昨日はふらっと板橋の高島平まで行ってきました。
旅行はしたいが、遠くへ行く余裕は無い。
でも旅行は距離でするものではない。
常なるものから遠くへ…それこそが旅。
「どこへ行こう?」と先週思った時に頭に浮かんだのが高島平でした。
今からおよそ30年前でしょうか。
幼少の自分と家族、お父さん、お母さん、弟、そしてじいちゃん、ばあちゃん。
みんなでささやかに、でも幸せに暮らした街です。
クルマで立ち寄ったことは数回あるけど、電車で訪れたことは無く、
またあの街を当時のように歩いたことは引っ越して以来無いです。
懐かしいあの街を歩いてみよう…。
30年前の私…、否、当時の一人称で言えば僕のように。
そう思って行ってきました。
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西武線に乗って、池袋へ。
そして山手線で巣鴨へ。
引っ越してきた当時にたどった道程で高島平へ…。
巣鴨で乗った三田線。
高島平方面には20の頃に居た会社の営業廻りで出て以来です。
おそらく15年以上は乗っていないでしょう。
自分が住んでた当時とは車両も違うし、ホームにドアも無かったです。
ついでにいえばこんなボックスシートも無かったです(笑)
まさか三田線でボックスシートに座れるとは思いませんでした(^^;)
編成の端っこに2区画だけですけど。
高島平に行く前に蓮根で下車。
今は死んでもういない祖父ですが、高島平に住んでいた当時に
この駅近くにある模型店によく来ていたのです。
あとは…ちかくにSLが置いてある公園もあったのです。
それがあるかどうか見てみようと…。
先に行った20の頃に来た時には残っていたのですが…。
模型店は無くなり、あたらしい理髪店が建っていました。
近くの電信柱に模型店の看板だけ残っていました。
公園のSLは…残っていました。
ちょっとボロボロだけど。
当時と変わらないのは子供の遊び場になっていること。
すぐ脇に小さな展示館があります。
これも残っていました。
20の頃にたずねた時には残っていた解説ボード、
実は自分が幼少の頃に見たものそのものが今も残っていました。
分かりますか?
このボードはSLが全廃される以前に作られたボードで
このボードの中では今でもSLが現在進行形で残っているのです。
もうとっくに捨てられているものと思っていましたが
また「会えて」嬉しいです。
バスと小さなタンク機関車も置いてありました。
こっちは当時からあったかどうか…よく覚えていません。
その後は高島平へ。
高島平ではその中で1回引っ越していまして、
こことその隣の新高島平が当時よく利用した駅です。
いろいろ残っているようで、でも実はいろいろ消えていて、
変わってしまったようで、意外とそのままだったり…。
通った学校。
校舎はそのまま。
弟が通っていた保育園も残っていました。
新河岸川
あいかわらずきれいじゃないけど
昔はもっと…言わないですけど(^^;)
当時の通学路を歩いていきました。
角を曲がって、横断歩道を渡って…
懐かしいような、そうでもないような…。
小学校1年のときのクラスメイトの家はお肉屋さんだったのですが
そこもお弁当屋さんと兼業に変化しつつ健在。
よくいろいろ買いに行きました。
残ってくれていて嬉しいです。
よく買い物に来た雑貨屋さんは跡形も無く消えて、
あとには家が建っていました。
自分たちが暮らしたところ…
最初のアパート、
次に暮らしたちょっと古いマンション、
残念ながらどちらも消えてしまっていました。
片方には新しいマンションが建ち、
もう片方はつい先日にでも取り壊されたのでしょうか?
工事をしている最中でした。
角を曲がると見えるはず…だった”かつて暮らした家”
影も形も無かったのは正直寂しい気がしました。
いろいろ残っているようで、でも実はいろいろ消えていて、
変わってしまったようで、意外とそのままだったり…。
でも30年前をそのままに伝えるものは実はほとんど無くて…。
これが30年…というものなんですね。
自分の目には昔の風景と重なって見えるけど
それが逆に寂しくも感じられて…。
仕方が無いことですけど。
日常というのは常に過去へと変わっていくもの。
過ぎ去りし日々というものは日に日に遠くなりにけり…です。
そのあとは新高島平から西高島平へ行き、
再び新高島平へ。
そこで少しだけ撮る鉄。
昔は西高島平駅の発車ホームが1番線、2番線が閉鎖だったので、
入ってくる電車を西高島平の1番線から撮ればいいと思っていたのですが、
いつの間にか使用ホームが変えられていました。
そんな訳で一番線で撮れる新高島平へ。
ちなみに西高島平は23区にありながら利用客も少ないプチ秘境駅。
高島平以西は利用客がぐんと減るこの路線です。
住んでた当時に新高島平から西高島平へ乗ったこともないし、
もちろん乗る人を見たこともありません。
(新高島平―西高島平は500mほどしかないのです)
この年で意外な初体験です(笑)
まさかここで撮る鉄する日がくるとは…。
少し写真を並べてみますです(^^;)
その後は再び高島平へ。
さっき歩いたのと逆側をぐるりと回って、それからバスに乗って離脱することにしました。
逆側は大きな団地です。
そこには大きなお店や名店街もあって、
いろいろ買い物をしたり、時々奮発してくれて食事に行ったレストランとかが
あった場所でもあります。
でもそれは昔のこと。
レストランも無ければ、名店街も他と変わらず少しひっそり。
レストランがあった場所にはハンバーガーショップが入り、
親父殿とレコード針を買いに行ったレコード店も無くなって
その場所にはシャッターが降ろされていました。
残っていたお店ももちろんあるけど、それ以上に変わったなぁ…と。
よくおもちゃを眺めに行ったおもちゃ屋さんも無くて、
そこは携帯電話ショップに変わっていました。
30年ですものね。
仕方が無いです。
分かっていたけど寂しいこともあるな…と思って歩いていた時です。
ここで一つだけですが、30年前と同じ眺めに出会えました。
そのままの景色がありました。
名店街の床…です。
小さかった子供の頃のことです。
どうしても下を見ることが多いです。
そのときに見た景色です。
特徴あるタイルの模様、当時のままに残っていました。
見間違える筈も無いです。
矢印模様でね、色のついたところだけを踏んで歩いたりしました。
もちろん弟も一緒に。
おばあちゃんによくそれで怒られましたっけ。
まさかこんなところに30年前の景色があるとは思っていませんでした。
ちょっと…じゃないですね、
すごく嬉しかったです。
そのあとはぐるりと回って、駅に戻りました。
駅前からバスに乗って東上線の方に抜けて帰りました。
祖母の従姉妹が練馬に住んでいて、
そこに行く時によくバスを使っていたので
その道もたどってみることにした訳です。
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30年前の僕へ。
昨日は君にちょっとだけ会えた気がしました。
今の自分は君から見たらどういう風に見えるでしょう?
どんな大人に見えるのでしょうか?
胸を張って会える私じゃないといけないですよね。
君は素敵な大人の自分を夢見ていましたから。
もしかしたら「ダメだよこんなんじゃ」って言われるかも知れません。
自分が一人で生きていると思ってしまうと
ついつい気が緩むかもしれません。
易きに流れるかも知れません。
そうならないように時々君に会いに来るようにしたいと思います。
時の流れとともにだんだん君も見えにくくなるかもしれないけど
私が忘れなければ、きっとまた会えると思います。
30年前の僕へ。
ぜひ、またお会いしましょう。
次に会う時はもう少し立派で、もう少しだけ君が喜ぶような大人として
会いに行けると思いますので…。
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