「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅ てならいかがみ)」一段目の出だしの部分です。
今は序段(大序)は絶対出ないので、通しで出すときの最初の部分がここになります。
というわけで、「大序」を見ないとわからない細かい設定がすっとばされた状態でお芝居が始まってしまいます。
ここを見るために必要な情報だけ書きます。
今は平安時代、醍醐帝の時代です。
平安時代前半、安定期にさしかかる直前の、ある意味最後の大きな政変がこのお芝居のモチーフです。
醍醐帝は今病気で執務が出来ません。
左大臣は、「藤原時平(ふじわらの ときひら)」です。
ただしお芝居では「しへい」と音読みするので注意してください。
右大臣は、「菅原道真(すがわらの みちざね)」です。
こちらは「しょうじょう」「かんしょうじょう」等と呼ばれます。
「大臣」の唐名(からな、唐風の呼び方)が「丞承(じょうしょう)」なのですが、「しょうじょう」は、その誤読です。
「しょうじょう」で定着してしまったので道真を呼ぶときはこの呼び方です。ほぼ固有名詞です。
「菅原伝授」を見るときは「しへい」と「かんしょうじょう」というセリフが絶対に出ますので、覚えていったほうがいいです。
時平は悪人です。帝の病気を利用して自分が帝になりかわろうという黒い野心を持っています。
そのためにジャマなのが、人格者の道真と、帝の弟にあたる斎世(ときよ)親王です。
基本設定はこれくらいです。
じゃあお芝居の説明に入ります。
加茂神社のそば、加茂川のほとりの土手が舞台です。
早春の、のどかで生命感にあふれた舞台面です。
醍醐帝が病気なので、平癒祈願のために、今日は道真、時平、斎世親王、全員が加茂神社に来ています。
お芝居全体の主人公は、梅王丸(うめおうまる)、松王丸(まつおうまる)、桜丸(さくらまる)という三つ子の若者たちです。
梅王丸が一番兄です。それぞれ、道真さま、時平、斎世親王、の「牛飼舎人(うしかいとねり)」をしています。
「牛飼舎人」というのは貴族が乗る牛車(ぎっしゃ)の牛を追って走らせる仕事です。専属運転手みたいなもんです。
身分は低いですが、貴人のすぐそばにいる仕事です。
「舎人(とねり)」の職分や定義は何種類かあるのですが、割愛です。ここでは貴人に召し使われる身分の低い家来と思えばいいです。
梅王丸、松王丸が舞台にいます。
梅王と松王との会話で三つ子の基本設定が説明されます。
3人は、都のはずれ、佐太村(さたむら)というところで、四郎九郎(しろくろう)というお百姓さんの息子として生まれました。
三つ子は非常にめずらしかったので、四郎九郎は何か妙な事がおこらなければいいがと心配したのですが、
道真「かんしょうじょう」)さまが、「三つ子は吉相で縁起がいい」と言って、
3人をそれぞれ、貴人の牛飼いとして雇ってくれたのです。
そして、四郎九郎には自分が大切にしている梅、松、桜の3本の木の世話をする役目を与えました。その木にちなんで、三つ子の名前も付けられたのです。
なので道真さまは3人にとって名付け親(セリフで「烏帽子親(えぼしおや)」と言っているのがそう)にもあたります。大恩があるのです。
おかげで父親の四郎九郎も安楽な暮らしができるようになりました。全部道真さまのおかげです。
なので、それぞれの主人に尽くすのは当然だが、それを越えて、道真さまへの恩を忘れてはいけないぞ、と梅王が言います。、
そんな事はわかっていると松王。
みたいな会話です。
あと、今度父親の七十のお祝いがあるから三人ともヨメを連れて集まれと言われた、みたいな会話があります。
この段には関係ないですが、通しで見ると後の「賀の祝」につながる部分です。
まだ何の問題も起きていない状態での平和な会話の内容が、後の展開を示唆しています。それが後の悲劇を引き立てるのです。
桜丸がやってきます。 「もう儀式も後半だから様子見に行け」と言われて、退場する梅王と松王。
というのはウソで、桜丸は二人を追い払ったのです。
合図をすると現れるのは、道真の娘の「苅屋姫(かりやひめ)」です。
桜丸の奥さんの「八重(やえ)」に連れられています。
舞台上の牛車の中には「齊世(ときよ)」親王が隠れています。
二人は以前から好き合っていました。斎世親王が何通も恋文を書いたのです(浄瑠璃で「千束の文(ちつかのふみ)」と言っているのがそれです)。
なので桜丸と八重が共謀して逢い引きを手助けしたのです。二人に後押しされて一緒に牛車の中に入る親王と苅屋姫。
苅屋姫16歳、親王17歳と、若いカップルです。
ここはすでに結婚していてワケ知りで大人な桜丸夫婦と若い二人の対比を楽しむように本来書かれていると思うのですが、現行演出では桜丸は優しげで若々しい、和事の役柄になっています。
奥さんの八重に至っては、結婚しているのに振り袖で、娘のなりです。今の演出だとふたりは夫婦ですがエッチしてない風の初々しいキャラクターとして描かれます。
しかし、文楽の台本を見ると実はふたりはかなり大人です。下ネタ連発です。
「おまえがひょっと怪我でもしたら、晩から俺が不自由な」と桜丸が八重に言いますから、バリバリエッチもしています。
牛車の中に入ったふたりについて、
「お手水(おちょうず)がいるかもしれぬ」と八重。手を洗わないといけないかも、と言っているので、これはこれですごい発言ですが、
桜丸は「お手水どころかお行水がいるかもしれぬ」と返します。汗びっしょりですか!!
そんなかんじに「さばけた」ふたりなのです。
さらに言うと、
「菅原」には、桜丸が飴売りに化けて、苅屋姫と斎世親王とを飴の箱に隠して旅をするという所作(しょさ、踊りね)がついているのですが、
人間ふたりをかついで旅するのは現実的ではないということもあって、駄作とされており、まず出ませんが、
これも力強い大人の男である「桜丸」が主人公なら、少々雰囲気も違うことでしょう。
現行演出の桜丸と八重は非常に華やかで若々しく描かれます。これはこれで非常に魅力的でが、
ただ、このキャラクターは主に、この後の段、「賀の祝」のあたりに合わせた設定ですので、この段、「加茂堤」を見ると、役者さんにもよりますが多少違和感があるかもしれません。
そういう演出上の事情をちょっと頭の隅において見ると、見やすいかもしれないと思います。
八重が(お手水の水をくみに)河原に下りていったところで、時平の家来、悪役の三善清行(みよしの きよつら)が手下を連れて登場します。
斎世親王が神事の途中で抜け出して、しかも道真の娘と逢引していることがバレたのです。きゃあああ!!
牛車の中がアヤシイから見せろという清行、桜丸は知らないと言い張って、力ずくで相手を追い散らします。
文楽の台本を読むとこのへんの描写を読んでも、桜丸の本来の力強いキャラクターがしのばれます。足は松の根のようにたくましく、力強く大地を踏みしめます。
というわけで、歌舞伎用語ですと「色奴(いろやっこ)」という役柄が、本来の桜丸だと思います。
この場面の展開も、ほかの「色奴」が出てくるお芝居の定番の展開とほぼ同じです。
お芝居の話に戻ります。
さわぎに紛れてあわてて逃げていく斎世親王と苅屋姫。
悪役の清行らは牛車の中にふたりがいないので、あわてて探しに行きます。
桜丸も戻ってきて、二人を探して守るべく退場します。おそらく、
苅屋姫はじつは道真さまの養女なので、河内にいる実の母親のところにいくはずです。桜丸もそこを目指します。
しかし桜丸は「牛飼い舎人」ですから牛車を放り出すわけにはいきません。しかたないので牛車は八重にまかせて行きます。
八重は、桜丸の舎人の衣装である白張(はくちょう)を受け取って振袖の上からはおり、牛車を引っ張ります。
もちろん牛を引いたことなどないのでたいへんなのですが、桜の枝をムチにしてがんばります。
最後のほうはこの所作立ての動きを楽しむ部分です。
お話としてはこれだけです。
後半の「道明寺(どうみょうじ)」や「賀の祝(がの いわい)」に続きます。
前後関係とセリフが理解できないと少しわかりにくい場面ですが、早春の都の郊外を背景に初々しい恋人や若々しい美しい若者たちがならぶ、春らしい華やかな雰囲気です。
=「菅原」もくじに戻る=
=50音索引に戻る=
今は序段(大序)は絶対出ないので、通しで出すときの最初の部分がここになります。
というわけで、「大序」を見ないとわからない細かい設定がすっとばされた状態でお芝居が始まってしまいます。
ここを見るために必要な情報だけ書きます。
今は平安時代、醍醐帝の時代です。
平安時代前半、安定期にさしかかる直前の、ある意味最後の大きな政変がこのお芝居のモチーフです。
醍醐帝は今病気で執務が出来ません。
左大臣は、「藤原時平(ふじわらの ときひら)」です。
ただしお芝居では「しへい」と音読みするので注意してください。
右大臣は、「菅原道真(すがわらの みちざね)」です。
こちらは「しょうじょう」「かんしょうじょう」等と呼ばれます。
「大臣」の唐名(からな、唐風の呼び方)が「丞承(じょうしょう)」なのですが、「しょうじょう」は、その誤読です。
「しょうじょう」で定着してしまったので道真を呼ぶときはこの呼び方です。ほぼ固有名詞です。
「菅原伝授」を見るときは「しへい」と「かんしょうじょう」というセリフが絶対に出ますので、覚えていったほうがいいです。
時平は悪人です。帝の病気を利用して自分が帝になりかわろうという黒い野心を持っています。
そのためにジャマなのが、人格者の道真と、帝の弟にあたる斎世(ときよ)親王です。
基本設定はこれくらいです。
じゃあお芝居の説明に入ります。
加茂神社のそば、加茂川のほとりの土手が舞台です。
早春の、のどかで生命感にあふれた舞台面です。
醍醐帝が病気なので、平癒祈願のために、今日は道真、時平、斎世親王、全員が加茂神社に来ています。
お芝居全体の主人公は、梅王丸(うめおうまる)、松王丸(まつおうまる)、桜丸(さくらまる)という三つ子の若者たちです。
梅王丸が一番兄です。それぞれ、道真さま、時平、斎世親王、の「牛飼舎人(うしかいとねり)」をしています。
「牛飼舎人」というのは貴族が乗る牛車(ぎっしゃ)の牛を追って走らせる仕事です。専属運転手みたいなもんです。
身分は低いですが、貴人のすぐそばにいる仕事です。
「舎人(とねり)」の職分や定義は何種類かあるのですが、割愛です。ここでは貴人に召し使われる身分の低い家来と思えばいいです。
梅王丸、松王丸が舞台にいます。
梅王と松王との会話で三つ子の基本設定が説明されます。
3人は、都のはずれ、佐太村(さたむら)というところで、四郎九郎(しろくろう)というお百姓さんの息子として生まれました。
三つ子は非常にめずらしかったので、四郎九郎は何か妙な事がおこらなければいいがと心配したのですが、
道真「かんしょうじょう」)さまが、「三つ子は吉相で縁起がいい」と言って、
3人をそれぞれ、貴人の牛飼いとして雇ってくれたのです。
そして、四郎九郎には自分が大切にしている梅、松、桜の3本の木の世話をする役目を与えました。その木にちなんで、三つ子の名前も付けられたのです。
なので道真さまは3人にとって名付け親(セリフで「烏帽子親(えぼしおや)」と言っているのがそう)にもあたります。大恩があるのです。
おかげで父親の四郎九郎も安楽な暮らしができるようになりました。全部道真さまのおかげです。
なので、それぞれの主人に尽くすのは当然だが、それを越えて、道真さまへの恩を忘れてはいけないぞ、と梅王が言います。、
そんな事はわかっていると松王。
みたいな会話です。
あと、今度父親の七十のお祝いがあるから三人ともヨメを連れて集まれと言われた、みたいな会話があります。
この段には関係ないですが、通しで見ると後の「賀の祝」につながる部分です。
まだ何の問題も起きていない状態での平和な会話の内容が、後の展開を示唆しています。それが後の悲劇を引き立てるのです。
桜丸がやってきます。 「もう儀式も後半だから様子見に行け」と言われて、退場する梅王と松王。
というのはウソで、桜丸は二人を追い払ったのです。
合図をすると現れるのは、道真の娘の「苅屋姫(かりやひめ)」です。
桜丸の奥さんの「八重(やえ)」に連れられています。
舞台上の牛車の中には「齊世(ときよ)」親王が隠れています。
二人は以前から好き合っていました。斎世親王が何通も恋文を書いたのです(浄瑠璃で「千束の文(ちつかのふみ)」と言っているのがそれです)。
なので桜丸と八重が共謀して逢い引きを手助けしたのです。二人に後押しされて一緒に牛車の中に入る親王と苅屋姫。
苅屋姫16歳、親王17歳と、若いカップルです。
ここはすでに結婚していてワケ知りで大人な桜丸夫婦と若い二人の対比を楽しむように本来書かれていると思うのですが、現行演出では桜丸は優しげで若々しい、和事の役柄になっています。
奥さんの八重に至っては、結婚しているのに振り袖で、娘のなりです。今の演出だとふたりは夫婦ですがエッチしてない風の初々しいキャラクターとして描かれます。
しかし、文楽の台本を見ると実はふたりはかなり大人です。下ネタ連発です。
「おまえがひょっと怪我でもしたら、晩から俺が不自由な」と桜丸が八重に言いますから、バリバリエッチもしています。
牛車の中に入ったふたりについて、
「お手水(おちょうず)がいるかもしれぬ」と八重。手を洗わないといけないかも、と言っているので、これはこれですごい発言ですが、
桜丸は「お手水どころかお行水がいるかもしれぬ」と返します。汗びっしょりですか!!
そんなかんじに「さばけた」ふたりなのです。
さらに言うと、
「菅原」には、桜丸が飴売りに化けて、苅屋姫と斎世親王とを飴の箱に隠して旅をするという所作(しょさ、踊りね)がついているのですが、
人間ふたりをかついで旅するのは現実的ではないということもあって、駄作とされており、まず出ませんが、
これも力強い大人の男である「桜丸」が主人公なら、少々雰囲気も違うことでしょう。
現行演出の桜丸と八重は非常に華やかで若々しく描かれます。これはこれで非常に魅力的でが、
ただ、このキャラクターは主に、この後の段、「賀の祝」のあたりに合わせた設定ですので、この段、「加茂堤」を見ると、役者さんにもよりますが多少違和感があるかもしれません。
そういう演出上の事情をちょっと頭の隅において見ると、見やすいかもしれないと思います。
八重が(お手水の水をくみに)河原に下りていったところで、時平の家来、悪役の三善清行(みよしの きよつら)が手下を連れて登場します。
斎世親王が神事の途中で抜け出して、しかも道真の娘と逢引していることがバレたのです。きゃあああ!!
牛車の中がアヤシイから見せろという清行、桜丸は知らないと言い張って、力ずくで相手を追い散らします。
文楽の台本を読むとこのへんの描写を読んでも、桜丸の本来の力強いキャラクターがしのばれます。足は松の根のようにたくましく、力強く大地を踏みしめます。
というわけで、歌舞伎用語ですと「色奴(いろやっこ)」という役柄が、本来の桜丸だと思います。
この場面の展開も、ほかの「色奴」が出てくるお芝居の定番の展開とほぼ同じです。
お芝居の話に戻ります。
さわぎに紛れてあわてて逃げていく斎世親王と苅屋姫。
悪役の清行らは牛車の中にふたりがいないので、あわてて探しに行きます。
桜丸も戻ってきて、二人を探して守るべく退場します。おそらく、
苅屋姫はじつは道真さまの養女なので、河内にいる実の母親のところにいくはずです。桜丸もそこを目指します。
しかし桜丸は「牛飼い舎人」ですから牛車を放り出すわけにはいきません。しかたないので牛車は八重にまかせて行きます。
八重は、桜丸の舎人の衣装である白張(はくちょう)を受け取って振袖の上からはおり、牛車を引っ張ります。
もちろん牛を引いたことなどないのでたいへんなのですが、桜の枝をムチにしてがんばります。
最後のほうはこの所作立ての動きを楽しむ部分です。
お話としてはこれだけです。
後半の「道明寺(どうみょうじ)」や「賀の祝(がの いわい)」に続きます。
前後関係とセリフが理解できないと少しわかりにくい場面ですが、早春の都の郊外を背景に初々しい恋人や若々しい美しい若者たちがならぶ、春らしい華やかな雰囲気です。
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女性の心も盗みました
五右衛門 つまらない物を切ってしまった
次元 10次元 神の領域
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