所作(しょさ、踊りね)ものです。
ベースになっているのは「曽我もの(そがもの)」といわれる作品ジャンルです。
「曽我もの(そがもの)」というのは、父親を殺された曽我十郎(兄)五郎(弟)の兄弟が10年の歳月を経て敵である「工藤祐経(くどう すけつね)」を狙い、ついに敵討ちをした
という史実をもとに作られた、一連の歌舞伎その他の作品群を指します。
一応解説ページへのリンクは貼ってありますが、この踊りについては細かいことはとくにチェックしなくても大丈夫です。
この作品のモチーフは、「寿曽我対面(ことぶき そがのたいめん)」に代表される「対面」の場面です。
敵討ちの直前に、兄弟が敵の工藤に対面するという場面です。この場ではとくに事件はおこらず、後の再開を約束して別れます。
という内容の、これはオマージュ作品になっています。
曽我五郎、十郎の兄弟が芸人に化けて、父の仇とねらう「工藤祐経」の館に入り込みます。
兄弟は工藤に詰め寄りますが、居合わせた「静御前(しずかごぜん)」がこれを止め、一緒に踊ります。
という筋ですが、とくに御殿らしいセットはなく、工藤祐経も出てこないので、お兄さんふたりとキレイなお姉さんが踊ってるのを楽しくご覧ください。
というか、一緒に出てくる「静御前」は「源義経(みなもとの よしつね)」の恋人ですから曽我兄弟とは関係ない人です。
ジャンル的には「義経もの」に出てくる人です。
ただ、曽我兄弟の仇討は1193年。義経が死んだのが1189年。
「義経記(ぎけいぎ)」の中に、静が頼朝に会って義経の命乞いをする場面がありますから(史実ではない)、時代は合っているといえば合っています。
ってそんなことは歌舞伎なのでどうでもよくて、ただ華やかな舞台を楽しめばいいのです。
とはいえ、かれらはそれぞれ「曽我もの」の主人公と「義経もの」の中有新人物ですから、本来は同じ演目に登場することはありません。
これは、例えると、違うドラマの主人公とヒロインが特番で競演しているような内容なのです。
歌舞伎的な言い方をすると、「義経もの」と「曽我もの」が「ないまぜ」になっている、ということになります。
ということも含めて、お正月らしいおおらかな踊りです。
ついでに言うと「曽我の対面」は江戸時代は毎年お正月の興行にはかならず出していましたので、春らしい演目ということになります。
今の感覚ですとお正月というのは冬ですが、旧暦ですと二月半ばです。「初春(はつはる)」ということばがよく似合う早春の季節です。
踊りので曾我兄弟が「七草を叩く」振りが入ります。だから「娘七草」というタイトルになっています。
昔は野山で摘んできた七草を包丁で細かく叩いてお粥に入れたのです。切らずに叩くことで、薬効成分がよく出たのだと思います。
七草は春先の薬草ですから、カラダを活性化させる系のものです。
こういう薬草は成分が飛ばないようにぬるめのお湯で手早く煮だすのがいいのです。と「養生訓」に書いてありました。
昔は
♪唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に なづな七草 はやしてほとと♪
と歌いながら七草をまな板の上で叩いきました。 長唄の文句にも似たようなのが入っています。
おそらく、春先の冷えて免疫力の落ちた体。そこに渡り鳥が来る。
今よりずっと生活の近い場所にいたこれらの渡り鳥が、知らない土地からいろいろ伝染病を持って来るということを昔の人は経験的に知っていたのでしょう。
カラダをあたため、活性化させ、殺菌効果も期待できる七草粥を食べることでウイルスの感染を防げることも経験的に知っていたのでしょう。
ただ季節的な習慣としてではなく、本当に体を守るために、昔の人は「七草粥」を食べたのだと思います。
そして新春にその光景を舞台に乗せることで、見る人々が一年を健やかに過ごせるように祈ったのだと思います。
そんな風俗や季節感を思い浮かべながらご覧いただくと、よりお楽しみいただけるかと思います。
=50音索引に戻る=
ベースになっているのは「曽我もの(そがもの)」といわれる作品ジャンルです。
「曽我もの(そがもの)」というのは、父親を殺された曽我十郎(兄)五郎(弟)の兄弟が10年の歳月を経て敵である「工藤祐経(くどう すけつね)」を狙い、ついに敵討ちをした
という史実をもとに作られた、一連の歌舞伎その他の作品群を指します。
一応解説ページへのリンクは貼ってありますが、この踊りについては細かいことはとくにチェックしなくても大丈夫です。
この作品のモチーフは、「寿曽我対面(ことぶき そがのたいめん)」に代表される「対面」の場面です。
敵討ちの直前に、兄弟が敵の工藤に対面するという場面です。この場ではとくに事件はおこらず、後の再開を約束して別れます。
という内容の、これはオマージュ作品になっています。
曽我五郎、十郎の兄弟が芸人に化けて、父の仇とねらう「工藤祐経」の館に入り込みます。
兄弟は工藤に詰め寄りますが、居合わせた「静御前(しずかごぜん)」がこれを止め、一緒に踊ります。
という筋ですが、とくに御殿らしいセットはなく、工藤祐経も出てこないので、お兄さんふたりとキレイなお姉さんが踊ってるのを楽しくご覧ください。
というか、一緒に出てくる「静御前」は「源義経(みなもとの よしつね)」の恋人ですから曽我兄弟とは関係ない人です。
ジャンル的には「義経もの」に出てくる人です。
ただ、曽我兄弟の仇討は1193年。義経が死んだのが1189年。
「義経記(ぎけいぎ)」の中に、静が頼朝に会って義経の命乞いをする場面がありますから(史実ではない)、時代は合っているといえば合っています。
ってそんなことは歌舞伎なのでどうでもよくて、ただ華やかな舞台を楽しめばいいのです。
とはいえ、かれらはそれぞれ「曽我もの」の主人公と「義経もの」の中有新人物ですから、本来は同じ演目に登場することはありません。
これは、例えると、違うドラマの主人公とヒロインが特番で競演しているような内容なのです。
歌舞伎的な言い方をすると、「義経もの」と「曽我もの」が「ないまぜ」になっている、ということになります。
ということも含めて、お正月らしいおおらかな踊りです。
ついでに言うと「曽我の対面」は江戸時代は毎年お正月の興行にはかならず出していましたので、春らしい演目ということになります。
今の感覚ですとお正月というのは冬ですが、旧暦ですと二月半ばです。「初春(はつはる)」ということばがよく似合う早春の季節です。
踊りので曾我兄弟が「七草を叩く」振りが入ります。だから「娘七草」というタイトルになっています。
昔は野山で摘んできた七草を包丁で細かく叩いてお粥に入れたのです。切らずに叩くことで、薬効成分がよく出たのだと思います。
七草は春先の薬草ですから、カラダを活性化させる系のものです。
こういう薬草は成分が飛ばないようにぬるめのお湯で手早く煮だすのがいいのです。と「養生訓」に書いてありました。
昔は
♪唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に なづな七草 はやしてほとと♪
と歌いながら七草をまな板の上で叩いきました。 長唄の文句にも似たようなのが入っています。
おそらく、春先の冷えて免疫力の落ちた体。そこに渡り鳥が来る。
今よりずっと生活の近い場所にいたこれらの渡り鳥が、知らない土地からいろいろ伝染病を持って来るということを昔の人は経験的に知っていたのでしょう。
カラダをあたため、活性化させ、殺菌効果も期待できる七草粥を食べることでウイルスの感染を防げることも経験的に知っていたのでしょう。
ただ季節的な習慣としてではなく、本当に体を守るために、昔の人は「七草粥」を食べたのだと思います。
そして新春にその光景を舞台に乗せることで、見る人々が一年を健やかに過ごせるように祈ったのだと思います。
そんな風俗や季節感を思い浮かべながらご覧いただくと、よりお楽しみいただけるかと思います。
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昨日(1/20)歌舞伎鑑賞に行って来ました。
長唄を習っています。
時々歌舞伎座へは足を運んでいます。
曽我兄弟と静御前の取り合わせに疑問を持ちネット検索したら貴方のブログを見つけました。
納得しました。
私は薬剤師です。貴方の七草粥のコメントにも感心しました。
今後は予習をさせていただいてから歌舞伎鑑賞に出掛けたいと思います。
お世話になりますが宜しくお願い致します。