歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

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「野崎村」 のざきむら

2013年07月25日 | 歌舞伎
「新版歌祭文 (しんぱん うたざいもん)」上の段の後半部分です。
このタイトルの意味はいちばん下に書きました。

油屋の一人娘のお染と、手代(従業員)の久松(ひさまつ)との心中事件は実話で、当時かなり話題になり、これを題材にした作品がいくつも作られました。これはその代表作です。
ただ、全段通して出すことはまずなく、この「野崎村」と呼ばれる幕だけしか、今は残っていませんよ。
そして、現行演出ではこの段の主人公はお染ちゃんや久松くんではなく、久松くんの許婚でありながら、ふたりのために身を引く、お光ちゃんという女の子です。
ということもあり、
主人公の久松くんは実は武士の息子でお家が断絶してどうこう、とか、 お染ちゃんと久松くんが、いろいろあって最後心中することとか、
そういう、本来のこのお芝居の主筋である部分は、今はあまり省みられなくなっていますよ。

というわけで、前後の段の細かい部分についてはここでは書きません。
主人公の久松くんが、
「実は武士の家の生まれ、わけあって野崎村の、とある農家の養子になっている」
「そこの家の娘のお光ちゃんと許婚(いいなずけ)になっている」
「今は大阪の大きいお店(おたな)「油屋」で今は奉公している」
「お光ちゃんと許婚だけど、久松には恋愛感情はない」
「奉公先のお店の娘、お染ちゃんと相思相愛」
「店の金を取ったことにされている」

などの、基本設定と当面のトラブル要因を押さえておけば混乱せずに見られるかと思います。

あと、お染ちゃんは金持ちの男と結婚させられそうになっています。まるで親指姫のように。連れて逃げてチョウチョさん。
という点も押さえたほうが、二人が心中しようとしている理由がわかりやすいかも。あ、お染ちゃん妊娠5ヶ月です。久松くんの子です。

大阪にほど近い(三里)、野崎村という村のお百姓さん、久作(きゅうさく)さんの家が舞台です。
旧暦のお正月のちょっと前という季節です。
旧暦のお正月は2月上旬ごろです。
その年は立春すぎにお正月が来て、今でいうと季節は2月の半ば近くです。
庭先にはもう、梅が咲いていますよ。りっぱな家ではないですが、風情のある気持ちのいい舞台面です。

娘のお光ちゃんがかいがいしく働いています。
お母さん(もうけっこう年)が病気なので看病したり、お父さんの久作さんのめんどうもみたりで忙しいです。やさしいいい娘ですよ。
許婚の久松くんが大坂から帰ってきて、結婚できる日を待ちわびています。

浄瑠璃語りの門付けが来ます。
「お夏清十郎(おなつ せいじゅうろう)」という、これも有名な心中カップルを描いた浄瑠璃の本を売り歩いています。
追い払おうとするお光ちゃんですが、久作さんが出てきて本を一冊お光ちゃんに買ってあげます。
これは、このあとお染と久松が、お夏清十郎と似たような状況になることを意識しての演出です。後のほうでセリフでも引き合いに出されます。

今日はお婆さんの体調が少しいいです。天気もいいので、息子(養子)の久松くんが働いている大阪のお店(おたな)、油屋さんに、ちょっと年末のごあいさつに行ってこようと出かける久作さん。
お土産にと藁に包んだ山芋を持ちますが、庭先の梅を一枝折って、一緒に持っていくところが何とも言えずいい風情ですよ。

そこに、思いがけなく久松(ひさまつ)が帰って来ます。性格悪そうな手代の小助(こすけ)と一緒です。
久松に会えて喜ぶお光ですが、小助が言うには、
「久松は遊女屋で遊ぶために店の金を一貫五百目(150万円くらい)使い込んだ」
「さらにお店のお嬢様のお染さまにまで手を出した」
使い込んだ金を取り立てるために実家に連れてきたのだ、さあ返せ。
ベタベタな昔の上方言葉なので聞き取りにくいかと思いますがそんな内容です。
ていうか、お店のおかみさんは、疑いが本当か見極めるまでは実家にあずける、と言っただけのはずなのに、小助が勝手に「金返せ」と暴れているのです。
お光ちゃんパニック。

そこに戻ってきた久作さんが、あわてず小助を押さえます。かっこいいです。
持っていた藁包みから出てきたのは芋じゃなくて、銀です。一丁銀というのですが説明割愛、とにかくお金です。
金を渡して小助を追い返す久作さん。

久作さんは久松のトラブルを全部知っていました。お金を渡して久松を連れ帰ろうと大阪に行くところだったのです。
うまいタイミングで戻ってきてよかったです。戻ってきた事情は本筋に関係ないので割愛です。
お金はお寺に寄進するのにためておいたものだから、心配ないと余裕で言う久作さんですが、
本当は久松のために全財産、家も農地も売り払ったのです。
これは、実の娘が久松くんを好きなので、娘のため、というのと、
一度養子にした以上、その子の人生に全責任を負う。実子に対して以上に責任がある、
というような当時の倫理観も関係しています。

こうなったらお店奉公もやめさせるので、今日にでも祝言だ。
お正月が近いからご馳走も酒もあるし。と、決まります。
したくしろと言われて喜ぶお光ちゃん。驚くけど何もいえない久松。

舞台に一人残ったお光ちゃんが、いそいそと婚礼のご馳走のナマスのために大根を刻みます。
お話とは関係ないですが、大根刻んだものがごちそう?という気がするかもしれませんが、
少なくとも江戸後期、上方において「なます」と言えば「刺身」のことです。
それ以前でも「野菜と刺身をあえたもの」がナマスだと思っていいです。
なので「なます」は、このあと切った大根に魚を混ぜ込むのです。魚と野菜の割合は経済力によって決まります。
というわけで、舞台で切ってるのは大根ですが、これは「お刺身」の準備です。

急なお嫁入りなので何の支度もしていないお光ちゃん。包丁に顔を写して髪を直してみたり、眉を落とした顔をシミュレーションしてみたり、いろいろウキウキの動作があります。

そこにお染ちゃんがやってきます。
大阪の、大きなお店の一人娘です。ほんとうに垢抜けた、美しい子ですよ。
田舎の農家の庭の裏木戸にやってくる振袖のお嬢様。場違いなかんじが、お染ちゃんの美しさを引き立てますよ。
「こいつが久松さんの恋人か!!」 とすぐに気付いてつんけん応対するお光ちゃん。
久松くんに許婚がいるのを知らないのでお光ちゃんの態度の理由がわからず、イマイチ空気読めないお染ちゃん。
お光ちゃんは、お染ちゃんを門の外に締め出しますよ。

久作さんが出てきます。
お光ちゃんと久松くんで、久作さんにお灸やあんまをする場面になります。
締め出された門口から、久松に合図を送るお染ちゃん。怒るお光ちゃん。変なところにお灸を据えられて熱がる久作さん。
ここは楽しい場面ですが、事情は深刻です。結婚当日に三角関係!!
しかもお染ちゃんは妊娠しています。

久作さんがお光ちゃんを連れて一度引っ込み、お染と久松の逢引場面です。
一緒になれないならひとりで死ぬというお染の言葉に、心中を決意する久松くん。
事情を察している久作さんが出てきてふたりをなだめ、いろいろ意見をします。
ここで出だしの「お夏清十郎」が引き合いに出されます。
その場は納得するふたり。反論できないし。
でも後で抜け出して死ぬ覚悟なのです。そこまでは気付かない久作さん。

とにかく、もう、さっさと婚礼だ!! ということでお光ちゃんを呼び出す久作さんなのですが、
出てきたお光ちゃんがかぶっていた綿帽子を脱いだら、
お光ちゃんは髪を切って尼になっていたのです。もう、数珠も首にかけています。
驚く一同。
「私とムリに結婚させようとしたら、久松さんは死んでしまう。なら、私は尼になって久松さんを諦める」というお光。
「(結婚できると思って)嬉しかったのはたった半時(1時間くらい)…」
かわいそうです。
泣いて手を合わせるお染と久松。

ここで病気のお母さんが出てきて、病気でもう目が見えないので、お光ちゃんがきれいな服や簪を身に付けていると信じており、あれこれ様子を尋ねるという泣かせる場面があるのですが、現行上演、お母さんじたい出ないこともあります。
付随して、ストレスに耐えかねたお染ちゃんがやっぱり死のうとして止められたり、真実を知ってお母さんがショックを受けたり、お光と父母みんなでふたりを諌めたりというシーンがあるのですが、一部カットかもしれません。

とにかく、おうちではお染ちゃんを心配しているに違いないです。早く送り届けなくては。
と言っていたら、
そこに入ってきたのはお染ちゃんの母親です。こっそりお染ちゃんを迎えに来たのです。

また、久作さんが小助に渡したお金は、表向き受け取っておけばいいので、と言って返します。
久松くんが取ったんじゃないことはわかっているのです。
お金を返してもらったのだから久松もお店に帰っていいので、3人で帰ることになります。

とはいえ、ただでさえウワサになっているふたり、一緒に帰ってきたら何言われるかわかりません。
お染ちゃんとお母さんは、近くに流れる川(寝屋川)を舟で、
久松くんはお母さんが乗ってきた駕篭で帰ることになります。
この場面から、恋人同士が何かの理由で(主に水陸)別ルートで移動することを、「まるでお染久松だな」と昔は言いました。今は通じません。

早春の野崎村の土手の上、咲き誇る梅。
土手で見送る尼姿のお光ちゃんと父親の久作さん。
駕篭で花道を行く美少年、久松くん、
舞台上に作られた川に船、ゆるゆると漕いで去っていく赤い振袖のお染ちゃん。
「兄さん、おまめで(お元気で)」と、「久松さん」と言っていたのに呼び方まで変えて、気丈に見送るお光ちゃんが、最後に泣き崩れる現行演出も含めて、
歌舞伎の中でも非常に有名な美しい場面ですよ。

江戸時代の「人情もの」の描き方のひとつの典型を味わえる、という点でも貴重な作品です。
役者さんがそろった「野崎村」は本当に見応えがあります。ぜひどうぞ。


最後まで出すと、けっきょくふたりは心中して死んでしまいます。
悲しいですが、しかたない事情なのです。


あと、
タイトルの「新版歌祭文(しんぱん うたざいもん)」の意味について書きます。
「祭文(さいもん)」というのは、その名の通り「お祭りの文句」ですよ。神社での祈祷の際の、祝詞(のりと)の一種です。
独特の節回しだったので、この節に合わせて祝詞ではないセリフを付けていろいろ歌ってあるく芸能が発達しました。これが「歌祭文(うたざいもん)」です。これはもう、神事とは関係ないものになります。
いろいろあって、主に語られたのが、男女の情事や心中を語る内容でした。エキセントリックな歌詞を乗せて
家々を回り、門付け芸をしたのでしょう。
というわけで、この「お染久松」の心中も散々この「歌祭文」のネタになっていたのです。
という文化的下地をもとに、この作品は書かれました。
今までの歌祭文の内容や、歌舞伎や浄瑠璃の先行作品を基にしながら、新しい設定や展開も盛り込み、より完成度を上げたのがこの作品です。なので「新版」なのです。


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