おめでたいときによく出します。お正月とか襲名披露とか。「寿」付きますし。
「曽我十郎(そが じゅうろう)」(兄)「五郎(ごろう)」(弟)の兄弟が、子供のころに殺された父親の敵を討つものがたりが題材です。
これは「曽我物語(そがものがたり)」と呼ばれる一大ジャンルとして、中世文学と芸能の一部を担っていました。
明治ごろまでは「曽我兄弟」は非常に有名だったのです。
とはいえ、「曽我物語」がすでに「何それ」な昨今、細かいコトはてきとうにご覧ください。
と思ったのですが、「曽我もの」全体についての解説書きました。長いです。
江戸歌舞伎の特色をおさえる上ではチェックいれておいたほうがいいかもしれません。
歌舞伎は毎年最低一回は、かならず「曽我もの」出ますし。
=こちら=です。
ここでは「寿曽我対面」の解説を書きます。
・時代
鎌倉時代
源頼朝が鎌倉幕府を作った直後、1993年です。
武家を中心とした、江戸まで続く封建社会の、秩序と価値観と美意識の創生期です。
お芝居の流れ
・舞台にいる一番えらそうなヒトが、「工藤祐経」(くどう すけつね)です。
曽我兄弟の父親「河津三郎」(かわづ さぶろう)を殺した、主人公兄弟の親の敵にあたります。
工藤は関東の非常に権力のある豪族のひとりであり、非常に有能な人でもありました。
幕府開設直後の頼朝にとっても、腹心の部下のひとりでした。
場所は工藤の屋敷です。
近隣の大名たちが招待されてずらっと並んでいます。
大名たちが工藤について、時の将軍源頼朝の信任が厚いことや、
今回任された、富士山のすそ野での狩りというイベントも大成功しそうなことなどをのべ、
お祝いを言います。
多分セリフ聞き取れませんが、まあ、雰囲気が伝わればいいかと思います。
真ん中辺に美女がふたりいます。
「大磯の虎(おおいその とら)」と「化粧坂の少将(けわいざかの しょうしょう)」です。
それぞれ鎌倉にあった大きい遊郭の遊女です。
当時の高級遊女はたいへんステイタスが高く、教養レベルも高く、大名クラスじゃないと相手にしてもらえませんでした。
「化粧坂の少将」が「少将」と一瞬男性的な名前なのは、平安期の女官の官職名を引き継いでいるからです。
舞台上でも彼女たちは十二単を着ていますが、この時代の遊女は実際に十二単を着ていました。
「もとは貴族の姫君や女官たちです」という雰囲気を出すためです。
この傾向は江戸の遊郭にも引き継がれます。高いお金を払っても、「させて」もらるとは限らないのが江戸の遊郭です。
という、そのへんのホステスさんとはちょっとランクの違う雰囲気をお楽しみ下さい。
ところで、この美女たちはお仕事なので工藤の館に来ていますが、
じつはそれぞれ曽我十郎 五郎の恋人なのです。ココロの中では兄弟の味方ですよ。
みんなの勧めで工藤が一段高い段に上ります。
これは、歴史的な工藤祐経の権勢を表すと同時に、工藤の役は座頭(ざがしら)格の役者さんがやるので、そのステイタスに敬意を表してもいます。
ここで、赤い顔のゴツいかんじのおじさんが、「前から頼んでいたが、ちょっと合わせたい人間がいる」と言います。
「朝比奈三郎 (あさひな さぶろう)」という人です。
関東地方の豪族のひとりです。工藤の家来ではありません。
ていうかまわりにいるのも工藤の家来のように見えますが、そうではなく、
上にも書いたように工藤の館に呼ばれてやって来た、お客さんの鎌倉大名たちです。
「鎌倉大名」というのは、江戸時代のそれと違って、まだ地方豪族が大名という肩書を取りはじめた時期の人たちです。
頼朝が天下を取ったので当面は頼朝の支配下にいますが、完全な将軍の手下ではなく、独立した領地を持つ新興勢力の領主たちです。パワフルです。
その中で工藤がいちばんえらい、ということです。
ていうか、最近ですと「赤い顔のおじさんの朝比奈」じゃなく、妹の「舞鶴(まいづる)」が出るかもしれません。役者さんのラインナップ次第です。
両方出ることも多いです。豪華に。
工藤は朝比奈の申し出を了承します。
朝比奈、花道に向かって曽我兄弟を呼び出します。
仇同士をケンカさせずに引き合わせるというビミョウな人間関係をさばける、朝比奈は中立の立場の人間です。
権勢を誇る工藤にも媚びない、かっこいい役です。
これは伝説ですが、朝比奈は木曽義仲と巴御前の子供とも言われます。
義仲が死んだあと、巴にほれ込んだ関東豪族の和田義盛(わだ よしもり)が妻にして連れ帰ります。しかし巴に敬意をはらって指一本ふれず、
巴が産み落とした木曽義仲との子を育てあげたのが、朝比奈三郎であるという伝説です(余談)。
花道から曽我十郎(兄)五郎(弟)が出てきます。一応、引き出物の島台を持っています。
この衣装が水色(浅葱)なのは、この色が「貧乏なので安い服」を示す約束だからです。
見た目キレイな服ですが、だからこれはみずぼらしいなりで立派な御殿にやってきた若い兄弟、という場面なのです。
浅葱色はまた、若々しさの象徴でもあります。若さと貧乏は紙一重です。
工藤、2人を見てすぐに、「河津三郎の息子だ=自分が敵じゃん」と気付きます。
しかし、ここはあわてずさわがず、河津三郎を殺した様子を語ります。
これはいじわるじゃなくて事実関係を正確に知らせて上げる親切です。
ここは「物語」という、語る芸を見せる場面です。一種の劇中劇になります。
なので説明を聞いている側である曽我兄弟も、一緒になって順番に語ります。
形の上では曽我兄弟も説明しているように見えますが、
ここは、工藤の説明を曽我兄弟が聞いて、それを反復している様子を、簡略化して見せているのです。
なので、父が死んだときの様子を聞かされる曽我兄弟、とくに五郎はどんどん感情が高ぶっていきます。
いますぐここで敵を討ちたいと、今にも暴れだしそうです。
これを必死で止める、兄の十郎と、遊女の虎と少将です。
この場はおめでたい場であり、工藤は館の主人です。ふたりは客人です。
こんな場所で斬りかかってはいけないのです。
今日はごあいさつに来たのです。礼儀は尽くさなくてはなりません。
兄弟は工藤に杯をもらって(お酒を飲んで)帰ることになります。
これはちゃんとした「おもてなし」なので、身分の低いみすぼらしい兄弟に対しては破格の扱いになります。
ここで、さっきの美女、「大磯の虎」と「化粧坂の少将」が兄弟のお酌をします。
この場面は遊女ふたりにセリフはまったくなく、酒を持って行ってお酌をするだけなのですが、
格式ばった歩みかたや動きに、古い時代らしい重々しさを感じます。
それぞれ立女形(たておやま)としての貫禄と美しさ、全盛の遊女としての華やかさと共に、
外には出せないそれぞれの恋人(十郎と五郎)を気遣う気持ちも見せなければならない、
豪華ですが難しい場面ですよ。
動きが少なく、セリフもないので、少し退屈に思うかもしれませんが、
そういう、ふたりの立場や気持ちに思いをはせて楽しんでみてください。
でも敵を討ちたい荒事役の弟五郎は、怒ってばっかりです。和事役の十郎おにいちゃんが引き留めます。
ここで、杯を乗せた台、三方(さんぽう)と言いますが、悔しさのあまり五郎がこれをつぶして壊してしまう場面も、有名な見どころです。
気負う五郎をあしらう工藤はじつに憎憎しいです。
工藤は、
「お前たちの家の家宝の刀は、盗まれて紛失(ふんじつと読む)中だろう。
あの刀を見つけないと、おまえたちの家は再興できない。つまりお前たちの身分は中途半端なままだ。
そんな状態で敵討ちなどできるわけがない。
そのへんはっきりさせてから出直しなさい」と言います。
工藤の言っていることは正しいです。
「敵討ち」はただの「仕返し」ではなく、武家社会における決まり事に乗っ取った、家の存続にかかわる重要なシステムです。
その場の感情にまかせて暴れてはいけないのです。
まず武士としての身分をはっきりさせろと。
悔しがる兄弟。
そこに、兄弟の家来である鬼王(おにおう)がその刀を持って登場します。
セリフを聞き取れないと、何でイキナリ知らないお兄さんが刀持って出てくるのかわからないかもしれませんが、そういう事情です。
これで兄弟の身分は保証されるようです。敵討ちへの障害はなくなりました。
工藤は、しかし自分は、今はやらなくてはならない仕事がある、と言います。
前のほうでもちょっとセリフで言っていた、「富士のすそ野での狩り」という一大イベントの総奉行(監督)です。
ただの遊びじゃんと思ってしまいますが、将軍の頼朝が主催し、主だった大名たちを集めて行うイベントです。幕府の威信がかかっていますよ。
これが無事に終わったら討たれてやろうと言う工藤。
狩り場への通行手形(切符)を兄弟に渡します。
なおも突っかかろうとする五郎。それをとめる兄の十郎。堂々と立って貫禄を見せる工藤。
と、それぞれ美しいカタチで決まって、幕です。
と、そういう流れです。
武家社会の価値観みたいのがわからないと、セリフがわかってもイマイチわかりにくい舞台かもしれないですが、
登場人物の性格がわかりやすいので、それぞれの見せ場を眺めてなんとなく華やかな舞台面を見てうっとりしたりして、
楽しんでいただくといいと思います。
おめでたい感じで幕が下ります。おわりです。
=50音索引に戻る=
「曽我十郎(そが じゅうろう)」(兄)「五郎(ごろう)」(弟)の兄弟が、子供のころに殺された父親の敵を討つものがたりが題材です。
これは「曽我物語(そがものがたり)」と呼ばれる一大ジャンルとして、中世文学と芸能の一部を担っていました。
明治ごろまでは「曽我兄弟」は非常に有名だったのです。
とはいえ、「曽我物語」がすでに「何それ」な昨今、細かいコトはてきとうにご覧ください。
と思ったのですが、「曽我もの」全体についての解説書きました。長いです。
江戸歌舞伎の特色をおさえる上ではチェックいれておいたほうがいいかもしれません。
歌舞伎は毎年最低一回は、かならず「曽我もの」出ますし。
=こちら=です。
ここでは「寿曽我対面」の解説を書きます。
・時代
鎌倉時代
源頼朝が鎌倉幕府を作った直後、1993年です。
武家を中心とした、江戸まで続く封建社会の、秩序と価値観と美意識の創生期です。
お芝居の流れ
・舞台にいる一番えらそうなヒトが、「工藤祐経」(くどう すけつね)です。
曽我兄弟の父親「河津三郎」(かわづ さぶろう)を殺した、主人公兄弟の親の敵にあたります。
工藤は関東の非常に権力のある豪族のひとりであり、非常に有能な人でもありました。
幕府開設直後の頼朝にとっても、腹心の部下のひとりでした。
場所は工藤の屋敷です。
近隣の大名たちが招待されてずらっと並んでいます。
大名たちが工藤について、時の将軍源頼朝の信任が厚いことや、
今回任された、富士山のすそ野での狩りというイベントも大成功しそうなことなどをのべ、
お祝いを言います。
多分セリフ聞き取れませんが、まあ、雰囲気が伝わればいいかと思います。
真ん中辺に美女がふたりいます。
「大磯の虎(おおいその とら)」と「化粧坂の少将(けわいざかの しょうしょう)」です。
それぞれ鎌倉にあった大きい遊郭の遊女です。
当時の高級遊女はたいへんステイタスが高く、教養レベルも高く、大名クラスじゃないと相手にしてもらえませんでした。
「化粧坂の少将」が「少将」と一瞬男性的な名前なのは、平安期の女官の官職名を引き継いでいるからです。
舞台上でも彼女たちは十二単を着ていますが、この時代の遊女は実際に十二単を着ていました。
「もとは貴族の姫君や女官たちです」という雰囲気を出すためです。
この傾向は江戸の遊郭にも引き継がれます。高いお金を払っても、「させて」もらるとは限らないのが江戸の遊郭です。
という、そのへんのホステスさんとはちょっとランクの違う雰囲気をお楽しみ下さい。
ところで、この美女たちはお仕事なので工藤の館に来ていますが、
じつはそれぞれ曽我十郎 五郎の恋人なのです。ココロの中では兄弟の味方ですよ。
みんなの勧めで工藤が一段高い段に上ります。
これは、歴史的な工藤祐経の権勢を表すと同時に、工藤の役は座頭(ざがしら)格の役者さんがやるので、そのステイタスに敬意を表してもいます。
ここで、赤い顔のゴツいかんじのおじさんが、「前から頼んでいたが、ちょっと合わせたい人間がいる」と言います。
「朝比奈三郎 (あさひな さぶろう)」という人です。
関東地方の豪族のひとりです。工藤の家来ではありません。
ていうかまわりにいるのも工藤の家来のように見えますが、そうではなく、
上にも書いたように工藤の館に呼ばれてやって来た、お客さんの鎌倉大名たちです。
「鎌倉大名」というのは、江戸時代のそれと違って、まだ地方豪族が大名という肩書を取りはじめた時期の人たちです。
頼朝が天下を取ったので当面は頼朝の支配下にいますが、完全な将軍の手下ではなく、独立した領地を持つ新興勢力の領主たちです。パワフルです。
その中で工藤がいちばんえらい、ということです。
ていうか、最近ですと「赤い顔のおじさんの朝比奈」じゃなく、妹の「舞鶴(まいづる)」が出るかもしれません。役者さんのラインナップ次第です。
両方出ることも多いです。豪華に。
工藤は朝比奈の申し出を了承します。
朝比奈、花道に向かって曽我兄弟を呼び出します。
仇同士をケンカさせずに引き合わせるというビミョウな人間関係をさばける、朝比奈は中立の立場の人間です。
権勢を誇る工藤にも媚びない、かっこいい役です。
これは伝説ですが、朝比奈は木曽義仲と巴御前の子供とも言われます。
義仲が死んだあと、巴にほれ込んだ関東豪族の和田義盛(わだ よしもり)が妻にして連れ帰ります。しかし巴に敬意をはらって指一本ふれず、
巴が産み落とした木曽義仲との子を育てあげたのが、朝比奈三郎であるという伝説です(余談)。
花道から曽我十郎(兄)五郎(弟)が出てきます。一応、引き出物の島台を持っています。
この衣装が水色(浅葱)なのは、この色が「貧乏なので安い服」を示す約束だからです。
見た目キレイな服ですが、だからこれはみずぼらしいなりで立派な御殿にやってきた若い兄弟、という場面なのです。
浅葱色はまた、若々しさの象徴でもあります。若さと貧乏は紙一重です。
工藤、2人を見てすぐに、「河津三郎の息子だ=自分が敵じゃん」と気付きます。
しかし、ここはあわてずさわがず、河津三郎を殺した様子を語ります。
これはいじわるじゃなくて事実関係を正確に知らせて上げる親切です。
ここは「物語」という、語る芸を見せる場面です。一種の劇中劇になります。
なので説明を聞いている側である曽我兄弟も、一緒になって順番に語ります。
形の上では曽我兄弟も説明しているように見えますが、
ここは、工藤の説明を曽我兄弟が聞いて、それを反復している様子を、簡略化して見せているのです。
なので、父が死んだときの様子を聞かされる曽我兄弟、とくに五郎はどんどん感情が高ぶっていきます。
いますぐここで敵を討ちたいと、今にも暴れだしそうです。
これを必死で止める、兄の十郎と、遊女の虎と少将です。
この場はおめでたい場であり、工藤は館の主人です。ふたりは客人です。
こんな場所で斬りかかってはいけないのです。
今日はごあいさつに来たのです。礼儀は尽くさなくてはなりません。
兄弟は工藤に杯をもらって(お酒を飲んで)帰ることになります。
これはちゃんとした「おもてなし」なので、身分の低いみすぼらしい兄弟に対しては破格の扱いになります。
ここで、さっきの美女、「大磯の虎」と「化粧坂の少将」が兄弟のお酌をします。
この場面は遊女ふたりにセリフはまったくなく、酒を持って行ってお酌をするだけなのですが、
格式ばった歩みかたや動きに、古い時代らしい重々しさを感じます。
それぞれ立女形(たておやま)としての貫禄と美しさ、全盛の遊女としての華やかさと共に、
外には出せないそれぞれの恋人(十郎と五郎)を気遣う気持ちも見せなければならない、
豪華ですが難しい場面ですよ。
動きが少なく、セリフもないので、少し退屈に思うかもしれませんが、
そういう、ふたりの立場や気持ちに思いをはせて楽しんでみてください。
でも敵を討ちたい荒事役の弟五郎は、怒ってばっかりです。和事役の十郎おにいちゃんが引き留めます。
ここで、杯を乗せた台、三方(さんぽう)と言いますが、悔しさのあまり五郎がこれをつぶして壊してしまう場面も、有名な見どころです。
気負う五郎をあしらう工藤はじつに憎憎しいです。
工藤は、
「お前たちの家の家宝の刀は、盗まれて紛失(ふんじつと読む)中だろう。
あの刀を見つけないと、おまえたちの家は再興できない。つまりお前たちの身分は中途半端なままだ。
そんな状態で敵討ちなどできるわけがない。
そのへんはっきりさせてから出直しなさい」と言います。
工藤の言っていることは正しいです。
「敵討ち」はただの「仕返し」ではなく、武家社会における決まり事に乗っ取った、家の存続にかかわる重要なシステムです。
その場の感情にまかせて暴れてはいけないのです。
まず武士としての身分をはっきりさせろと。
悔しがる兄弟。
そこに、兄弟の家来である鬼王(おにおう)がその刀を持って登場します。
セリフを聞き取れないと、何でイキナリ知らないお兄さんが刀持って出てくるのかわからないかもしれませんが、そういう事情です。
これで兄弟の身分は保証されるようです。敵討ちへの障害はなくなりました。
工藤は、しかし自分は、今はやらなくてはならない仕事がある、と言います。
前のほうでもちょっとセリフで言っていた、「富士のすそ野での狩り」という一大イベントの総奉行(監督)です。
ただの遊びじゃんと思ってしまいますが、将軍の頼朝が主催し、主だった大名たちを集めて行うイベントです。幕府の威信がかかっていますよ。
これが無事に終わったら討たれてやろうと言う工藤。
狩り場への通行手形(切符)を兄弟に渡します。
なおも突っかかろうとする五郎。それをとめる兄の十郎。堂々と立って貫禄を見せる工藤。
と、それぞれ美しいカタチで決まって、幕です。
と、そういう流れです。
武家社会の価値観みたいのがわからないと、セリフがわかってもイマイチわかりにくい舞台かもしれないですが、
登場人物の性格がわかりやすいので、それぞれの見せ場を眺めてなんとなく華やかな舞台面を見てうっとりしたりして、
楽しんでいただくといいと思います。
おめでたい感じで幕が下ります。おわりです。
=50音索引に戻る=
自分からトラバしておいてなんですが、寿曽我対面は
不勉強でまだ見たことないです(恥)
一応、声には甲の音(かんのおと)と呂の音(ろのおと)があり、
前者は高いキーで主役の音、後者が低いキーで敵役や脇役の声になります。
能や狂言の「シテ」が甲の音、「ウケ」が呂の音です。
また、「対面」の五郎は、セリフの言い方にいろいろ約束事があり、
決まった節回しで言わなければならないセリフがいくつかあります。
全体に登場人物全てのセリフの抑揚が決まっている、音楽のような一幕です。
そういうこともあって、本来の自分の声よりも高い音が標準キーになってしまったのかもしれないです。
実はちょっと聞き取りにくかったので、余計気になってしまいました。
なるほど~、「決まった節回し」の「音楽」とは、奥が深いです。
父のお供で通い出して、私のほうがやみつきになりそうです。。のも、このブログがあってこそ!(お世辞ではありません)
今後ともよろしくお願いいたします。