おいしいたまごやき

31歳大雑把だけど料理するのが大好きなOLの生活記録。
鈴虫寺の幸福地蔵様、私のところに早く来てくれるといいな。

言葉の重み

2004-05-29 00:57:45 | ことのは
テーマサロンの「偏愛コミュニケーション体験談」よりトラックバック。ここから「偏愛コミュニケーションツールとしてのブログ」について書き綴ろうと思う。

---引用記事です--------------------------------------------
初対面の人どうしが顔を合わせても、普通はなかなか共通の話題が見つからず、会話も弾まないものです。ところが、お互いがこの「偏愛マップ」を持っていれば、「あなたもこの映画好きなんですね」、「音楽の趣味は正反対だけど、読む本は似ていますねー」などと共通の話題がどんどん見つかり、あっという間に仲良くなれます。

職場で、学校で、地域の集会で、偏愛マップを使ってみんなで仲良くなろう! そして有名人の偏愛を探ってみるのも楽しいよ! というのがこの本のおおまかな趣旨です。
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ブログは直接顔を合わせたことがない人達と自分の趣味や考え方や共通の話題からコミュニケーションを広げようとする一つの手段であると私は思う。ここに書かれている「偏愛」の輪を広げるコミュニケーションツールとしてとても有効だ。

私の大学の恩師がよくおっしゃっていたこと。
「手紙や文書は後々まで残るし、何かあった時は証拠となる。だから書く時は言葉を選んで書きなさい」
と言うことだ。

ブログに書いた文章は多くの不特定多数の人の目に触れる。それを「快」と思うか「不快」と思うかは読み手次第。それがブログのいいところでもあり、悪いところでもあると私は思う。

普通手紙や文書は相手のことを思い「快」の方向で書くことが前提とされる。「不快」な内容を書くにしてもできるだけ相手を「不快」にさせないように書く、伝えることが前提だ。逆に読み手が分かっているから「不快」にさせない文章が書ける。

ブロガーには色々な考え方の人がいるから必ずしも自分の望む答えばかりが返ってくるとは限らないし、誰かに「不快」な思いを自分も知らないうちにさせているのかもしれない。それだけに自分の言動には責任を果たさなければならないのではないかと強く思う。だから自分と考え方が異なる意見を書かれた時は感情に任せずに少し距離を置いて自分のブログを眺める、相手のブログを眺めて、自分の意見を相手に伝える努力が必要なのではないだろうか。特にお互いが初コミュニケーションの場合は。お互いの「偏愛コミュニケーション」をよりよいものにしていくためにも。

「おい悪魔!」

2004-05-13 16:21:43 | ことのは
気持ちが萎えそうになる時よく思い出す言葉。大学のゼミの先生から卒業する時にいただいた大事な言葉。

「お」…怒るな
「い」…威張るな
「あ」…焦るな
「く」…腐るな
「ま」…負けるな

今の自分は色々な事を立ち止まって考える時間を持たなければならない。
今の自分は焦って、腐って、負けそうだ。それにまだ怒ってるし…。唯一「い」だけがかろうじて守れているだけ。
頑張れ!私!