おいしいたまごやき

31歳大雑把だけど料理するのが大好きなOLの生活記録。
鈴虫寺の幸福地蔵様、私のところに早く来てくれるといいな。

新しい家族

2006-12-23 11:34:15 | 大切な人
12月20日 朝7時。
母からメール。
ゆっち、元気な女の子産まれたよ。

この写真は昨日のちびちゃん。
まだ名前がついてないからちびちゃん。とうちでは呼ばれている。

一昨日、産まれた日の写真は正面向いてたからそんなに感じなかったが、こうして影がつく角度だとやっぱりちっこいな。

この子が産まれた日。

私は午後からノロもどきの胃腸炎にかかり、会社も休んで寝込んで。
ゆっちは自分も出産後眩暈やら発熱したりと体調悪いくせして、私のことを心配し。ちびの写真で癒されて、と毎日写メール攻撃(笑)

お正月は年明けからだけどゆっくり帰るから、いっぱい眺めよう。写真撮って、だっこして。命の重みをこの手で感じてこようと思う。

ちびちゃん、元気で幸せな未来をその小さな手でつかんで。

ゆっち、ありがとう。
家族皆に素敵なクリスマスプレゼントを届けてくれて。

封じ込めた記憶

2006-11-13 00:48:37 | 大切な人
勇気を出して、私に精一杯のメッセージを送ってくれた彼に敬意を表して。

先週、当時の同級生からみくしーでメッセージをもらった。

「中学、高校といろんなことがあったな、と最近振り返る機会がありました。 中学校の頃、おいたまさんに当たってしまったことがあった気がします。 過去のことは変えられないけれど・・・ごめんなさい。 僕もあの頃はとてもとてもつらかった筈なのに・・・自分だけでなく他の人にもつらい思いをさせていたのかもしれないと思うと心が痛みます。」
と。

私は中学時代のことは実はあまり記憶がなかったりする。 あったとしても曖昧でほとんど何も覚えていない、という言い方がきっと正しいのかもしれない。 嫌なことがたくさんありすぎて、記憶の引き出しを引っ張り出すのが怖くて、奥底に封じ込めているからだ。

私は3年間、何かしらの嫌がらせを誰かから受けていた。
いわゆる「いじめ」というものの軽いバージョンである。

特に2年生と3年生の頃はホントにひどくて。
特に一番私の記憶に残っているのは、2年生の頃、椅子の上に画鋲をまかれ、机いっぱい、椅子の後ろに
「死ね」「汚い」「臭い」
などと鉛筆でたくさんの落書きを書かれたこと。教科書にも。

(「臭い」はいまだに私のトラウマで、自分の体臭が気になり、香水が手放せない)

後ろに座っていたAくんの意地悪に「ざまみろ」という顔で私を見て、彼は小声で「死ね」と私につぶやいたことは今でもはっきり覚えている。

私は悔しくて、鉛筆で書かれたその落書きを泣きそうになるのをこらえながら全部消して、そのまま教室を出て行き、2時間トイレで声を殺して泣いた。

死にたくなったが、ここから落ちても骨折がいいところだ、となぜか冷静に判断。 死ぬなら一度家に帰って、お父さんとお母さんに手紙を書かなきゃとか考えていた記憶もある。 私が教室から消えても先生が探しに来ることもなく、それが余計に悲しくて、トイレから出られなくなった。 皆がいない授業時間にこっそりそこから抜け出し、保健室に行き、その日は席に戻った記憶がない。

それからしばらく、怖くて教室に行けなかったような記憶がある。 後ろに座っていた彼の目が怖くて、忘れられなかったのだ。 3年生になり、少しだけ状況は緩和したのだけれども、やっぱり女の子同士の仲間には入れず、私は中学時代に友達と呼べる友人がいなかった。

あの時はわからなかったけれど、どうしてそうなったのかは今はわかる。

私がすべての原因を作っているのだ。
私は個性が強かったし、気も強いし、自分にも厳しかったけど他人にはもっと厳しかった。
集団の中に溶け込むことが出来ない人間だった。
幼かったから、言葉の使い方なんて知らなくて、人を傷つけるような言葉を無意識に発していたんだと思う。
それが自分にすべて返ってきていただけだ。


最近、25歳の頃の私について振り返ることが多々ある。 自分自身のこと、というよりも、当時の彼の気持ちについて考えることが多くなった。 同じ年齢になり、彼がどんなことで迷い、傷つき、悩んでいたのか解るようになった。 そして、今よりももっと経済状況がよくなくて、転職や将来のことを考えた時、今の私のようにはいかなかった、という状況を考えると彼はどんなに苦しくて辛い中でも頑張っていたんだろう、年下の私の無知とわがままと暴言に付き合わされていたんだろうと。 それを考えると25歳の私は相当ひどい彼女だと思う。 彼と同じ立場で25歳の私を受け入れて支えて欲しい、と言われたら私は彼と同じことをしたんじゃないか、そう思うのだ。 彼だけを責めてしまった自分は間違っていたんじゃないか。

私は彼に謝りたい。でも、謝るべき彼はもう直接の謝罪の言葉をかけられない場所にいる。



人は完璧ではないし、一人で生きることは出来ない。 いろんな人に支えられて、いろんな人に出会い、いろんなことを吸収して、その時々でいろんなことを学び取る。 過去に起きたことは確かに変えることはできないし、謝っても済まされない出来事だってたくさんあるのかもしれない。
でも、生きていて、それを次の教訓として活かすことが出来て、同じ失敗を二度繰り返さなければそれでいいのだと私は思う。

彼の心からの当時のことへの謝罪の気持ちは十分に伝わっている。

私は元々彼が謝るほど彼にひどいことを言われた記憶がないのだけれど、彼がそうだというのだからそうなんだろう。

私は素直に昔の自分を振り返り、そして、多くの人が振り返りはしても苦い記憶として封じ込めてしまうだけなのに、直接本人に謝罪の気持ちを伝えようとする、そんな彼の謙虚さと素直さにとても清々しいものを感じた。
自分が、同じことを出来るかと聞かれたらたぶん出来ないと思う。
もう15年も昔のことだし、彼も私も大人になった。
いろんなことを経験した。
そしていろんなことを学んで、お互いに強く、そしてしなやかな人間になったのだと思う。
彼とはこれからはいい友人として、新たな人間関係を構築していけることを願ってやまない。

<ここからは私から彼への返信メッセージです>
皆、自分と向き合う時、というのは必ず存在するんだと思う。
私は今だってそうだし、強いて言えば25歳から27歳の2年間が一番そうでした。
過労で倒れて、仕事も今まで積み上げてきたキャリアも信頼も、そして結婚の約束をしてた人も無くして。
自分の人生自体をすべて見直さなければならなくなって、随分辛い思いをしました。
社会から離れて、2年近い間鹿児島の実家で療養生活という名の引きこもりの時期を体験し、ホントにあなたが想像がつかないほど、私は荒れて、自暴自棄の生活を送りました。中学や高校時代の出来事なんて比にならないほど、辛くて悲しくて苦しい時期でした。
私が人一倍努力して大切に積み上げて、育てていたものを一度に失いすぎて。何も手につかないし、死のうとしたことだって1度や2度ではないし、その度に親や兄弟、友人たちには泣かれて。
でも、私はどんな時でも一人ではなかったし、愛されていたからここまでやってこれているのだと今は心からそう思っています。

そして、私は与えられたたくさんの時間を使って、自分自身を見つめなおし、振り返りました。
すべての悪いことを他人のせいにするのはとても楽だけども、よくよく深く考えるとそういう風に相手にさせてしまう原因を作っているのは結局のところ自分で、その結果がいいことも悪いことも自身に跳ね返ってきているだけなんだって結論に辿り着きました。だからどんなことも自分自身で受け止めるだけの強さを得なきゃいけないし、起こったすべてのことに責任を負わなきゃいけないんだって。

それに何年も何年も経って、あの時は解らなかったことが年をとるにつれ、いろんな出会いを経てたくさんの人と触れ合う中で見えてくることもあるってことも知りました。
29歳という年齢になって、私は当時結婚の約束をしてた人と同じ年齢になり、彼があの時どんなことを考えてたのか、何を迷い、何を考えていたのか、私にどうして欲しかったのか解るようになりました。彼に自分のやってしまったことを、彼だけを悪者にしてしまったことを謝りたいのだけれど、彼は去年病気で亡くなってしまったのでもうそれも叶いません。

> 過去のことを思い浮かべると、これからもよろしく、とは言えないかもしれないけれど・・・
> もし気が向いたら飲みにでも誘ってくださいね。

全然、これからもよろしく、ですよ^^
何度も言うようですが、昔のことは昔のこと。
私はあなたのことを怒ってることも恨んでることもないから。
むしろ、謝られてびっくりしているくらいです。
でも、そういうあなたの謙虚で素直なところが私はいいなぁって思いました。あまりそういうことを素直に言える人ってなかなかいないと思うので大事にして欲しいです。

母からの手紙

2005-09-13 23:01:02 | 大切な人

今日も仕事を休んで、鹿児島に帰る母を空港まで送っていきたかったのだけれど…。
どうしても今日は仕事に出なくてはならなくて…。

今日は母がお弁当を作ってもたせてくれた。
私は中学からお弁当で、中、高6年母のお弁当を持って学校に通った。
10年ぶりのお弁当。
母と6年間、毎朝、ああでもない、こうでもないって言いながら一緒に台所に立って、お弁当作ってたことを思い出す。



肉じゃが、ごぼうの甘辛煮、ゴーヤサラダ、トマト。
ママの味にはまだまだ及ばない。食べながらそう思った。

仕事から帰って、机の上を見たら、母から1枚置手紙が残されていた。
読んでいて、涙がボロボロ流れ落ちた。
週末はよっちが家にきていたこともあり、とてもにぎやかだった我が家。
でも今夜からはまた1人。
人の気配がない家。
寂しくてまた涙が出た。

一人暮らしも10年。なのに…。
私は本当に一人じゃ生きられないんだと思う。
いつもこうして一人になると寂しくて泣いてしまうのだ。
鹿児島から帰る時は毎回毎回空港で涙目になる。
そして、また一人の時間に慣れて、元の生活に戻るのにすごく時間がかかる…。(苦笑)
いい加減、慣れなきゃ、と思っているんだけど、やっぱりだめみたい。

お母さん、こっちこそありがとう、だよ。
1000キロ離れた鹿児島から私たちに会いに来てくれてありがとう。
いつも心配ばっかりかけてごめんね。もういい大人なのにね。
お母さんの言う通り、ぼちぼち、程々に頑張るよ。頑張りすぎんようにね。

今度は元気な顔で鹿児島に帰ってくるから。だから待っててね。


かわいい妹の頼みですもの。

2005-08-26 23:19:18 | 大切な人
今日ゆっちにやっと誕生日プレゼントありがとうって話をすることが出来た。

おねだり上手な我が妹たち。
私は彼女たちのお願いを叶えられることは何でも聞いてしまう(苦笑)
皆に妹に甘すぎると言われ、父と母にも甘やかすなと言われているのだけれど…。

今日はこんなものをねだられた。

「おねえちゃん、お願いがあるんだけど。ブライダルベア、作ってくれないかなぁ~」

この写真のベアは高校時代からの友人のくろままちゃんの結婚のお祝いに私が作ってプレゼントしたもの。

私は料理の大雑把さを見れば解ると思うけど、私はあんまり器用じゃないし、家庭科はどちらかと言えば苦手な科目だった。
特に被服の授業は苦手で、高校時代の被服の課題は母に
「これじゃ着られないが!」
って怒られ、母が見るに見かねて殆ど作ってくれたような覚えがある。

でも私はそんなに不器用なくせして昔から物作りが大好きだ。
暇さえあればこまごまと材料を買ってきて何か作っている。
これも10年来の友人のくろままちゃんが結婚するのがとても嬉しくて何か手作りのものをプレゼントしたくて作ったのだ。

妹はそれを覚えていたらしくて、手作りのベアが欲しいとおねだり。
私と違ってゆっちは美術や被服が得意で、自分で自分のスカートを作ったりしているほどなのにもかかわらず。

「お姉ちゃんの手作りがいいの。ねえ作って」

と言われたら作ってあげないわけにはいかないよね。

9月の1週目の週末はよっちとデートの約束をしているから、一緒に材料を選びに行ってもらって作ってあげましょう。

あなたが幸せになれますように一針一針気持ちをこめてつくってあげるからね。
楽しみにしててね。

幸せに…

2005-08-16 22:04:43 | 大切な人
今日はお昼に大きな地震。
たぶん私以上にお節介焼きで心配性の母が心配しているはずだと思って電話をかける。

最近母がなにか隠し事をしているのはうすうす感づいていた。
思い切って母に尋ねる。
「なんか隠してるでしょ?」

「実はね…。ゆっちが近くお嫁にいくことになったの。この間結納もして。式は11月の予定なんだけど、飛行機をとってもいいかな?」
「あとね…実はよっちもお嫁にいきたいっていってて。この間向こうの御両親とも顔合わせしたのね。こっちはたぶん来年の春になるんじゃないかって言ってるんだけど…」

妹達がお嫁にいきたがっていることは、そういう相手がいることは私も知っていた。

でも、私が病気をし、私自身の結婚がだめになり…。
それからも長い時間を療養に費やして…。
私が療養している間、陰になり、日向になり小さい妹達は私のことを支え、励まし…。
あの子たちがいたからこんなに元気になれた。
本当に言葉では言い尽くせないほど感謝してるの。ありがとうね。
お姉ちゃん、もう大丈夫だから。

妹達は私に遠慮し…。
父や母は私がそんな話を聞いたらどんな反応をするか解らないから話すタイミングを慎重に慎重に選んで…。

ごめんね。ごめんね。ごめんね。
ずっと我慢させてごめんね。遠慮させてごめんね。

お姉ちゃんはね、あなたたちが幸せなのが一番の幸せなの。
世界一幸せになりなさい。
相手のことも世界一幸せにしてあげなさい。
素敵な家族を作って、いっぱいいっぱい笑って過ごして。
相手の方にも私の大事な妹たちをよろしくお願いしますって言いたい。

それからお父さん、お母さん。
私は大丈夫だから。
拗ねちゃうかもしれないなんて言わないでよね(笑)
私は自分がそういう幸せを掴み損ねた分、妹たちには私の分まで、それ以上に幸せになってほしいと思っているんだよ。

嬉しくて嬉しくて涙がとまらないよ。
今日はずっとずっと泣いてもいいよね。
明日目が腫れちゃって大変かもしれないけど、泣いてもいいよね…。

ごめんね。

2005-08-15 15:29:09 | 大切な人
今、とても気になっている人がいます。

最近メールの文面から悲鳴が聞こえているように感じているのは私の気のせいじゃなければいいのだけれど…。
元々とてもお節介焼きなので取り越し苦労が多いんだけど、本当に今回は取り越し苦労であって欲しいと思っているんだ。

何にもしてあげられなくてもどかしい。
今、私はあなたのために何が出来るのかな…。
何かしてあげられることはないのかな…。

私がもっと余裕があれば、もっともっと腕を広げて飛び込んでおいでって待っていてあげられるのだけれど。
今はただ手を伸ばして引っ張りあげようとするだけで精一杯だよ。ごめんね。

それすら私には出来ていないのかもしれないね。
引っ張りあげて欲しいのは私自身だから。

正直、心の中がどろどろで、誰にも見られたくないくらいどろどろで。
憎しみと悲しみとで真っ黒なんだ。
どこにこの苦しみをぶつけばいいのか、どうしたら今の苦しみから抜け出すことが出来るのか正直わからなくて。ずっとずっともやもやしたまま。
一生懸命もがいてもがいてここから抜け出そうとしているんだけど、なかなか思うようにいかないんだ。

それを皆に悟られないように生きていくのに必死。
皆に心配をかけないように一生懸命笑顔を作って、毎日をやり過ごすのに必死。
神様は意地悪だなって、どうして私にはこうも試練を与えるのかって思ってしまうよ。

あなたが私の顔を見て、あの時と同じ笑顔を向けてくれたら私も笑顔になれる気がする。
だから今度もし近いうちに会う機会があったら、会う時までには私も笑顔になれるように頑張っておくね。
お互い元気な顔で会えたらいいな。
今朝、メールを送ってなんであんなことを書いてしまったんだろうってそう思った。
素直に一言「ありがとう」でよかったのに。
でもスルーしてくれてよかった。
今はまだ誰かに話せることじゃないから。
話したら化粧が剥げ落ちてしまうくらい泣きじゃくりそうだから。
そういう風にされてもあなたも困ってしまうでしょう?私自身も困るし。

お返事本当に嬉しかったの。いつも何気なく気遣ってくれてありがとう。
あなたのそういうところが私は大好きだし、いつも見習わなきゃいけないって思っています。私もそういう大人になりたい。そう思っています。

同窓会

2005-07-16 15:58:54 | 大切な人
今月の最初の土曜日、2年ぶりに大学の同窓会に行ってきました。

私のゼミは先生の誕生月であるこの月の土曜日、必ず同窓会があるのです。
先生は遅くに結婚されて子供がいらっしゃらないこともあり、ゼミ生は皆先生の子供。
私たちのことを辛口ながらも愛情を持って接してくださる先生のことを慕って、この時期仕事とバッティングしなければ全国各地に散らばってる同窓生が集まるのです。

去年も東京にはいたから行こうかなぁと思ってたんですが、当日になってためらってしまって出席することが出来ませんでした。
私の大学の同級生や先輩方は全国、いや世界の各地のビジネスの第一線で活躍している人ばかり。
そんな人たちに会って話なんか聞いたらまた自分の現況に自信を持って話せない私は焦るに決まってる。
そう思ってしまって怖くて参加できなかったんですよね。
皆にはとても会いたかったのだけれど。

今年も焦るだろうなぁと思いつつ行ったんですけど、そんなこともなくて。
とっても楽しくて、充実した時を過ごすことが出来ました。

最初に私の顔を見て、とにかく先生が本当に嬉しそうな顔をして下さって。
「どこの美人が来たかと思ったよ。○○、本当にいい顔になったなぁ」
と仰ってくださったのが最近一番嬉しかったことかもしれない。

いつも仲良くしてもらってる先輩には冗談っぽく
「お前、きれいになったなー。ほんと。彼氏いないの不思議だなぁ。
俺のところでよければ俺のところに嫁に来るか?」
とからかわれ赤面。
冗談だって解ってても最近そういう風に男の人から言われたことなかったから嬉しかったなぁ。
先輩、私にちょっぴり自信を持たせてくれてありがとう。

後輩には
「今の先輩は目がキラキラしてる。今の生活が充実されてるんですね」
と言ってもらえて。
あなたも私から見たら十分キラキラしてますよ。
何かあった時、あなたの言葉に助けられてる人はいっぱいいるのです。本当にいつもありがとう。

自分ではこの何年かの間にそんなに変わったつもりはないけれど、周りの人から見てそういう風に見えるっていうのはやっぱり自分がこれをきっかけに一回り人間的に大きくなったって証なのかなって。そういう意味では病気したことも無駄ではなかったのかなって、そう思うのです。

元気になって、また元のように生活できるようになった今、今まで私のことを大切に大切に想って見守ってくれた皆には感謝の気持ちでいっぱい。
これからいっぱいあなたたちから受けた愛情を少しずつでもお返ししていけるように頑張らなきゃね。

うまれたよ~

2004-11-16 11:50:53 | 大切な人
親友のゆきえから今日メールが来た。
9日に3372グラムの元気な男の子が誕生したとのこと。
予定日は18日だったんだけど、11月の始めに検診に行ったゆきえからメールが来ていて、赤ちゃんが急激に大きくなってるから予定日よりは早く産まれそうだよとは聞いていたんだけど。

静岡にいるパパはまだ赤ちゃんとご対面できていないらしく、まだ名前も決まってないのよ~とメールには書かれていた。

自分の子供ではないけど、なんだか感激して一人ガッツポーズな私。きっとあの二人の子供だからかわいらしいことだと思う。

お正月、帰省できるようならゆきえと赤ちゃんにお土産を持って会いにゆこう。
帰省できなくても桜の季節になったら静岡まで会いに行くよ。

おめでとう。ゆきえ。
これからも幸せにね。

秋桜がゆれる頃

2004-09-21 01:31:45 | 大切な人
週末家から一歩も出ずにひきこもっていた。
土曜日、郵便物を確認しなかったことを思い出し、昨日の朝、学校に行く前にポストを覗いた。

ポストの中には2通の手紙。
私の鬱々とした気分をほんの少しこの2通の手紙が明るくしてくれた。

一通は親友のゆきえから。
もう一通は11月に結婚式を挙げる私の迷?コンビから結婚式の招待状。
2人とも高校時代からのいい友人で私が病める時も健やかなる時も変わらず私のことを温かく見守り、時に励まし、時に叱ってくれる私にとっては大事な人たち…。

ゆきえは季節感を大事にする人。
私は彼女の手紙でいつも季節が移り変わるのを感じる。
今日の手紙はコスモスの柄だった。
出産のため里帰りしている彼女。大きなお腹で動くのも大変だろうに…。
私のために秋を届けてくれたんだね。ありがとう。
先日素敵な手紙や葉書の売っているお店を見つけたんだよ。
ゆきえの手紙を入れた私の文箱はもういっぱいになっているから、お揃いの文箱を買って、お手紙セットを詰めて今度は送ってあげるからね。

実は今日はゆきえの誕生日。
お店の人に「21日着です」といわれたから日付指定をせずに宅配便に週末乗せたのだけれど、昨日着いてしまったらしい。
出産準備のため里帰りし、現在旦那様とも離れ離れ。
先日、私に会いたいよと電話口で寂しがるので私の代わりにはならないかもしれないけれどこの子を彼女への誕生日プレゼントに送っておいた。実は私もお揃いを持っていて、年中にぎにぎしている。適度の柔らかさがあって、落ち着くのだ。
ゆきえはとっても喜んでくれて、お腹の上にぬいぐるみを乗っけて写真を撮ってメールを送ってきた。赤ちゃんが気に入ったのか乗せたらお腹をすごい勢いで蹴ったよ、この子の一番のお友達にするから、誕生日カードは枕元に飾って寝るよとメールに書いてあった。
彼女のニコニコ笑顔が浮かぶ文章がメールには綴られていた。
実はあなたからもらった私の誕生日カードも部屋に飾ってあるんだよ。
二人ともやることが似てるよね(笑)

迷?コンビは高校3年間同じクラス、私が副委員長、彼が委員長の迷コンビ。もう10年の付き合いになる。高校時代はなにかと衝突ばかりしていた二人だったが、今はこうして結婚式にもおよばれしちゃうほどのお付き合いだ。
大学は違ったけど、二人とも東京の大学に進学し、当時八王寺に住んでいた彼ら3人(八王子友の会)とはよくつるんで遊んでいた。夜中まで馬鹿な話も真面目な話もして。
あの頃は私もまだ料理が下手で、時々謎なものも作っていたけど、文句も言わずによく食べてくれていたよね。
秋は私が作ったお弁当を持って高尾山に登りに行って、途中で4人ともヘロヘロになっちゃってじゃんけんして誰が弁当の入った鞄を持つかとかやったなぁ。公園でバドミントンに燃えたり、温泉に行ったり。ホントよく遊び、よく笑い、よく話したよね。
私は一人家が離れていたのにあの頃1ヶ月に一度以上は八王子にいた気がするし…(笑)

あの頃4人で「家族が出来たらこうして今度はここに家族ぐるみで遊びに来たいね」って話をしたのを3人は覚えているだろうか。

コスモスが鹿児島で秋風に揺れる頃、ゆきえには新しい家族が、迷?コンビには生涯の伴侶ができる。二人の幸せな笑顔を見るのを私も楽しみにしている。
コスモスの揺れる頃、元気な顔で二人に会いに行くから。それまで待っててね。

リアルともバーチャルとも

2004-09-01 11:32:00 | 大切な人
ソーシャルネットで人生が変わった女性---IT Mediaニュースより---

今日いつものようにニュースをネットで拾い読みしている途中で見つけた記事。
ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)の存在は随分前から知ってはいたが、自分の周りではやっている人がいないため、私はソーシャルネットワーキングサービス(SNS)に参加しているわけではないんだけど、この記事の女性の言っていることが自分のブログの管理のあり方にもなんだか通じる部分があるような、自分の今の状況と重なる部分があるような気がした。

今更な発言だが、私はblog依存症の女のような気がするから。

記事の冒頭にこんな記述がある。

たくさんの友人ができ、新しい仕事まで舞い込んだ。ネット上の自分のイメージと、現実の自分とのギャップが悩みの種だ。

ここを訪れて下さっている皆さんは、ブログ内のバーチャルな私にどんなイメージを持ってくださっているんだろう。

リアルな私を知らない皆様からみたらどんな私なのだろう。
私はここでもいい子になろうとしていないだろうか。
最近知らず知らずのうちにまた仮面をかぶろうとしている気がする。
現実の自分とネット上のイメージがだんだん離れているような気がしてならない。
読者の望む自分像を作ろうとしているようなそんな気がする。
最近言いたいことを書けているだろうか。
出来るだけ今の等身大の自分を書くようにはしているけれど、やっぱり気を使う部分もない訳ではないのだ。
嫌われるのが怖いのかもしれない。バーチャルなのに。

逆にリアルな私を知っていて、ここを見てくれている私の友人たち。
どんな思いでここを見てくれているんだろう。
「こんな形で悩み事の爆弾をどんと落とさずに、ちゃんときついよ、苦しいよって、なんで言ってくれないの?友達なのに」
って思ってないかな?
思ってる人もいるよね。たぶん。
私も言いたいよ。
直接会ってきつい、苦しい、辛いって。
抱きしめられて泣きたいことだってある。
1人でいたくない時だってあるよ。
逆に楽しいこと、うれしいこと真っ先に伝えたいよ。
だってそれが友達だと思うから。
私はあなたたちにはいつでもそうして欲しいと思うよ。
真っ先に伝えて欲しい。
夜が遅くても朝が早くても私はいつでも話を聞くよ。
足がある限りはどこにでも駆けつけるよ。
でも私はあなたたちに言えないよ。ごめんね。
ホントは言いたいんだよ。
会いたいんだよ。
甘えたいんだよ。
でも出来ないよ。
仕事で泥のように疲れて帰ってくるあなたにこれ以上の負担をかけたくはないの。
電話できないよ。休みの日に会いたいって言えないよ。
結婚して家庭を持っているあなたに忙しい家事の合間を縫って時間を作ってって言えないよ。
旦那様にも申し訳なくて昔みたいに休みの日に「遊ばない?」って気軽には誘えないよ。

そして私は今日も吐き出しきれなかった自分の想いをここに綴る。
ブログの中のここにきていただいている皆様に甘えさせていただいて、寄りかからせていただいている。
バーチャルな世界で色々な事を世間話しているようなそんな感覚。
そして今日も自分の気持ちと向き合ってみる。

今日は私にとっては特別な日。
もうあれから丸2年。
私の悪夢のような日々はここから始まっている。
本当はもっと前から始まってたけど、現実のものとして認識したのは今日この日。
病院で「うつ状態、パニック障害、睡眠障害」を宣告された日。
結局これが原因で勤めていた会社を辞めることになり、一番体調が不安定だった時期に結婚を約束していた彼に捨てられた。
私の心には大きな傷だけが残り、2年かけてここまで修復してきた。
完全ではないが、普通の生活、日常が少しずつ戻ってきた。

ただ、皆と違うのは私はどこのコミュニティにも属していなくて、人との関わりに飢えていること。

でも、だからといってブログで出会った誰かにじゃあ友達になろうよ、リアルでも会ってみようよって言われてもすぐにうんと言えるかどうかはまた別問題で…。一応私も女だから全く知らない人と会うのにはかなりの勇気を要するわけで…。

リアルにつながってみたい。でも怖い。
たぶんリアルに繋がっても私はブログのまま抜け出した人だからあまりイメージは変わらないとは思う。けど、こんな人が書いているって知られたら言いたいことが言えなくなってしまいそうな気もする。今は出来るだけ我慢をせずに書くことにしているけれど、やっぱり今まで通り書けるかと言われたら、皆と交流できるかと言われたら自信がない。

やっぱりしばらく様子見だろうか。
私の中の今ひいている猛烈な風邪より症状としてはひどいだろうと思われる寂しい寂しい病もかまってかまって病も出てこなくなるその日まで。

souryuuseiさんのブログ@『斬(ざん)』 「リアルとバーチャル」persempreさんのブログ@今日の幸せ 「blogに求めるもの」へTBしました。

☆追記☆
Trueさんのブログ@正直者は馬鹿を見る 「入り混じる」へTBがえし。
Trueさん、ありがとう。あなたにはいつも大事なことを教えてもらってばかりいます。