![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/a1/6b0eccaaa7d2ab865edbb757540a13e8.jpg)
近鉄では奈良線が今年に
開業100周年
を迎え、これを記念して5800系DH2編成に対してデボ1形の塗色を施し、ヒストリートレインとして運行しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/c3/570147cd7cc3d544a4448b176e86f62e.jpg)
デボ1形の塗色を施したDH2編成です。デボ1形は茶色なので、そのまま茶色となり、遠目から阪急電車のような感じになっています(何せ、マルーン色ですからね・・・)。そして、前面の貫通扉にはライトを模したステッカが付いています。デボ1形は窓下に前面灯があったためです。しかし、阪神線直通対応とL/Cカーのステッカはそのままです。
単純に塗色を変更しただけでなく、車内において奈良線の歩みを展示するヒストリートレインという形で運行されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/2f/508b0a8ad32394bda6d8e6db3eb12724.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/06/37912878f2f64e933b6a7ac7fbb265b9.jpg)
側面にはデボ1形の装飾をそのままラッピングしているような感じでした。デボ1形は扉間それぞれに装飾があったのですが、5800系は4扉ながらそれぞれの扉間に装飾がなされていました。それでなく、100周年ロゴも付いています。あと、窓部にあった保護棒も何気なく再現されていますね・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/41/5ea79a61cce3fa37c8ac607be0c7a1c4.jpg)
五位堂検修車庫で保存されているデボ1形14です。デボ1形は近鉄奈良線の前身である大阪電気軌道が奈良線を開業した時に投入された車両で、1964年まで長い間活躍していたようです。廃車の後、登場当初の格式高い姿に復元されて保存されているわけですが、DH2編成ではそのデザインを活かしている感じですね・・・。
最初見たとき、近鉄に阪急電車?と思ったほど違和感に感じたのですが、よく見ると意外と似合うなと思ったものです。
以上です。
開業100周年
を迎え、これを記念して5800系DH2編成に対してデボ1形の塗色を施し、ヒストリートレインとして運行しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/c3/570147cd7cc3d544a4448b176e86f62e.jpg)
デボ1形の塗色を施したDH2編成です。デボ1形は茶色なので、そのまま茶色となり、遠目から阪急電車のような感じになっています(何せ、マルーン色ですからね・・・)。そして、前面の貫通扉にはライトを模したステッカが付いています。デボ1形は窓下に前面灯があったためです。しかし、阪神線直通対応とL/Cカーのステッカはそのままです。
単純に塗色を変更しただけでなく、車内において奈良線の歩みを展示するヒストリートレインという形で運行されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/2f/508b0a8ad32394bda6d8e6db3eb12724.jpg)
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側面にはデボ1形の装飾をそのままラッピングしているような感じでした。デボ1形は扉間それぞれに装飾があったのですが、5800系は4扉ながらそれぞれの扉間に装飾がなされていました。それでなく、100周年ロゴも付いています。あと、窓部にあった保護棒も何気なく再現されていますね・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/41/5ea79a61cce3fa37c8ac607be0c7a1c4.jpg)
五位堂検修車庫で保存されているデボ1形14です。デボ1形は近鉄奈良線の前身である大阪電気軌道が奈良線を開業した時に投入された車両で、1964年まで長い間活躍していたようです。廃車の後、登場当初の格式高い姿に復元されて保存されているわけですが、DH2編成ではそのデザインを活かしている感じですね・・・。
最初見たとき、近鉄に阪急電車?と思ったほど違和感に感じたのですが、よく見ると意外と似合うなと思ったものです。
以上です。
その写真を始めて見た時は、"旧塗装の、マルーン一色塗り"を連想しましたね。
……と言うのは、5800系までの"通勤車の顔"は、その一色塗りで初登場した世代でもあるためで、一瞬、"旧塗装か?"と感じましたね。
それにしても、近鉄と阪急。
その創始期ですが、どちらも、岩下清周と言う人物が、社長を務めていたのです。
もっとも、どちらも"実権"を握っていたのは別の人物でして。
阪急は、小林一三なのはご存知か――と。
沿線での宅地分譲に阪急百貨店の創設など、割目すべき事業が多く、最晩年は、関西テレビの創設にも関わっています――そのため、関西テレビは、阪急系の会社でもあります。
一方、近鉄はと言うと、実権を握っていたのは金森又一郎と言う人物でした。
近鉄のルーツである大阪電気軌道ですが。
生駒トンネルの掘削により工事費がかさみ、工事を受注した大林組共々経営難に陥り、岩下を始めとする役員の大半が大軌を去ってしまいます。
そんな中で残ったのが金森であり、生駒山上にある宝山寺(生駒聖天)へ賽銭を借りに行き、乗車券印刷費の支払いや社員の給与などに充てた――と、言われています。
最終的には、新たな経営陣を送り込むことと増資がなされ、ようやく経営が軌道に乗るようになったのですが。
更に、日本発のケーブルカーが生駒山にあるのは、その"お礼"の意味もあるんだそうです。
――いずれにせよ、"形式的"ではあれ、同じ人物が関わっていたのは、興味深いですね。
長くなりましたが、それでは、またです。
コメントありがとうございます。
近鉄と阪急、岩下清周氏でつながりがあったんですね・・・。これは驚きとともに興味深い内容ですね。
5800系までの通勤型車両の顔ですが、1980年ごろに初めて登場した時はマルーンの一色であった事を本などで知っていたので、まさか復刻でも・・・と思ったのです。でも、意外と違和感に感じませんでした。