歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「妹背山婦女庭訓」 いもせやま おんなていきん

2010年12月30日 | 歌舞伎
何段かあるのでもくじです。

あまり通しで出ることはなく、三段目「吉野川」だけ、または「苧環(おだまき)」から「御殿」まで、
もしくは所作(踊りね)として「苧環」だけ、などの出し方が多いようです。

題材は大化の改新(645)です。
「蘇我蝦夷(そがの えみし)」、「曽我入鹿(そがの いるか)」「中臣(藤原)鎌足」などはほぼ、史実どおりの役回りで登場します。

今普通に上演される歌舞伎作品の中では、おそらくもっとも古い時代をあつかっています。
舞台が上代であることもあり、もちろん江戸風俗も多く取り入れられてはいるのですが、
全体に他の歌舞伎作品とは一線を画した、不思議な雰囲気と存在感の舞台です。

江戸時代の人々にとって、「歴史の始まり」とは、源頼朝による鎌倉幕府の開設だと思います。
江戸の秩序は武士を中心とした封建社会です。その大もとになるのが、鎌倉幕府です。
頼朝の神格化のされかたは、今の日本の感覚からは想像もできないものでした。


鎌倉以前の時代のものがたりは、江戸の人々にとっては「神話」に近かったと思います。
「平家物語」もそうだったと思いますが、まして「妹背山」は奈良時代の物語、
はるか昔に滅びた、古い、神々の物語です。人間の物語ではないのです。
出てくる地名も奈良の古い社のある雰囲気のある場所ばかりで、アルカイックな雰囲気を盛り上げます。
そういう、ファンタジーめいた、異世界の出来事のような不思議な雰囲気が、「妹背山」の醍醐味です。

とはいえ、多少内容がわかりにくく、とっつきにくいためか、近年上演が減っているように思えます。

歌舞伎にとっても非常にたいせつな作品ですので、ていねいに残していってほしいです。
見る側もめんどうくさがらずに、どうか「付いて行って」いただきたい作品のひとつです。

「妹背山」は作品中の、吉野川をはさんだ妹山(いもやま)と背山(せやま)にそれぞれ住む恋人同士のエピソードから取られています。
「庭訓(ていきん)」は、江戸時代にあった、家庭向けのお作法などのマニュアル本の総称です。
江戸は活字社会だったので、マニュアル本も非常に多かったのです。
「道行恋苧環」の中で、町娘のお三輪ちゃんがお姫様に「女庭訓しつけかた(の本を)よく見なさい(身分が高くてしつけがいいはずなのに)」という場面があるのが、いちおう題材が取られている部分ですが、
全体に意志の強い女性たちのしっかりとした生き様がいろいろ描かれた作品なので、そういう意味も込めて「婦女庭訓」と付けたのだと思います。


=三段目・吉野川=(一、二段目もここです)
=道行恋苧環=(「杉酒屋」もここです)
=三笠山御殿=(入鹿御殿)

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