歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「十六夜清心」 いざよい せいしん

2015年06月20日 | 歌舞伎


今は出ない後半部分も書き足しました。

初演時の正式タイトルは「小袖曽我薊色縫(こそでそが あざみのいろぬい)」。
今は「花街模様薊色縫(さともよう あざみのいろぬい)」というタイトルで出すことが多いです。

今は序盤の一部分しか出ませんので、ストーリーは気にせず、
なんとなく、江戸末期に特有の退廃的な美しさを楽しんでいただければいいかと思います。
一応ここではお話全体の説明を書きます。


極楽寺の僧であった「清心」は、遊女屋通いがバレて、破戒僧として罰せられることになりました。
本来は、主人公の「清心(せいしん)」が牢屋から出てくる場面からはじまります。

さて、現代ではお坊さんがキャバクラに行こうが風俗に行こうがなんのお咎めもありませんが、
江戸時代だって基本的には黙認されていました。
なぜ清心が罰せられるのか、現行上演ではあまり説明がないので書いときます。

一応、実際の事件が題材なのもあって舞台は鎌倉時代、場所も鎌倉に設定されています。

・清心のいた「極楽寺(ごくらくじ)」は大きなお寺で、将軍からの「祠堂金(しどうきん、寄付金みたいなものです)」を三千両もらいました。
・これが盗まれました。大さわぎ。この事件がすべての発端になっています。
・清心はお金を管理する立場だったのですが、清心のアリバイがありませんでした。
・捕まって拷問されて、しかたなく「遊女屋にいた」と白状しました。
・お坊さんの遊郭通いは黙認されていたとはいえ、公式書類に書く以上、規則通りの罰を与えなければならなくなりました。
・清心は鎌倉を「所払い(ところばらい)」になり、今日牢から出て追い払われるところです。

小坊主の「教海(きょうかい)」くんと、花売りの「佐五兵衛(さごべえ)」さんが清心に会いに来ています。
佐五兵衛さんは清心の恋人である、遊女の「十六夜(いざよい)」ちゃんのお父さんです。
牢屋にいたので服がボロボロな清心のために十六夜が着物を用意しました。それを渡す場面があります。

清心は優秀な学僧でもあり、将来有望でした。
若い僧に仏学を教えてもいました。教海くんも弟子のひとりです。
娘の十六夜のせいで清心がそれらをすべて棒に振ってしまったので、佐五兵衛さんは非常に申し訳なく思っています。

さて遊女に恋をしてしまったことを仏門にあるものとして深く悔いるセリフがあり、
清心は京都に行って修行しなおす決心を語ります。

この部分があると、清心がとても真面目で優秀な人物だったことがわかるので、後半との対比が引き立つのですが、
出ません。
また、
そのあと出てくる十六夜の美しさと可憐さに「ああ、これなら色道に迷うのもムリはない」となるわけですが、
出ません。


舞台が回って、有名な「稲瀬川百本杭(いなせがわ ひゃっぽんぐい)」のシーンになります。
舞台の手前が川になっており、杭がたくさん並んでいます。

「十六夜(いざよい)」ちゃんが登場します。
現行上演はここから出すと思います。
鎌倉時代の設定なので、鎌倉の「大磯遊郭」の「扇屋(おうぎや)」の遊女です。
清心にひと目会いたくて廓を抜けてきました。
人声がすると追っ手かと思ってハラハラしているのですが、
どうにか清心と出会います。

京都に行くと聞いて一緒に行きたいという十六夜ちゃん。
清心はそれを断り、遊郭での勤めをがんばって、お父さんを大切に、と言います。
ショックを受けて十六夜ちゃんは手前の川に身を投げて死のうとします。とめる清心。
十六夜ちゃんは妊娠しているのです。ひとりにされたら生きてはいられない、と言います。

連れても行けず、しかし死なせては親の佐五兵衛さんに顔向けができません。
しかたがないと、ふたりは一緒に死ぬことにします。

お互いに別れを惜しんで、飛び込みます。

ところでここでの清心の衣装に、「色気のある無地の着付」と原作台本にはっきり指定があるのですが、
これがつまり十六夜ちゃんが送ったものです。
よく考えたらきっぱり切れないといけない相手の送った服を着ている時点で清心はもうダメなのです。


また舞台がまわって、今度は川の中です。船が浮かんでいます。
「俳諧師(はいかいし)の白蓮(はくれん)」さんが船頭の「三次(さんじ)」さんをつれて網を打って魚をとっています。
今はあまり趣味で網漁はやらないですが、当時はふつうの道楽です。

ここでの白蓮と三次の会話は、江戸の趣味人とそれの相手をするこなれた町人との、文字通り「粋な」会話なのですが、
単語の意味がわからない人も多いと思うので今はカットかもしれません。
初演で「三次」を演ったが名優の「三代目中村仲蔵」ですので、本当にいいシーンだったろうと思います。
ここでチラっと、白蓮が十六夜ちゃんの客であることを言っています。

さて網に魚がかかったと思ったら、水死体ですよ。ていうか生きていますよ。ていうか十六夜ちゃんですよ。
あわてて手当して蘇生させます。
十六夜ちゃんは、さすがに清心のことや妊娠のことは話せず、
遊女屋の主人のあつかいがひどくてつらくて、と嘘の身投げ理由を言います。
そういうことなら、と、お金持ちである白蓮は十六夜ちゃんを身請けすることにします。
お腹の子供のためにも、しばらくは生きていようと思い直す十六夜ちゃんです。

しかし心がかりは、一緒に死んだ清心です。
さぞ生き残った自分を恨むだろうと、ちょっと怖くなる十六夜ちゃん。
夜の川面というのは真っ暗で恐ろしいものです。
作者は「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」ですがこの人のお芝居でもよく夜の川から水死体や幽霊が出てきます。

ここで船頭の三次が「出ますよ」と言います。
船を出すという意味ですが、幽霊が出るのだと思ってあわててよろけて、白蓮に倒れかかる十六夜ちゃん。
いい気分な白蓮。「悪くねえな」。

という最後のこの部分がとても有名な場面なのですが、
夜の川の恐ろしさ、白蓮という男の鷹揚な金持ちですが遊び人らしい色気もある雰囲気、
そういうものが伝わりにくい昨今なので、何がいいのかわからなくなっていると思います。まあしかたがありません。

また、この「出ますよ」のセリフがむずかしいので有名で、
あまり気味悪くいってはだめで、でも軽く言っては怖さが出ない。とてもむずかしいセリフです。
中村仲蔵に言わせるのが前提のセリフなので難易度はAAAです。しかたありません。


また舞台が回って、もとの「百本杭の場」になります。
清心は千葉の生まれで漁師の息子なので泳ぎは得意なのです。
なのでうまく溺れ死ぬことができずに浮かび上がってしまいました。
袂(たもと)に石をたくさん入れてまた飛び込もうとしますが、遠くのお座敷船で楽しそうに宴会をしています。
なんだかんだで遊女屋の遊びに慣れていた清心、ふと心を惹かれて足を止めます。

ここに通りかかるのが「寺小姓(てらこしょう)」の「求女(もとめ)」くんです。
「求女」という名は歌舞伎によく出てくる美少年の名前です。
「寺小姓」という設定ですが、清心のいたお寺とも関係はありません。
いかにも男色(なんしょく)の匂いがする色気と、初々しさとを体現するためだけの設定だと思います。

今は出ない序盤に説明があって、この求女くんは佐五兵衛さんの息子、十六夜ちゃんの弟です。
佐五兵衛さんは旅費の足しにと清心にお金を渡したくて、求女くんに頼みました。
どうにか五十両を工面した求女くんは、佐五兵衛さんに届けに行くところなのです。

ここで、お互いに気づかずにお互いの状況を代わりばんこに言うセリフがあります。
「渡りぜりふ」の一種ですが、ここはあえてまったくかみあわないセリフを交互に言い、
最後「ああどうしたらよかろうなあ」だけが一致します。
求女くんはまじめに困っていますが、清心は死ぬつもりなのに迷っています。
同じセリフなのにまったく意味合いが違うというレトリックになっています。

さて、寒さで具合が悪くなってしまった求女くんを助けて介抱するうちに持っているお金に気付いた清心は、
お金を貸してくれと頼みます。
十六夜を死なせてしまったおわびに佐五兵衛さんに渡そうと思ったのです。
というわけで実際は求女くんのお金は清心に渡すはずのものなのですが、どちらもそれを知りません。
お金の奪い合いになります。

以降の展開は
・清心はお金を脅し取ろうとする
・求女くん、護身用の刀を振り回す
・はずみで杭を斜めに切り落とす。先は鋭い。
・もみ合う
・倒れた求女くんの喉に杭の先が刺さって死ぬ

というかんじです。事故ですが清心のせいには間違いありません。

お詫びに死のうとした清心ですが、また聞こえる宴会の音。
同じ一生なら、生きているうちは遊んで楽しく過ごそうと決心した清心、
求女くんのお金を奪い、死体を川に蹴落とします。

ここは、「殺し場」と言われる見せ場の1ジャンルになります。
特にこういう「若衆(わかしゅ)殺し」の場合は、殺しの凄惨さを見せると言うよりは、
まるで強姦でもしているかのようなエロティシズムを楽しむ場面になります。
作者の「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」の得意分野です。

さて、急に清心が惡人になるこの展開は、特に大きなきっかけもなく、説得力がないように見えるかもしれませんが、
要するに清心は、最初からけっこうダメなのです。よく見るとそういうダメさが前半の随所に描かれているところが
作者の「黙阿弥」の上手さだと思います。

ここで白蓮と十六夜が船から上がって通りかかります。
初演台本ですと、清心が一度お金を落として、それを拾った船頭の三次とのちょっとした「だんまり」がありますが、
いまはカットだと思います。

お互いに気づかない十六夜ちゃんと清心。
それぞれが選んだ新しい人生を歩み始めます。

というところで今はおわりです。


後半も書きます。

・白蓮別宅

十六夜ちゃんは「おさよ」とふつうの名前に戻って白蓮(はくれん)の別宅でお妾をしています。
白蓮の妻の「お藤(おふじ)」さんが、女中の「お虎(おとら)」に連れられて様子を見に来て隠れています。
白蓮の取り巻きが遊びに来たりと、当時の趣味人の交友関係のダメな部分が描かれたりの場面があります。
おさよちゃんの父親の「佐五兵衛」さんは、今は出家して「西心(さいしん)」と名乗っています。

白蓮とおさよちゃんはは一緒に寝ているのですが、深夜ふとんを抜けだして、何やら位牌を拝んでいるのがバレて、
おさよちゃんは清心との事や妊娠していることを告白し、
本当は出家して死んだ(と思っている)清心の菩提を弔いたいのだと言います。
白蓮はこれを承知します。おさよちゃん感謝します。
話を聞いていたお藤さんも出てきておさよちゃんと和解し、姉妹の約束をします。
西心さんがおさよちゃんの頭を剃り、ふたりは旅に出ます。

当時売り出し中のだった大人気の若女形、岩井粂三郎(いわい くめさぶろう)をくりくり坊主にするという
思い切った展開が話題になりました。


・白蓮本宅
ここは「ゆすり場」です。たまにですが出ます。

前の幕から1年ほどたっています。
白蓮(はくれん)は本宅に戻ってお藤さんと仲良く暮らしています。
この家で働いている下女さんが家出して行方不明だとさわいでいる、ちょっとコミカルなくだりがあります。
料理人の杢助(もくすけ)さんがふたり分働かなくてはならなくなって大忙しです。

白蓮の肩書は「俳諧師」になっていますが、職業は金貸しです。
公金や寺社が運営資金を市民に貸して利子を取る「名目金(みょうもくきん)貸し」という制度があったのですが、
これを代行していたということのようです。バックに権力者が付いているウマい商売です。
セリフに「御室の御所(おむろのごしょ)のご用を」とあるので、
京都の仁和寺(にんなじ)のお金を扱っていた設定だと思います。
白蓮は誰にでもポンポン貸して取り立てもゆるい仏のような金貸しなのが描かれます。

さてここにやってきたのが「おさよ」ちゃんと「鬼あざみの清吉(せいきち)」です。
「十六夜」ちゃんと「清心」です。
「おさよ」ちゃんも今はすっかりすれっからしになってしまいました。
清心はともかく、おさよちゃんがここまで性格変わる経過は特に描かれず、
いちおうセリフで「おさよは旅の途中で悪者にさらわれた」「山の中のばあさんの家で子供を産んだがそのばあさんも悪者だった」などの説明がある程度で、
イキナリ別人のようになって出てきます。

いちおう、以前は箱根の山の中での妙な「だんまり」の場面があったこともあるらしいです。
ここに、清心(清吉)と十六夜(おさよ)、そしてよくわからないお婆さんが出てきたようなので、これが十六夜を世話していた婆さんなのでしょう。
ってこの場面があっても何の説明にもなっていませんが。

当時の作品に似た展開が多かったので、さらわれるシーンなどははしょっても大丈夫だったのだと思います。
下の方で少し書きますが、上演形態の都合でこの作品はふつうより多少短いので、
そういう都合もあるのだろうと思います。

ふたりは街道筋を旅しながらいろいろ悪いことをしながら鎌倉に流れてきました。
清心は「鬼あざみの清吉(せいきち)」という名ですっかり有名です。
昔のツテで、白蓮からいくらかゆすり取ろうとこの屋敷にやってきました。

ゆすりの手順はこんなかんじです。

・まずおさよが出て行ってしおらしい感じで家に置いてくれと頼む。
・白蓮了承。
・連れがいるので一緒に置いてくれと頼む。
・清吉(清心)出る。
・ふたりが夫婦でどろぼうだと言う。でもしばらく住ませてね。清吉は玄関番でもしますから。
・しかし清吉はイガグリが伸びた髪型です。
髷(まげ)がない人は、今で言うとピンク色のモヒカンよりも異様なのです。
・髪が伸びたら置いてあげるからまたおいで、という白蓮。
・「おさよは妾としてさんざん白蓮の相手をさせられた上に、お藤の嫉妬もあって無理やり頭を剃らされて追い出された」と
前幕の話をねじまげて因縁をつけ始めるふたり。
・家に置けないなら、しばらく旅に出るから旅費をくれ。百両くれ。
・30両くらいでももらえるかなと思っていたら、白蓮はあっさり百両くれます。おどろくふたり。

「ゆすり」の手順はこんなかんじです。
最初はしおらしかったおさよちゃんが、どんどん悪っぽくなって、
挑発するように白蓮に色気を使ってみせたりするところが楽しいところです。

さて、もらった百両なのですが、時代劇でよく見る感じに紙に包まれて封印がしてあります。
清吉がこれに目をつけます。この封印の形に見覚えがあるのです。
清吉は極楽寺の僧で、極楽寺から三千両が盗まれたせいで今この状態なわけですが、
あのとき寺にあった三千両に封印を押したのは清吉(清心)でした。
まってこの印形は俺が押したやつじゃん!!

ここで物語は急展開です。
極楽寺で盗まれた金を、封をしたまま白蓮が持っているということは、
その金を盗んだのは白蓮です。
おどろく一同。
このとき、料理人の杢助(もくすけ)の驚き方がワザとらしいです。
というか、杢助は前の幕から挙動がときどきヘンです。もっと言うなら脇役にしては妙にいい役者さんがやっています。
杢助はじつは幕府のお侍で、白蓮がアヤシイと見て潜入捜査しているのです。
という話はおいておいて、

こうなったら盗んだ三千両くれないと帰らないと言い出す清吉。


お藤や使用人を落ち着かせて下がらせた白蓮は、
いかにも自分は泥棒だと名乗ります。
しかも、お寺ばかりを狙うので有名だった伝説の大泥棒、「大寺正兵衛(おおでら しょうべえ)」だったのです。
びっくりして急に敬語になるおさよちゃんと清吉。

さて、三千両という大金はそうそう盗めるものではない。ここが足の洗い時と思った白蓮は、
盗んだ金でカタギになって金貸しをしていたのでした。
しかしマジメに商売していたわけではないので、じつはもうお金はありません。三百両くらいしかないです。
これはお前らにやるから、まあカタギにもなれないだろうが、生きているうちはせいぜい楽しく暮らせ、
という白蓮。
全部はもらえないというふたりと、てきとうに二百両と百両に分け、
清吉はお金を入れようとお守り袋を出します。

お約束の展開で、お守りの中身から素性がわかって、正兵衛(白蓮)と清吉は兄弟だと判明します。

しかしゆっくり昔を懐かしでいる暇はありません。杢助がいません。役所に報告したようです。
ここでお藤さんが「私も訴人して助かろう」と逃げようとして正兵衛に斬られます。
じつはお藤さんは、一緒に逃げたいけれど足手まといだし、残っても拷問して殺されるので、
夫の正兵衛に殺してもらったのです。
その覚悟と愛情に感心する一同。
しかし討手がやってきます。逃げる前に、貸付証文を全部焼き捨てる正兵衛。イケメン。

立ち回りがあり、再開を約束して3人は二手に分かれて逃げます。


最後の幕です。絶対出ないですが書きます。

・無縁寺
身寄りのない遺体を葬るお寺です。最下層のひとびとのたまり場になります。
作者の黙阿弥が得意とする、アクの強い生活感にあふれる場面です。

まず、前幕にちょっとあった、白蓮の家のお手伝いさんが家出したさわぎの続きがちょっとあります。楽しいです。
そこに船頭の三次(さんじ)が「早桶(はやおけ、棺桶です)」を墓場に担ぎ込んできます。
白蓮が十六夜ちゃんを船で拾い上げたときの船頭さんです。
この三次はそのあとも白蓮の取り巻きとしてウロウロしている役柄なのですが、
じつは盗賊としての白蓮(大寺正兵衛)の手下なのです。
早桶の中には正兵衛が隠れています。死体に見せかけて逃げる計画です。

ひとさわぎあって全員退場して、
おさよ(十六夜)ちゃんと清吉(清心)が出てきます。以前生まれた、ふたりの間の赤ん坊を抱いています。
おさよさんの父親の西心(さいしん)さんが、ここで墓守をしているので会いに来たのです。
やさしくて真面目だったふたりが泥棒になってしまったのを悲しむ西心さんですが、
とにかく無事を喜び合い、子供を見て喜びます。

ここで、弟の求女(もとめ)くんはちょうど1年前に稲瀬川で殺された、という話になり、
清吉は自分が殺したのが求女くんさと気付いてショックを受けます。

というところに来客です。隠れるふたり。
お侍がやってきます。
これが、初演以降一度も出ていないお家騒動に関係する部分で、
簡単に書くと
このお侍の義理の兄の「八重垣紋三(やえがき もんざ)」が、家宝の「みどり丸の短刀」を盗まれたせいで切腹したのです。
その墓参りに来たのでした。
隠れてこれを聞いて、さらにショックを受ける清吉。
この刀を盗んだのは清吉だったのです。今も持っています。
さらに西心も自分の親も、昔は八重垣の家の家来だったことがわかります。

自分の犯した罪が、すべて近しい人に跳ね返っていたのに気付き、
宿業のおそろしさを知る清吉。

さて西心さんは、近所の付き合いで浄瑠璃を聴きに行きます。
「恋娘昔八丈(こいむすめ むかしはちじょう)」。
内容の説明は省略しますが、主人公の娘が引き回しの末に処刑される場面がります。
この場面の哀切な浄瑠璃をバックに、以降のお芝居は展開し、浄瑠璃のセリフとお芝居の内容がシンクロする演出になります。

清心はおさよちゃんに事情を説明し、自分はお詫びに死ななければならないと言います。
だったら自分が死ぬというおさよちゃん。
どっちが死ぬかもみあいになり、清心がはずみでおさよちゃんを斬ってしまいます。
死ぬおさよ。
赤ん坊を殺そうとして殺しきれない清吉は、赤ん坊を残し、
自分が死ぬ理由を書き残して切腹します。
ここで使っている短刀が、盗んだ「みどり丸」です。

戻ってきた西心さん、そして早桶の中に隠れていた正兵衛もやってきます。
事情を知った正兵衛は介錯して清吉の首を切り落とし、
い合わせたさっきのお侍がみどり丸の短刀を受け取ります。

このあと、無縁寺の門外での、逃げようとする正兵衛と追っ手との立ち回りが付きます。

これで全部です。

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タイトルの説明
いまは「十六夜清心」というサブタイトルがいちばん通りがいいかと思います。
もともとのタイトル「小袖曽我薊色縫(こそでそが あざみのいろぬい)」というのは、
初演時は「曾我もの」のお芝居の後半部分として上演されたことからきています。
最後のほうにチラっと書いた「八重垣紋三」に関係する部分がそれです。
前半部分は以降一度も上演されておらず、この「十六夜と清心」の部分だけが何度も出ています。

一応、いまは「花街模様薊色縫(さともよう あざみのいろぬい)」というのが正式タイトルとして主流ですが、
実際には遊郭の場面は一度もないので、
こちらもまあ、だいたい雰囲気だけのものなのだと思います。

「曾我もの」については=こちら=に解説があります。今回はあまり関係ありません。


初演は安政6年なのですが、
これは、有名な人気作の「世話情浮名横櫛(よはなさけ うきなのよこぐし)」(切られ与三郎)の6年後になります。
そして、作中にいくつか共通点がありますので、作者の河竹黙阿弥はこの作品をかなり意識して書いたのだろうと思います。

まず、今はこの場面は出ませんが、「世話情」でお富さんは与三郎との密会がバレて海に飛び込んで逃げ、夜釣りをしていた和泉屋の大番頭の「多左衛門」に拾われます。
十六夜が拾われる展開と似ています。
さらに、このお芝居の「白蓮」も「多左衛門」も、
演じたのはどちらも「関三十郎(せきさんじゅうろう)」というかたで、
当時はとても人気があった手堅い演技のかっこいい立役の役者さんです。
このお芝居では「白蓮」がじつは大泥棒という設定で、後半荒っぽい演技になりますが、
「世話情」のほうでは、お富さんの最初の旦那で木更津のヤクザの親分である「赤間源左衛門(あかま げんざえもん)」を、
関三十郎が二役で演じています。

後半に「ゆすり」の場面があるところ、ゆすられた側が実は血縁者なところ、自分から多額の金を渡して逃がすところも同じです。

おそらく黙阿弥は「ほぼ同じ内容で主演のふたりだけまったくタイプが違う」という状況をわざと作り、
ここまでテイストが違う作品を作れるよ、というお遊びをやったのだと思います。

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