「鴎」の字が本当は違うんですが、ウエブで表示されないっぽいので上の字で代用します。
ホントは「区」の代わりに「歐」の左側が付きます。
所作(踊りね)です。
タイトルに主人公ふたりの名前も並べて
「お染久松 浮塒鴎(おそめ ひさまつ うきねのともどり)」 と呼ぶことが多いです。
油屋のお店(おたな)の一人娘の「お染(おそめ)」ちゃんと、丁稚(でっち)の「久松(ひさまつ)」くんとの恋と心中は、
じっさいにあった事件です。
これをモチーフにいくつも浄瑠璃や歌舞伎の作品、読本が作られました。
お姫様のように美しい豪商の娘と、まだ前髪の美少年との身分違いの恋というのが絵的にも楽しく、
人気ジャンルだったのです。
戦前くらいまでは「お染久松」といえば子供でも知っていてシャレに使ったりしていました。
というわけで、基本設定を知らない現代人は置いてけぼりで舞台が始まりますが、ここでは
おうちの事情で嫌な相手と結婚させらそうな「お染」ちゃんが、恋人の「久松」くんと心中しようとしている、
ということだけわかっていればいいと思います。
もともとはお芝居の一部のような仕立てになっており、心中しようと家出したふたりを探す店のひとたちや
久松の本来の許婚(いいなずけ)である「お光」ちゃんとその父親、
「お染」ちゃんと結婚するはずだった「山家屋佐四郎」(名前はときどきで変わる)などが出てくる前半部分があるのですが、
今は全部カットです。
心中しようとしているふたりですが、
久松くんはお染ちゃんのお店(おたな)に雇われている身分なので、
やはりお嬢様を殺してしまうなんて申し訳ないという気持ちがあります。
なので一応「自分は死にますが、お染さまはどうにか生き残って」とか言いますが
お染ちゃんは怒ります。
そもそも「お染さま」ってなんなの。「お染」って呼んで!!
今までのなれそめなどを語って愛を確認するところが前半の見せ場です。
ここで
「女猿引(さるひき)」というのが出て、コミカルなかんじになります。
「猿引(さるひき)」というのは猿回しの門付け芸人さんです。
これは浄瑠璃の「道行」の定番テクニックで、
しっとりした、ある意味重い雰囲気の舞台の途中に、コミカルなキャラクターを出して目先を変えるのです。
いくら名文句でも毎回毎回しんみりゆったりしていたらお客さんが飽きるので、こういう工夫をしたのだと思います。
ふたりを見て幽霊かと驚く猿引さんですが、ああ、今ウワサのふたりか、と気付きます。
すでにふたりのスキャンダルは世上で有名で、大道芸人たちが唄にして歌い歩いているという設定です。
セリフで「歌祭文(うたざいもん)」と言っているのがそれです。
もともとは神道系の祝詞に節をつけて歌っていた芸能なのですが、
だんだんとひとの興味を引きそうな男女の物語などを歌うようになったものです。
実際はふたりの話はこういう俗謡になったのはふたりが死んだ後ですが、
ここでは「すでに唄になっていて大評判」みたいな設定になっています。
その「歌祭文」の内容をちょっと変えて、
死なずに思いとどまったなら結局は幸せになり、親も安心するよ。みんな心配しているよ。
と言外に言い聞かせる猿引さんなのです。
さらに猿引さんは、ふたりの幸せと、お芝居の繁盛を祈っておめでたい舞を猿に舞わせます。
猿引さん退場します。
見ず知らずのひとの心遣いに感謝しつつ、やはり決心は変わらないふたり。
お互いの気持ちを確かめ合ったふたりは、よりそって花道を退場します。
終わりです。
以前はここに、悪い番頭さんとか絡んでいろいろあったようですが、今はカットです。
内容的にはそんなかんじですが、
他にチェックポイントとしては、
お染ちゃんは、町娘なのですが、大きいお店(おたな)のお嬢様であることと、
あと手代の久松くんとの身分違いの恋を引き立たせるためもあると思うのですが、
他の町娘の役と違って、「お姫さま」と同等の振り付けで踊っていいこことになっています。
具体的には「振袖の袖を使っていい」ということです。
細かいことですが、これがアリだと見栄えが全然違うのです。
お染ちゃんは、衣装や髪型、ヘアアクセ(簪と言え)などもお姫さま役に準ずる華やかなものを使っており、
一方で町娘らしい軽やかな雰囲気も持っているので、他にはない、特別な魅力があります。
久松くんも、他の心中作品の男性キャラクターと違って、元服前の「前髪」ということで、
まだ少年の雰囲気、独特の色気を残しています。
ほとんどの「お染久松もの」で、「久松は武家の出身」という設定を取っていることもあり、
ただの丁稚(でっち)ではないきりりとした部分もあります。
というわけでふつうの町人の情死とはちがう、品のある雰囲気を持っていると思います。
人気があった「お染久松もの」ですが、
今残ってるのはこの作品と、
「新版歌祭文(しんぱん うたざいもん)」と
鶴屋南北(つるやなんぼく)の「お染久松色読販(おそめひさまつ いろのよみうり)」(通称「お染の七役」)くらいです。
「お染の七役」はかなりアレンジされた内容なのであまり原型は残っていません。
「新版歌祭文」は初期の作品で原型どおりですが、
今は「野崎村(のざきむら)」というひと幕しか出ず、
そこでは最近の演出では久松くんの許嫁であるお光ちゃんが主役あつかいです。
お染ちゃんはあまり目立ちません。
というわけで、お染ちゃんと久松くんの恋模様をゆっくり楽しめるのは、
今はこの作品だけどいうことになります。
貴重です。
=50音索引に戻る=
ホントは「区」の代わりに「歐」の左側が付きます。
所作(踊りね)です。
タイトルに主人公ふたりの名前も並べて
「お染久松 浮塒鴎(おそめ ひさまつ うきねのともどり)」 と呼ぶことが多いです。
油屋のお店(おたな)の一人娘の「お染(おそめ)」ちゃんと、丁稚(でっち)の「久松(ひさまつ)」くんとの恋と心中は、
じっさいにあった事件です。
これをモチーフにいくつも浄瑠璃や歌舞伎の作品、読本が作られました。
お姫様のように美しい豪商の娘と、まだ前髪の美少年との身分違いの恋というのが絵的にも楽しく、
人気ジャンルだったのです。
戦前くらいまでは「お染久松」といえば子供でも知っていてシャレに使ったりしていました。
というわけで、基本設定を知らない現代人は置いてけぼりで舞台が始まりますが、ここでは
おうちの事情で嫌な相手と結婚させらそうな「お染」ちゃんが、恋人の「久松」くんと心中しようとしている、
ということだけわかっていればいいと思います。
もともとはお芝居の一部のような仕立てになっており、心中しようと家出したふたりを探す店のひとたちや
久松の本来の許婚(いいなずけ)である「お光」ちゃんとその父親、
「お染」ちゃんと結婚するはずだった「山家屋佐四郎」(名前はときどきで変わる)などが出てくる前半部分があるのですが、
今は全部カットです。
心中しようとしているふたりですが、
久松くんはお染ちゃんのお店(おたな)に雇われている身分なので、
やはりお嬢様を殺してしまうなんて申し訳ないという気持ちがあります。
なので一応「自分は死にますが、お染さまはどうにか生き残って」とか言いますが
お染ちゃんは怒ります。
そもそも「お染さま」ってなんなの。「お染」って呼んで!!
今までのなれそめなどを語って愛を確認するところが前半の見せ場です。
ここで
「女猿引(さるひき)」というのが出て、コミカルなかんじになります。
「猿引(さるひき)」というのは猿回しの門付け芸人さんです。
これは浄瑠璃の「道行」の定番テクニックで、
しっとりした、ある意味重い雰囲気の舞台の途中に、コミカルなキャラクターを出して目先を変えるのです。
いくら名文句でも毎回毎回しんみりゆったりしていたらお客さんが飽きるので、こういう工夫をしたのだと思います。
ふたりを見て幽霊かと驚く猿引さんですが、ああ、今ウワサのふたりか、と気付きます。
すでにふたりのスキャンダルは世上で有名で、大道芸人たちが唄にして歌い歩いているという設定です。
セリフで「歌祭文(うたざいもん)」と言っているのがそれです。
もともとは神道系の祝詞に節をつけて歌っていた芸能なのですが、
だんだんとひとの興味を引きそうな男女の物語などを歌うようになったものです。
実際はふたりの話はこういう俗謡になったのはふたりが死んだ後ですが、
ここでは「すでに唄になっていて大評判」みたいな設定になっています。
その「歌祭文」の内容をちょっと変えて、
死なずに思いとどまったなら結局は幸せになり、親も安心するよ。みんな心配しているよ。
と言外に言い聞かせる猿引さんなのです。
さらに猿引さんは、ふたりの幸せと、お芝居の繁盛を祈っておめでたい舞を猿に舞わせます。
猿引さん退場します。
見ず知らずのひとの心遣いに感謝しつつ、やはり決心は変わらないふたり。
お互いの気持ちを確かめ合ったふたりは、よりそって花道を退場します。
終わりです。
以前はここに、悪い番頭さんとか絡んでいろいろあったようですが、今はカットです。
内容的にはそんなかんじですが、
他にチェックポイントとしては、
お染ちゃんは、町娘なのですが、大きいお店(おたな)のお嬢様であることと、
あと手代の久松くんとの身分違いの恋を引き立たせるためもあると思うのですが、
他の町娘の役と違って、「お姫さま」と同等の振り付けで踊っていいこことになっています。
具体的には「振袖の袖を使っていい」ということです。
細かいことですが、これがアリだと見栄えが全然違うのです。
お染ちゃんは、衣装や髪型、ヘアアクセ(簪と言え)などもお姫さま役に準ずる華やかなものを使っており、
一方で町娘らしい軽やかな雰囲気も持っているので、他にはない、特別な魅力があります。
久松くんも、他の心中作品の男性キャラクターと違って、元服前の「前髪」ということで、
まだ少年の雰囲気、独特の色気を残しています。
ほとんどの「お染久松もの」で、「久松は武家の出身」という設定を取っていることもあり、
ただの丁稚(でっち)ではないきりりとした部分もあります。
というわけでふつうの町人の情死とはちがう、品のある雰囲気を持っていると思います。
人気があった「お染久松もの」ですが、
今残ってるのはこの作品と、
「新版歌祭文(しんぱん うたざいもん)」と
鶴屋南北(つるやなんぼく)の「お染久松色読販(おそめひさまつ いろのよみうり)」(通称「お染の七役」)くらいです。
「お染の七役」はかなりアレンジされた内容なのであまり原型は残っていません。
「新版歌祭文」は初期の作品で原型どおりですが、
今は「野崎村(のざきむら)」というひと幕しか出ず、
そこでは最近の演出では久松くんの許嫁であるお光ちゃんが主役あつかいです。
お染ちゃんはあまり目立ちません。
というわけで、お染ちゃんと久松くんの恋模様をゆっくり楽しめるのは、
今はこの作品だけどいうことになります。
貴重です。
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