おいしいたまごやき

31歳大雑把だけど料理するのが大好きなOLの生活記録。
鈴虫寺の幸福地蔵様、私のところに早く来てくれるといいな。

おでいと・・・

2005-05-22 23:10:35 | 徒然なること
素敵な夜に乾杯…。

ほうきでばびゅんと飛んでいらした魔女さんとしなたまさんとここでおでいとしました^^


ダチョウのお肉のカルパッチョ。
いつか食べたことのある何かの味に似ていたんだけど何なんだか思い出せなかった…。
未だ思い出せない…。

とっても素敵なお店で、お子ちゃまおいたまは雰囲気に酔っておりました(笑)

こちらを出て、2軒目に行ったのはここ。


アジアンご飯は久しぶりで。
とってもおいしかったのです。
デザートを食べに今度は行きたいなぁと思っているおいたまでした。
会社が早く終われば銀座まで足をのばせない距離ではないので、今度行ってみようかなぁと思っています。

お2人ともとっても素敵な方で、時間が過ぎるのもあっという間でしたよ。

そうそう、帰りに魔女さんとしなたまさんからおみやげをいただきました。


魔女さんブレンドのおにぎりが本当においしくて、涙が出そうでした。
納豆は明日の朝食べようと思っているんですよ・・・。うふふ。

しなたまさんのおみやげはおいたまが一度食べてみたいと思っていた銀座「空也」の最中。
まだ食べてないので撮影してないんです…。食べるのが楽しみ。

ブログをやってて良かったなぁと思うのは、自分がこうしてブログをやってなかったら知り合う機会がなかった人たちと色々とお話ができること。
ちょっと勇気を出してみたらこうしてリアルに会って、また親交を深めることができること。

また、遊んでくださいね~。

ブログ記念日

2005-05-13 01:53:23 | 中の人はこんな人
今日でぐぅでブログを初めて丸1年。

去年の今日、私は一睡もすることが出来なかった。

去年の今日は前に勤めていた会社へ退職の手続きに行った日だ。

「会社を辞める」

これから自分がどうなるのか、どうやって生きていくのか何にも決まってないままに放り出される不安の大波の間を漂っていた。
帰りの電車に乗り込んだ時、不安で涙がとまらなくなった。

私はこれからどうやって生きてけばいいんだろうか。
仕事も失い、キャリアも失い、婚約者まで失った。
私にはもう何も残っていない。
私がいなくなっても誰も困らないんだよね…。
また私の中でそんな考えが頭の中をぐるぐるしていた。

「このまま誰も知らないところへ行ってしまおうか」

そう思った時、何かを察したのか母が携帯に電話をかけてきた。

「ちゃんと会社に行けた?手続きはちゃんと出来たね?気分はどうね?きつくないね?」

「鹿児島に帰ってくるね?でも帰ってきてもすることないし、また気分も沈むでしょ?

しばらくはそっちにいて東京のお友達と会ったり、色々そっちでしか出来ないことしてゆっくりしなさいよ。
どこか旅行に行くのもいいんじゃないね?
でも、行き先はちゃんと言いなさいよ。お母さん心配だからね。

でも慌ててこっちに帰ってこなくてもいいが。
もう少し元気になったら専門学校でも行けばいいよ。お金はお母さんが出してあげるから。
鹿児島に帰ってきたって、やっちゃんに本当にあっている仕事に巡り会えるとは限らんし、勉強とかしたくても学校もないしね。
家の契約もあと1年残ってるし、それから決めてもいいんだが。
1年、遊びでも何でも自分でやりたいことをやって、どうしてもだめなら帰っておいで」

この25歳の秋から今までいろんなことがあった。

母は
「生きてくれてさえいてくれたら、お母さんはそれでいいんだから」
とそういって私を抱きしめてずっと泣いていた。
眠れない私が部屋の隅っこに行って、うずくまって泣いていた時、翌日仕事があるのに私が眠るまでずっと手を握り、子供にするように背中をとんとんとして、寝かしつけてくれていた。
具合が悪いといえば仕事を放り出して帰ってきて、病院を梯子して。

普段は温厚な父には初めてぶたれた。
「かわってやれるのならかわってやりたい」
そう言って父が泣いていた。
父が泣くのを見たのは初めてだった。

医療過誤で病院を転院した時も私のために両親はいろんなところで頭を下げて、いい先生を探してくれた。

転院先の病院の先生はとても温厚なおじいちゃん先生で私の話をいつでもじっくり聞いてくれた。
普通は私のような患者は励ましてはいけないといわれているけど、先生がいつも帰りがけに
「頑張らんね~。大丈夫、僕が保証するよ。ちゃんとまた元の生活に戻れるから。焦らんで、じっくりやっていこうね」
と背中を叩かれ、いつも元気をもらっていた。
先生、先生の言ったとおり、ちゃんと元の生活へ少しずつですが戻れている気がしますよ。

こうして1年、無事に過ごせて、こうして今があるのは、抜け殻のようになって帰ってきた私を東京でまた一人で暮らせるまで立ち直らせてくれたのは、両親と2人の妹たち、そして私の病気のことを知っても私と根気強く付き合ってくれた友人たち。、そしてここにきてくれるブログフレンズの皆さんのおかげです。ありがとう。

去年の今日はこんなふうにまた普通に仕事が出来るって想像はしてなかった。
仕事は順調ですし、同僚にも恵まれ、その意味では幸せ。

でも、私は自分の存在の意義と自信をまだ取り戻したわけではない。
自分が生きている意味を未だ見出せないし、目標もない。
ただその日その日を漠然と過ごす、今の生活がとても不安だ。
時々、とても不安になりすぎて、消えてしまいたくなることもある。

自分の弱さと重過ぎる過去とまだまだ私は付き合わなくてはならないようだ。

来年の今日は今日よりももっと笑って過ごせたら…今はそれだけを願っている。
小さなことの積み重ねがきっと大きくなって、やがてまた大きな花が咲く。
そう信じたい。

迷い

2005-05-01 22:13:52 | 中の人はこんな人
みなさまこんばんは。おいたまです。
ゴールデンウィーク皆様いかがお過ごしですか?

4月に入り、少し仕事が落ち着いて、少しだけ早く帰れるようにはなりました。
ただ、最初に提示されていたよりも仕事の内容がだいぶハードだったこともあり、ちょっとほっとしたら緊張が緩んで疲れがどっと出てしまい、ちょっと体調を崩しています。
現在も少しだけ早く帰れるようになったとはいえ、帰ってくる時間が早かったり遅かったり(遅い日は21時~23時だったりします)なので、早く帰れた日は軽く食べて(人様にお見せできるレベルのものではない)薬を飲んでひたすら寝て、翌日の仕事に支障が出ないように自分の体力の維持が精一杯の状況です。
仕事はとても楽しくて、やりがいもあり、辞めたくないし、失いたくないから、今はとにかく普通に普通に過ごせるだけの体力が欲しいと思っていますし、努力もしているつもりです。

ブログのことはこの一ヶ月どうしようか迷っていました。
書こうとした日にぐぅがメンテだったり、重くて開かなかったりでやる気が削げていたのもあるのですが、それ以前にここを活用する目的が本来の私の目的とはだんだんずれてきていて、私自身がここと続けていくことを迷っているから。

元々このブログは私の気持ちを整理するための場として、そして今の私が考えていることを客観的に見て皆さんがどう思うのか意見を求めてみたいということで、前の会社の退職手続きに行った日の朝、思い切って開設したもの。

こんな大したことのない普通のお料理の記事が意外に好評で、たくさんの方と交流が出来るようになったのはとても嬉しいことでした。

ですが、だんだんユーザーが増えていくにつれ、ここ何ヶ月かはお料理の記事以外の記事を書くと私自身猛烈にショックを受けるようなコメントをつけられることもあり、私自身はそんなつもりで書いたんじゃなかったのにと思うこともあり…。
自分自身気持ちがこれ以上不安定になる要素を作りたくなくて、個人的な日記にあたるつぶやきごとは現在読んでくれる方が判るソーシャルネットワーキングサービスの方で書かせていただいています。
こちらのサービスは読み手を私の方で限定しているので(お友達のお友達までの公開にしています)、ブログのように不特定多数の目に触れることがないから。また、現在の個人的な日記はどうしても仕事がらみの話が多くなってしまうこともあり、個人の情報が特定されやすいことや、仕事上守らなければいけない秘密もあるので、あえてそちらで書いているというのが正しい言い方なのかもしれません。

皆さんのブログの方は時間のある日に少しずつお伺いして読ませていただいてます。
でも、いつもコメントも残さずに読み逃げのことが多くてごめんなさい。

また自分の気持ちが少し落ち着いたらぼちぼちと更新しようと思ってます。
それではまたね。