!!
いちおうマメ知識ですが、花道正面、舞台のうしろの壁に影が映っていて動きがシルエットで見えます。

助六の動きで典型的なのが、足をバっと開いて腰を落として立つあれです。赤い「下がり」が見えます。
「下がり」はふんどしだと思えばいいです。
ふんどしが見えても下卑た印象にならないのはひとえにその形の美しさゆえです。
足を勢いよく開くわけですから、着物の後ろの縫い目が破れそうですが、
完璧に動くと着物の両サイドが破れるそうです。「真横に」「すごい早さで」足を開くのだと思います。

花道で形を決める助六に、遊女たちが、頭の紫の鉢巻の由来を尋ねます。
助六は「ゆかりの方(かた)の…」と言って、ちょっと拝むしぐさをします。

このお芝居を初演したのは二代目団十郎ですが、
二代目は一時期、奥女中の「江島(えじま)」さまに非常にお世話になったのです。
スキャンダルを恐れた團十郎はてきとうなところで身を引き、しかし芝居通いが続いた「絵島さま」は、
けっきょくほかの役者さんとスキャンダル事件を起こしました。
関連リンク貼ります。=江島生島=
團十郎は、そのとき江島さまにいろいろいただいたプレゼントをしのんで「ゆかりの方の…」と言い、
江島さまが流された長野の高遠の方角を拝むのです。

助六が付けている、この「杏葉牡丹(ぎょうようぼたん)」の家紋も絵島さまのものです。
江島さまは団十郎に、身に付けるものをすべてプレゼントしていたので、
団十郎の着物にはすべてこの紋が付いていた時期があったのです。
ストーリーには関係ないですが、定型のやりとりなのと、形がキレイなので覚えておくといいと思います。

舞台に来る助六。
居並ぶ花魁たちが「吸い付け煙草」を次々に助六に差し出します。
当時はタバコは、煙管(キセル)で飲んでいたのですが、これは火を付けるのがけっこうめんどくさかったのです。
なので遊女が煙管に火を付けて、客に差し出すというサービスが定着していました。これが「吸い付け煙草」です。
間接キスにもなるという一石二鳥のサービスです。
助六は吉原一のいい男なので、遊女たちは助六の気を引こうと争ってサービスします。

さらに遊女たちは助六に、自分たちの間に座るように勧めたりして至れり尽くせりです。
意休も煙草を所望しますが、煙管がもうありません。助六が、足の指に煙管を挟んで意休に差し出したりとイヤガラセをします。
すごく乱暴ですが、助六は理由があって意休を怒らせてケンカに持ち込みたいのです。
意休はそれがわかっているのでなんとか我慢します。

意休がここで
「かわいや、こいつ、てんぼうぞな」と言います。
「かわいや」はかわいそうに、の意味です。「てんぼう」は、手が棒、です。
かわいそうに、足で煙管を差し出すなんて、こいつは手が不自由らしい、と、助六の無礼を切り返しているのです。

さらに、格調の高い論調で「男達(おとこだて)」のあるべき姿や。ただの「気負い」との違いなどを助六に説きます。
それに対して助六は、でたらめな理屈で応戦します「知ったことか!!」という感じです。

ここで意休と助六、それぞれの立ち位置について書きます。
お芝居の上では二枚目の主人公と嫌われものの敵役、でも座頭クラス、という対立です。
社会的立場でいうと、意休の職業は明示されていません。不詳です。「髭大尽」と呼ばれています。
荒っぽい若者を引き連れた、非常なお金持ちです。
高度経済成長期のような雰囲気の元禄の江戸において、おそらく非合法な仕事をして儲けていた男かと思います。

助六は、セリフに「地回り(じまわり)の若いもの」とあります。「地回り」は盛り場をうろつくチンピラです。
お金がないので恋人の高級遊女、「揚巻」に着るものから何から援助してもらっています。
それが、「若くて喧嘩強くていい男」だから通るのです。

最も若くて豊かだった時期の江戸のお芝居です。
お金も地位もなく、多少のルール破りをしていても、魅力があれば許された、ある意味人生ナメた時代の風潮が感じられます。

これはまた、今までの財力と教養をベースとした正統派の上方文化への、
若さとパワーと美意識だけを武器に突き進む「元禄江戸文化」というアンチテーゼでもあると思います。

さらにお芝居の設定を見ていくと、助六は親の敵を討とうと奮闘する「曽我五郎」というお侍です。
意休は実はそれを知っていて内心助六を応援している、という設定です。
お客さんはそれを知っているという前提でお芝居は進みます。

なので意休の演技は助六に対立しながら、じつは助六の言動を包容している雰囲気も持っているのです。
現行上演では次の場を出さないためにその印象はますます強くなります。

一応、設定上の意休の正体を書いておきます。今は無視されています。
助六は「曾我五郎」という設定なわけですが、
史実での「曽我兄弟の仇討ち」は鎌倉幕府設立の翌年です。つまり源平の戦で平家が滅びた直後です。

意休の正体は平家の残党です。「伊賀の平内左衛門(いがの へいないざえもん)」とセリフにはあります。
助六の親の敵は「工藤祐経(くどう すけつね(」という人なのですが、
これは鎌倉幕府の重鎮で「源頼朝(みなもとの よりとも)」の腹心です。
意休は曽我兄弟を味方に付けて、一緒に頼朝の命を狙おうとしているのです。

もちろん助六はそんな話には乗らず、二人は斬り合って意休は殺されてしまいます。

ここまで出して、見る方もこの設定を把握した状態で前半の二人のやりとりを見るとまた印象も変わるかと思いますが、
いまは、まあ、「意休は実は心情的には味方」というくらいを押さえておけばいいかなと思います。

しかし、ふたりが揚巻を巡る恋敵であることに変わりはありません。その点ではガチ対立です。
むしろそっちのほうが敵討ちより大事かもしれません。
そういう緊張感も楽しい部分です。

そうこうするうちに、「くわんぺら門兵衛」という意休の家来が三浦屋から出てきます。
お風呂場で混浴しようと遊女たちを待っていたのにすっぽかされたので怒っているのです。
居合わせた大夫たちが門兵衛を諌めたり笑ったりします。怒り狂う門兵衛。

そこに、「福山かつぎ」がやってきます。吉原に実在したうどん屋「福山」の、出前の若いお兄ちゃんです。
門兵衛が暴れるので福山かつぎにぶつかってしまいます。因縁を付ける門兵衛。
しつこい門兵衛に逆切れした福山かつぎのタンカも見どころです。
主役級が常にずらりと並ぶこの大舞台の中で、売り出し中の役者さん、または成長期の御曹司に振られる、いい役になっています。

助六が止めに入ります。端敵(はがたき)の門兵衛をまったく歯牙にもかけない助六の存在感がすばらしいです。
表情ひとつ変えない横顔が美しいです。
ここで門兵衛の笑える自己紹介と、助六のかっこいい自己紹介のセリフもあります。楽しいです。

いろいろ笑える展開があって、さらに下っ端の「朝顔仙平(あさがお せんべい」)も出て来ます。
ここで仙平が自分のことを「朝顔仙平という、色奴(いろやっこ)さまだ」というのは本来笑えるセリフですが、今は誰も笑いません。
「色奴(いろやっこ)」というのは同じ「奴さん」でも主役級のかっこいい役柄なのです。衣装も派手です。
仙平も「色奴」風の派手な衣装を着ていますが全然かっこよくないです。なので笑えるのです。もちろん助六にやっつけられます。

このへんは「江戸荒事歌舞伎」のフォーマットの典型です。
(しばらく)」も「金平法問諍(きんぴら ほうもん あたそい)」もこれです。

なおも意休を罵る助六。ついカッとなって刀に手をかける意休ですが、
助六の「そらきた」という表情を見て我に返り、喧嘩をやめてしまいます。
とはいえやはり意休もガマンできずに助六を罵り返したり若いもんをけしかけたりします。

ここで意休が周囲に「鼻紙袋に気をつけろ」と言います。
「鼻紙袋」は、紙入れです。お財布代わりにもなっており、ちょっと使うお金も入れてあります。
助六は手癖が悪いのでそれを取られないように気をつけろ、と、イヤミで言っているのです。

ここで意休の手下の若いものと助六との、派手な立ち回りがあります。

ここまでは、古風な「江戸荒事歌舞伎」のショーみたいなもんだと思っていいと思います。
豪快で圧倒的に強くてかっこいい主人公、美しいヒロイン、妙に強そうな悪役、周りでおたおた攻撃して吹き飛ばされる端敵たち、
みたいなかんじです。


さて
意休たちも遊女達も逃げてしまい、助六が舞台に残ります。
助六も店の中にいる揚巻に会いに行きかけたそのとき、
見知らぬ白酒売りの男が助六に声をかけます。

この「白酒売りの七兵衛」も、今は出ない序盤で一度出ているのですが、
現行上演ではここで初めて出るのでちょっと印象が薄いです。

誰かと思ったらこのみすぼらしい(浅葱色の衣装は「みすぼらしい安い服」をあらわします)白酒売りは、
助六、実ハ「曽我五郎」のお兄ちゃんの、「曽我十郎」だったのです。助六はびっくり。

一応曽我ものについてリンク貼ります。お時間があったら見てください。=こちら=

遊郭に入り浸って喧嘩ばかりの弟を非難する兄。
もうすぐ父の敵の工藤祐経(くどう すけつね)を討つ時期だというのに。
そして兄弟の育ての親である曽我祐信(そがの すけのぶ)は、家宝の刀である「友切丸(ともきりまる)」が盗まれたので、今、切腹の危機なのです。
そんなときに何遊んでるんだ!! というかんじです。

助六は、実は自分は、その友切丸を探しているのだと説明します。
吉原にいるのは人が多いからです。しかも遊郭に来る客は、町人でもみんな刀持ってるし。
なのであっちこっちで喧嘩を売っては刀を抜かせて、目指す刀を探していたのです。
そういう事情なら、と仲直りした兄弟、兄の十郎も一緒になって喧嘩をすることにします。

ここは、普通に見ればわかる楽しい場面なので、気楽に見てください。
がんばってケンカの練習をするお兄ちゃんの十郎さんが楽しいです。助六のケンカの売りっぷりもほれぼれします。
しかし最近の道化役の通人さんのハジけっぷりは、たまにやりすぎな気もします。

二人で三浦屋の見世先でいろいろ暴れていると、揚巻が出て来ます。網笠をかぶった小柄なお侍と一緒です。

序盤から全部出せば、これが誰だかすぐにわかるのですが、
今はここで初めて母の満江(まんこう)さんが出るのでわかりにくいです。

自分を待っているはずの揚巻が客と一緒にいるので怒る助六。揚巻やその客に絡みます。
お兄ちゃんの十郎も一緒になって文句を言います。
止める揚巻を振り切って、乱暴にお侍の網笠を取る助六。
あらびっくり。母上。うわやばい。あわてる兄弟。

母親の前だと子供のような兄弟と母親のやりとりが面白いです。
助六がいっしょうけんめい事情を説明し、一応納得する母の満江。

しかし、あまり喧嘩するのは、ひょっと怪我でもしまいものではありません。
そんなムチャをするものではない、人間ガマンが大切です。
そう教えて、母は助六に紙衣(かみこ)と着せます。
紙で作った着物です。乱暴に動くと破れます。この紙衣を母と思って、破れないように我慢せよ、との教えです。

兄を連れて変える満江。助六も伴おうとしますが、意休の刀が気になる助六は、そのまま残ります。
このとき、お兄ちゃんを「祐成(すけなり)」、助六を「時致(ときむね)」と、本名で呼ぶのがなにげに楽しいです。
満江だけがこのお芝居の中で「時代」な演技です。
この落ち着いた雰囲気が華やかな「助六」というお芝居を引き立て、一方で引き締めるのです。

揚巻と助六が残ったところに、揚巻を探していた意休が出て来ます。とっさに豪華な打掛の陰に助六を隠す揚巻。
今は助六は紙衣を着ていて喧嘩できないのでモメないほうがいいのです。

ここで意休と揚巻が会話をする様子は、客と遊女という関係ではありますが、なかなかいい雰囲気です。オトナのカップルです。
きわどいセリフを言う意休に、床几(しょうぎ、ベンチですよ)の下からちょっかいを出す助六も楽しいです。

助六に気付いた意休は、吉原で遊んでばかりで敵を討とうとしない助六を叱り(周囲の大人全員がじつは同じことを思っている)、
扇で打ち据えます。
紙子が破れるといけないので耐える助六。
ここまで好き放題暴れていた助六の「しんぼう場」です。

こういう場面はあまり深く考えず、ウルトラマンが怪獣にやられているシーンと同じ感覚で楽しめばいいのです。
こういうショーです。もっとやれー!! 

「兄弟力を合わせれば敵は討てる、しかし支え合わないなら、このように倒れる」と言って刀を抜き、
手近にあった三本足の香炉を斬ってみせる意休。その刀の刃をすばやく見る助六。まちがいない!!
もちろん意休は、わざと刀を見せたのです。
意休はまた三浦屋の中に戻り、助六は揚巻と相談して。意休の帰りを吉原の出入り口、大門そばで待ち受けることにします。

現行上演、ここで終わりです。

最後まで出すと、白装束の助六が意休の帰りを襲い、意休が平家の残党だという見顕しがあって、
斬りあいになり、意休が斬られます。

異変に気付いた吉原の人々が犯人を捜すので、
助六は近くにあった天水桶(防火用の大きい桶、水が張ってあります)にざんぶともぐって隠れます。本物の水を使います。
桶から出てきた助六は戻ってきた若いモンに取り囲まれますが、出てきた揚巻が打掛の中に助六をかくしてかばいます。
大勢の若いモンを言いくるめて撃退する揚巻。
揚巻の立女形としての位取りや貫禄が試される大事な場面です。鷹揚な上品さや美しさは捨ててはいけないし。

ここまで出すときはポスターなどに「水入り付き」と表記されます。

この場はなんとか切り抜けた助六、またあとで落ち合おう、と言って逃げて行きます。


終わりです。

助六のかっこよさを気楽に楽しみ、江戸荒事の完成形とされる舞台の美しさを愛でるお芝居です。


今は出ない序盤に、「外郎売(ういろううり)」の口上が出ることについて少し書きます。
「外郎売」はもちろん「歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)」のひとつです。
早口言葉の練習用のテキストとして有名でもあります。
一応、吉原に多くいた大道芸人のひとりという設定とはいえ、「外郎売」の長い口上をここに混ぜ込むのは実際は展開上がムリがあります。
これは、有名なアクロバティックな口上で楽しませるというサービスでもあるのですが、もうひとつ意図があります。
「助六」は元禄年間から何度も上演されてきた人気作ですが、ここに「外郎売」を最初に挿入したのは、七代目団十郎です。天保三年のことです。
このときの「助六」で、団十郎は「歌舞伎十八番」の制定を宣言したのです。
そのときに、後に「十八番」に入れるつもりであった「外郎売」を挿入したのは、つまりこの演目のお披露目でもあったのだろうと思います。
「助六」という作品を、いかに市川家が大事にしていたかを感じられるエピソードだと思います。


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3 コメント

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ありがとうございました ()
2011-10-23 09:26:14
はじめまして。先日、名古屋の御園座で観劇してまいりまして、あまりに良かったので、もう一度観てまいります。前回は何も知らずに観たので、次の観劇までに復習したくてインターネットを検索していたら、こちらに出会いました。ストーリーから見所までどれも非常にわかりやすくて、自分のような何も知らない者でも、歌舞伎って面白いなと思うことができました。ありがとうございました。
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イヤホンガイドみたい (揚饅頭)
2013-06-07 11:53:55
本物のイヤホンガイドは耳障りで野暮なので、ここ二十余年、借りたことはないのですが、小山観翁さんの解説は別格で大好きです。
こちらを拝見して、ちょうど、観翁さんのかいせつのようだなぁと感心致しました。口調が柔らかいのもいいですね。

今月の歌舞伎座を観て、この配役では水入りまでは無理だなぁ…と残念です。劇評はここでは野暮と思うので、希望を…
色気と品のある助六と揚巻が観たいですね。廓物でもあるので、匂わんばかりの色気と、実は五郎である品と、最上級の花魁の品格を、いつか再び観たいものです。
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Unknown (さくら)
2013-10-27 04:58:07
情報ありがとうございます。
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