松羽目ものと呼ばれる、能由来の作品群のひとつです。
能舞台風にしつらえた一面白木の羽目板の床の後ろに、能舞台を模して大きい松の木の絵が描いてあるセットの様子から、
「松羽目もの」と呼ばれます。
江戸時代、能や狂言は歌舞伎で真似してはいけなかったので、
これも明治以降の「新作」です。
内容は、タイトル通り、義経と弁慶が出るものがたりです。
源平の戦が終わった後、兄の頼朝に疑われて追われて逃げる義経さま。
安宅の関を越えて東北に逃げるときの話ではなく、そのちょっと前、京都から大阪に出て、船で九州に逃げようとしたときの話です。
源平の戦は最後の方は殆ど海戦でしたので、滅びた平家の軍勢の大半は瀬戸内海に沈んでいます。
八島や須磨から壇ノ浦にかけてです。
まさに、自分が殺して滅亡させた一族の死骸、亡霊がうようよいる海を渡って逃げようとする義経です。怖いです。
というのが前提の設定です。
「義経記」にも、大物浦から船出した義経が平家の亡霊に襲われて困った、というくだりはありますので、
かなり定番のモチーフです。
「義経千本桜」の「渡海屋」「大物浦」のくだりでも、同じ設定が使われてます。
タイトルに「弁慶」が付きますが、主人公は義経のほうです。
というか能だと「シテ」にあたるのは「静」です。
前半は、出船の前の場面です。
都を出て、大阪の「大物浦(だいもつのうら)」に到着した一行です。
ここから船に乗ります。弁慶はここに知り合いがおり、その人に船の手配を頼みます。
「三保の太夫(みほのたゆう)」という人です。
こころよく義経一行の世話をし、船を手配する三保の太夫。
ところで、ここまで一緒に来た静ちゃんですが、さすがにこの一大事に女連れはまずいだろうと弁慶が言います。
静かちゃんは都に戻って待っている段取りにしたほうがいいです。
了承する義経。
弁慶は静ちゃんのいる宿に行き、その話をします。
驚きながら了承し、しかし直接あってお別れが言いたいという静ちゃん。
じつは弁慶を信用しておらず、自分を追い返したくて独断で来たのだろうと思っています。
直接義経さまに会えばどうにかなるはず。
しかし会ってみると、義経さまも都に戻るように言います。
もうしかたありません。
弁慶を疑ったことをを恥じてわびる静ちゃんです。
ここまではセリフばかりで動きが少ないので見ていて少しつらいかもしれませんが、
だいたいそういう流れです。
静ちゃん的にはたいへんな場面なのでしっかり見てあげてくださるといいと思います。
門出を祝って舞うように求められる静ちゃん。
悲しみをおさえて舞います。
まず短いおめでたい舞を舞い、
そのあと、義経が好きな「都めぐり」の華やかな舞を舞います。
能由来なので能装束で下げ髪の静です。もの静かに高貴に舞います。
とはいえ本来、静は、いわゆる「側室」「お気に入り」にすぎません。身分も高くはありません。
それなりの色気や花やかさもほしい、難しい場面です。
別れを惜しむふたり。
さて三保太夫が出てきます。出発です。
天気が悪いこともあり、嫌な予感がするのかちょっとためらう義経なのですが、
みんなに進められて出発します。
たしかにここのところ天気が悪かったのですが、とてもいい天気になってきました。
船に乗ります。
船頭と舵子が出てきて船をこぎます。
だんだん嵐になってきます。
ここで義経が「この船にはあやかしがついている」と言い出し、
それに対して弁慶が「さようなことは船中にて、しばらく申さぬことにて候」と言います。
船の中(船の上)というのはただでさえ危険で不安なものなので、
不安を煽るような言葉は口に出すこともはばかられるのです。
なので「そういうことは言うものではありません」と言っています。
このセリフは「船中にへさような事は申さぬことにて候」というかんじにアレンジされ、
江戸から昭和初期にかけて非常によく使われたフレーズです。
言っちゃいけないことを言ってしまったときに「船中」を適宜好きな場所に入れ替えて使います。
そんなこんなでどんどん波は荒くなり、ついに平知盛の亡霊が出てきて暴れます。
ふだんは武闘派の弁慶ですが、ここでは数珠を持って祈って悪鬼退散させます。
おはなしはこれだけです。能由来だし。
ふだんの「武将」「お姫様」「怖い武闘派おじさん」な弁慶や義経たちとちょっと違う雰囲気の、
能装束の格調高い演技を楽しむといいと思います。
あと、前半のキレイな静さまと、後半の怖い亡霊とを同じ役者さんがやるのがみどころです。
=50音索引に戻る=
能舞台風にしつらえた一面白木の羽目板の床の後ろに、能舞台を模して大きい松の木の絵が描いてあるセットの様子から、
「松羽目もの」と呼ばれます。
江戸時代、能や狂言は歌舞伎で真似してはいけなかったので、
これも明治以降の「新作」です。
内容は、タイトル通り、義経と弁慶が出るものがたりです。
源平の戦が終わった後、兄の頼朝に疑われて追われて逃げる義経さま。
安宅の関を越えて東北に逃げるときの話ではなく、そのちょっと前、京都から大阪に出て、船で九州に逃げようとしたときの話です。
源平の戦は最後の方は殆ど海戦でしたので、滅びた平家の軍勢の大半は瀬戸内海に沈んでいます。
八島や須磨から壇ノ浦にかけてです。
まさに、自分が殺して滅亡させた一族の死骸、亡霊がうようよいる海を渡って逃げようとする義経です。怖いです。
というのが前提の設定です。
「義経記」にも、大物浦から船出した義経が平家の亡霊に襲われて困った、というくだりはありますので、
かなり定番のモチーフです。
「義経千本桜」の「渡海屋」「大物浦」のくだりでも、同じ設定が使われてます。
タイトルに「弁慶」が付きますが、主人公は義経のほうです。
というか能だと「シテ」にあたるのは「静」です。
前半は、出船の前の場面です。
都を出て、大阪の「大物浦(だいもつのうら)」に到着した一行です。
ここから船に乗ります。弁慶はここに知り合いがおり、その人に船の手配を頼みます。
「三保の太夫(みほのたゆう)」という人です。
こころよく義経一行の世話をし、船を手配する三保の太夫。
ところで、ここまで一緒に来た静ちゃんですが、さすがにこの一大事に女連れはまずいだろうと弁慶が言います。
静かちゃんは都に戻って待っている段取りにしたほうがいいです。
了承する義経。
弁慶は静ちゃんのいる宿に行き、その話をします。
驚きながら了承し、しかし直接あってお別れが言いたいという静ちゃん。
じつは弁慶を信用しておらず、自分を追い返したくて独断で来たのだろうと思っています。
直接義経さまに会えばどうにかなるはず。
しかし会ってみると、義経さまも都に戻るように言います。
もうしかたありません。
弁慶を疑ったことをを恥じてわびる静ちゃんです。
ここまではセリフばかりで動きが少ないので見ていて少しつらいかもしれませんが、
だいたいそういう流れです。
静ちゃん的にはたいへんな場面なのでしっかり見てあげてくださるといいと思います。
門出を祝って舞うように求められる静ちゃん。
悲しみをおさえて舞います。
まず短いおめでたい舞を舞い、
そのあと、義経が好きな「都めぐり」の華やかな舞を舞います。
能由来なので能装束で下げ髪の静です。もの静かに高貴に舞います。
とはいえ本来、静は、いわゆる「側室」「お気に入り」にすぎません。身分も高くはありません。
それなりの色気や花やかさもほしい、難しい場面です。
別れを惜しむふたり。
さて三保太夫が出てきます。出発です。
天気が悪いこともあり、嫌な予感がするのかちょっとためらう義経なのですが、
みんなに進められて出発します。
たしかにここのところ天気が悪かったのですが、とてもいい天気になってきました。
船に乗ります。
船頭と舵子が出てきて船をこぎます。
だんだん嵐になってきます。
ここで義経が「この船にはあやかしがついている」と言い出し、
それに対して弁慶が「さようなことは船中にて、しばらく申さぬことにて候」と言います。
船の中(船の上)というのはただでさえ危険で不安なものなので、
不安を煽るような言葉は口に出すこともはばかられるのです。
なので「そういうことは言うものではありません」と言っています。
このセリフは「船中にへさような事は申さぬことにて候」というかんじにアレンジされ、
江戸から昭和初期にかけて非常によく使われたフレーズです。
言っちゃいけないことを言ってしまったときに「船中」を適宜好きな場所に入れ替えて使います。
そんなこんなでどんどん波は荒くなり、ついに平知盛の亡霊が出てきて暴れます。
ふだんは武闘派の弁慶ですが、ここでは数珠を持って祈って悪鬼退散させます。
おはなしはこれだけです。能由来だし。
ふだんの「武将」「お姫様」「怖い武闘派おじさん」な弁慶や義経たちとちょっと違う雰囲気の、
能装束の格調高い演技を楽しむといいと思います。
あと、前半のキレイな静さまと、後半の怖い亡霊とを同じ役者さんがやるのがみどころです。
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