歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「水天宮利生深川」すいてんぐう めぐみのふかがわ

2011年03月11日 | 歌舞伎
「筆屋幸兵衛(ふでや こうべえ)」、略して「筆幸」の通称で親しまれています。

深川水天宮というのは、今も地下鉄半蔵門線に「水天宮前駅」がありますが、あそこです。
たいへん御利益があることで知られており、というか、初演時の劇場が水天宮のそばだったようです。
それに因んだお芝居です。
というわけで、水天宮のご利生で不幸なヒトが幸せになるものがたりです。
ですが、作品の見せ場は、幸せになる前の主人公の不幸っぷりにあります。

江戸末期を中心に大活躍した作者、「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」の作品です。
このかたにとって「江戸世話物」は「時代劇」ではなく、リアルタイムの「現代劇」だったわけです。
当然、明治時代になったら何の違和感もなく当時の「現代物」、ちょんまげ落としたザン切り頭風俗の、
いわゆる「ザン切りもの」を書きました。
これはその、代表的な「ザン切り狂言」です。

明治初期のはなしです。
江戸時代はふつうに武士だった男が主人公です。奥さんもいました、奥さんもふつうに武士の妻でした。
明治維新で無職になります。
奉還金という一時金を、仕事を失った武士はもらったのですが、だまされて商売に手を出してなくしてしまいました(ありがち)。
以来、貧しい長屋で筆を作る内職をして暮らしています。
貧乏です。

奥さんは産後の肥立ちが悪くて死んでしまいました。赤ん坊どうなる。
ていうか他に娘2人います。武士だったときに生まれて武士の娘として育てられたお嬢様たちですが、
今はごはんも食べられません。
上の娘は目が見えなくなってしまいました。

という悲惨な状況です。

季節は冬です。世間はお正月なのですが、幸兵衛の家ではそれどころではありません。

ところで、
姉娘が目が治るようにと水天宮にお参りに行ったときに知らない男の人に同情され、一円もらいます。
あと高級な赤ん坊の着物もらいます。
セリフで「ひとつみ」と言ってるのがそれです。小さいので反物ひと幅でこしらえるので「ひとつ身」です。
「一円」は、ほぼ一両とおなじ感覚で描かれています。その感覚でご覧ください。一両だといまの6万円ちょっとです。
水天宮さまのご利益だと言って一家でよろこびます。

ところが、金貸しがやってきます。
以前2円借りたのですが、奥さんの病気だのお葬式だので全然返せていなかったのです。
それに利子が付いて10円になったと言います。おい。

明治初期の新法制下での混乱がよくわかります。徳川さまの時代も高利貸しはいましたが、ここまでのムチャはしなかったです。
幕府が目を光らせていたから江戸時代のほうが治安はよかったのです。
明治政府はできたてなので、細かいところまで手がとどきません。

さて、家にある幸兵衛のフトンや家具は借金の担保になっています。
「担保ということは、我々のものだ、オマエに貸しているんだ、損料(貸し賃)を取る」。
もうムチャクチャですが、ニセ代言人(弁護士)がリクツで押してくるので幸兵衛は反論できません。
明治初期の新法制下の(以下略)。
まあこのへんは見ていればわかるかも知れませんが、聞き慣れない単語も多いかと思うので一応説明しておきます。

こうして幸兵衛一家は、お金を全部取られてフトンも取られて赤ん坊の服まで取られてしまいます。
悲惨です。

折しも隣りのおうちでは新年の宴会の真っ最中です。太夫さんを呼んで浄瑠璃を語らせています。
「浄瑠璃(じょうるり)」というのは文楽の「語り」の部分です。節を付けて唄うように語ります。
当時はとても盛んな芸能で、宴会のときに太夫さんを呼んで語ってもらうのはなかなかぜいたくな娯楽でした。

これは「よそごと浄瑠璃」というテクニックです。
演出上はBGMなのですが、お芝居の上では舞台の上のどこか(ふつう隣の家や座敷)で浄瑠璃が語られている、という設定なのです。
いかにもその場面にふさわしい曲を使うことも出来ますが、まったく正反対の曲を使って逆に効果を上げることもできます。
今回のは「正反対」の代表的な例です。

おとなりのしあわせそうな様子に比べて、幸兵衛の家はもうお先真っ暗です。今晩食べるものも夜寝るふとんもありません。
赤ん坊ももう育てられそうにありません。

幸兵衛、もう死んでしまおうと思います。娘達も一緒に死ぬと言います。
赤ん坊をまず、殺そうとする幸兵衛なのですが、どうしても殺せません。
とうとう悲しさのあまり気が狂ってしまいます。

ここで今日びのおっさんとはひと味違う狂い方をするのが、幸兵衛のもと武士たるゆえんです。
そしてここが見せ場なのです。
ぶっちゃけ、ここにいたるまでは、お話は暗いですし少しダレます。耐えてください。

幸兵衛は能の「船弁慶」を謡って舞い始めます。
ほうきを持って長刀の代わりにして「♪そもそも これは 桓武天皇九代の後胤(かんむてんのう くだいの こういん)」とやるのです。
今のお客さんに「船弁慶」と言っても、見ても「何これ?」かもしれませんが、まあ、そういう格調高い狂い方です。
「船弁慶」の解説は=こちら=です。

親切な大家さんが赤ん坊の服を取り返して来てくれたのですが、幸兵衛は正気に戻りません。
暴れて外に飛び出し、そのまま赤ん坊を抱いて、そばの深川に飛び込んでしまいます。
おおさわぎになります。

運良く人力車の車夫(これも明治風俗)が助けてくれます。
そして川の水の冷たさで幸兵衛も正気に戻ります。

保守(おまわりさん)にいろいろ聞かれたりする場面があります。これも明治風俗です。
周囲で平家物語に引っかけたダジャレをいろいろ言ってると思いますが、
まあわかれば面白いですが、わからなくても大丈夫です。

そこに幸兵衛の不幸と娘達の親孝行が新聞に載った(明治風俗)、と知らせが来ます。
次々と義援金(明治風俗)が集まっています。幸兵衛さんもなんとか暮らしていけそうです。

で終わりです。
貧乏でも、まじめに、正直に一生懸命生きていればいいことがある、というのがテーマです。
江戸時代の黙阿弥の作品群よりも、わかりやすく、でも説教臭いです。

あと、幸兵衛のまわりのヒトビトの優しさや生活感も見逃せないところです。


さて、現行上演、幸兵衛さんのおうちだけ出るのですが、
本当はこの前に幸兵衛さんが赤ん坊を抱いて、とあるお金持ちの家の軒先でご婦人に出会い、「もらい乳」をする場面が付きます。
粉ミルクがない当時、「もらい乳」はふつうにあった風俗です。

お乳がたくさん出るご婦人に頼んでお乳を飲ませてもらいます。
ふつうは身分の高いご婦人はそんな「あげ乳」なんかしませんが、
自分の子供が病気で死んでしまったときだったので、幸兵衛に同情して乳を飲ませ、赤ん坊のものだった高級な産着をあげます。
現行上演では姉娘が知らないおじさんがなぜかたまたま産着を持っていて、それをくれた設定ですが、
そういう理由でちょっと不自然なのです。しかたありません。

また、そのとき幸兵衛は、お礼にと、自作の商売ものの筆を紙にくるんで置いていきます。
というのが前フリに付いて、後半、そのお金持ちの士族の昔の剣術の先生が、死んだ幸兵衛のお父さんだったことがわかります。
その縁で、幸兵衛一家は彼らの援助を受けることができるのです。
その上で、今回の自殺未遂が新聞記事になり、その後義援金が集まるのです。

新聞に出た瞬間に義援金が急に集まるはずはないので、現行上演の「義援金が集まったからもう大丈夫」という展開には少々ムリがあるのですが、
もともとあった部分を削っているのでしかたがないのです。

大口の援助をしてくれたおうちに行って一家でお礼をいう幕も昔は一応ありました。
「新聞はすごい」とか「記事を書いた仮名垣魯文(かながき ろぶん)先生はすごい」などのセリフもありました。
「新聞記事になる」も「義援金が郵便で集まる」も、全て明治風俗ネタなのです。

というように、現行上演、細かい部分が少しつじつま合いません。
原型はそういうかんじです。

ていうかホントに初演時の話をすると、、
じつはまったく別のストーリーがメインなのです。この部分はワキの筋です。

えっと、上の娘に一円あげる男のヒトが主人公です。かっこいいドロボウです。
そのかっこいいドロボウと、悲惨な状況の幸兵衛とを同じ役者さんがやりました。
全く別の役柄を早変わりで演じるのがもともとのこの作品の目玉だったのです。

今はこの部分しか出ません。
歌舞伎に娯楽として要求される部分が全く変わってしまったのですからしかたありません。

関係ないですが、明治になって奉還金をもらって商売を始めた多くの武士が、事業に失敗して落ちぶれたように思われていますが、
実際は堅実に商売に成功した例のほうが多いです。
江戸時代も、家督を告げない次男坊三男坊は、お侍をやめて商家に奉公に出て商人になった例がけっこうあります。
読み書きそろばん、礼儀作法を仕込む必要がないので便利なのです。
このお芝居のように商売に失敗して没落した悲惨な例は、どうしても大きく取り上げられるので印象に残り、
明治以降の士族はみんなこんな感じみたいに思ってしまいがちですが、
じつはうまく行ったヒトのほうが多いのです。
余談でした。

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