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夢もよう・夢にっき

今は一瞬で過去になり、残る写真や日記もその時々で不思議もよう。まるで夢の中の出来事のよう

夢と雲と

2005-10-28 | 気になる記事生き方
     今日のノート  
 
 若手議員の見識を高めるため自民党は「日本夢づくり道場」という
研修会を設けておりすでに4回開催した。
 夢づくりを奨励しないと日本人は夢を持てなくなったと
政権党は危機感をもっているようだ。目の付け所には共感できる。

 世界各国の子どもに自国の将来への期待を聞く調査でも
日本の少年達の展望は下位に低迷していた。

 発展途上国の人々の多くが今なお、日本を目標としている。
60年前の戦争で国が壊滅したのに世界第2位の経済大国として
復興したのは憧れに映るようだ。

 外からの日本は夢の対象なのに、日本人が夢を持たなくなりつつあると
知れば驚くのではないか。

 貧困や不幸は自覚せざるを得ない。貧しいと豊かで幸せになることを夢見て
懸命に努力する。
ついに夢が実現して幸せに包まれると思いきや、豊かさに浸ると
自らが幸せかどうか分からなくなるきらいがある。

 とすると、夢を追うことは雲か蜃気楼をつかむようなものなのか。
雲は遠くからはっきり見えるが、近づいたり中に入ると、実体はぼやけ
あるいは消える。日本人の大半は今、雲の中に生きているのかも知れない。

 夢の源泉は、旺盛な向上心であり、豊かな想像力から生まれる。
想像力を培う一つは書物であろう。
「良書は過去の優れた人と会話するようなもの」(デカルト)という。
27日からの読書週間はその好機になる。
夢の塊だったかつての日本人を取り戻すにはまず良書を選ぶことかも。
              (梶原誠一)  10/28  読売新聞より 
 

 良書に出会うことは、良い友に出会うことかも。

人間は、幸せの中にいるからこそ気づかない。
雲の中はよく見えない、まわりが見えない。
雲の実体を理解できていない。
雲も夢も自分の心の中のこと。
雲も現実もどんどん変化して、いずれ、消えてなくなる。
すべて、無常だから…。

私たちにできること  [虐待防止]

2005-10-27 | 気になる記事生き方
   「 安心、自信、自由 」 伝え
       内なる力をつなげよう

 最近わたしの末息子の通う小学校は、予算を投じて新しい鉄製の校門と
背の高い塀を取り付けた。
 学校をめぐる事件の報道が続き、学校の安全対策が問われる動きの中で
日本中の多くの学校で、校門の施錠や監視カメラの設置が進んでいる。

 内閣府の世論調査(今年4月9日発表)によると
「日本で一番悪化しているのは?」の回答に
98年以降毎回、「景気」「雇用条件」「国の財政」の順に多かったのだが
今年、「景気」も「雇用条件」も抜いて「治安」が47.9%でトップになった。

 しかし、犯罪統計に関するいくつもの専門書は、犯罪は急増も凶悪化も
していないことを明らかにしている。
殺人事件の統計を見ても発生件数は戦後ずっと減少し続け
この10年間は横ばいだ。
それなのに治安悪化の不安感が増大しているのはなぜだろう。

 「急増」「凶悪化」といったセンセーショナルな言葉が、安易にマスコミ報道の
見出しやタイトルに使われることで、不安や危機感が不必要にあおられてはいないだろうか。

 そもそも不安はとても危険な感情である。不安の危険な要素を列記してみよう。
  ①不安は伝染する。
  ②不安に圧倒されると人は理性的判断をできなくなり、愚かな行動選択をしてしまう。
  ③不安はお金になる。
  ④不安は支配の道具に使われる。
  ⑤世論を作り出すために、不安はあおられ、わたし達はそれに翻弄される。

 学校では、さすまたの購入、防犯ブザーの配布、監視カメラの設置
警備員の配置などが検討され、街では防犯グッズが売れている。
人は不安に駆られると、外にある物に頼って安心と安全を求めようとする。
人々は「安心」を買い求め、消費社会は人々の「不安」を糧に肥大する。
 
 でもお金で買える物としての「安心」は幻に過ぎないことが多い。

 なぜ自分の外にばかり安心を求めるのだろう。
外に「安心」の道具を求めるのではなく、自分の内に「安心」を
持つという視点を持てないだろうか。

 こわいと思ったら躊躇せずに大声を出していい。
少しでも変だなと思ったら走って逃げてもいい。
いやなことはいやと表現していい。
それを即行する身体の自由だ。
自由とは行動選択の意思である。
内なる安心とはそのように
自分への信頼と行動選択をする自由に支えられたものである。

 家庭や学校、保育所など、大人たちすべてが、子ども達に「安心、自信、自由」の
人権意識を繰り返し教え、虐待や誘拐、いじめ、性的被害などの様々な暴力から
身を守る効果的な方法を共に考え、教えていきたい。

 不安の持つ5つの危険性をしっかりと心にとめて
一人一人の内なる安心の力をつなげていこう。
不安は伝染しやすいけれど、小さな勇気もまた、伝染するのだから。
  10/27   エンパワメント・センター主宰 森田ゆり    読売新聞より 

最近、凶悪な犯罪が増えているような気がしていたのは、マスコミの報道に
わたし達はあおられ、翻弄され「不安」をいだいていたのか!?
何と人間は単純でおろかなことか…
形のあるものを持っているだけで安心というところもある。
いざという時、うまく使い切れるかどうかは、あわてない内なる自分の力だろう。
子どもだけでなく、誰もが自分への信頼と行動選択ができるようになればいいのだが。。

物減らしシンプル生活

2005-10-20 | 気になる記事生き方
     ひとりのチカラ     第4部  「生涯自立をめざして」⑨ 
      探し物も掃除も ぐっと楽に

 室内に無駄なものを置かないシンプルな暮らしは思った以上に快適―――

 東京・新宿の繁華街に近いワンルームマンションで一人暮らしをしている岡崎光子さん(59)は
老後を意識するようになって、そのことを実感している。
探しものはすぐ見つかるし、部屋の掃除もぐんと楽になった。
煩わしさから解放され、生み出された時間は自分の好きなことに使える。

 「衣類や食器などがたくさんあったころは、ついついそのまま積み上げていたものです。
今は使い終わるたびに洗って、元通りの場所に戻す癖がつきました」
シンプルな暮らしを心がけるようになって、充実した毎日が送れるようになったと感じている。

            ☆☆☆

 物を減らし始めたのは51歳の時、1ヵ月半の介護を経て母をみとったことがきっかけだ。
ワンルームマンションに移ることにした。ところがいざ運び込むと足の踏み場もなかった。
「この際、たまり過ぎた身の回りの物を思い切って処分することにしたんです」

 「自分に何かあったらと考え、私の後始末で姉の子ども達に迷惑をかけるのは心苦しいですから」

            ☆☆☆

 バザーなどに出品するため、室内の家財道具を分類する時間も充実を感じるひとときだ。
 最近は家財道具にならって、人間関係も“整理”し始めている。
さほど親しくない人の葬式には出ないなど、形式的な付き合いを控えるようにしている。
「体はまだまだ元気ですから、これからも悪友たちと、楽しいことにどんどん挑戦していきますよ。
思い出は場所を取りませんからね」
                10/20    読売新聞より  

  私もその考え方、大賛成!
そういう思いはずっとあったけれど、いまだに実行できずにいる。

 いつか使う時があるだろうとか、折角だから使ってあげないと
壊れてもいないのに、破れていないのに捨てるのはもったいないし
かわいそうとか思ってしまうのだ。
使い切って捨てようと思うのだが、すべて使い切ることなど出来ないのに。
未練がましいのである。 
 一刻も早く、人間関係も物もシンプルで快適な暮らしをしたいものだ。

聴き上手 夫婦仲も円満!?

2005-10-18 | 気になる記事生き方
『      傾聴ボランティアの普及に取り組む
              鈴木絹英さん (62)

 ――中高年ボランティアが、同世代の話を聞いて、互いに存在意義を確認しあう。
そんな輪が広がれば、高齢者社会も明るくなる――

 「どんなところがあなたの長所ですか」
 「どんなことにも、まじめにこつこつと取り組むことですかね」
いすに座った男女が少し緊張しながら、会話を交わす。
今月13日、川崎市多摩区の多摩市民館で開かれた傾聴ボランティアを学ぶ
市民自主学級の一こまだ。2回目のこの日は、聴き手話し手に分かれての訓練。

 「結論を押し付けない、アドバイスしない。これが傾聴の基本です」と講師を務める鈴木さんは、マイク片手に、身ぶり手ぶりで、約50人の受講生に話しかける。

           ●

 きっかけは、高齢者の電話相談だった。寂しさのあまり、長時間、受話器を話さない人もいた。
「電話相手では物足りない」と思っていたとき、米国で行われている
「シニア・ピア・カウンセリング」というボランティア活動を知り、渡米した。

 訓練を受けた者の中から厳しく選抜されたカウンセラーが、悩みや不安を抱えている
同世代の高齢者の相談に乗る様子を学んだが、しっくりとこない。
個室で行われる米国のカウンセリングは、医療的な色彩が濃かったからだ。
「ボランティアも、対象になる高齢者も、間口を広くする方が、日本人にはなじむ」と。
プログラムを大幅に変更し、養成講座を一から作り上げた。

 東京出身。出版社に勤務後、環境団体に籍を置き、フリーマーケットの
企画・運営なども担当した。しかし、愚痴の多くなった母親に接するうちに
「これからは、高齢者が明るく過ごせる社会作りを目指さねば」と
ボランティアで電話相談を始めた。その活動の延長で、協会を設立。
「フリーマーケットとか組織作りとか、環境団体の時につちかったノウハウが生きているの」
 例えば、質の高い講座を維持するだけでなく、傾聴ボランティアとして活動する現場を
広げようと、当初から、講座修了者による地域活動グループの組織作りを後押し
するとともに、社協などと連携してきた。―― 中略 ――

           ●

 今、注目しているのが、2007年から退職期に入る団塊の世代、特に男性の動向だ。
この世代の講座受講者が増えているという。
 会社人間の男性はおしなべて、性急に成果を求めたがる傾向があり
相手の話をあるがままに聴くことが難しい。
しかし、組織運営などには長じており、ボランティア組織の展開には欠かせない戦力となる。
 もちろん、話し手や聴き手を演じるなどの訓練を通して
「どうすべきかの結論は、話し手が心の中に持っている」という、傾聴ボランティアの黄金律を身につけることは可能だ。
「今からでも遅くはありません。傾聴を学べば、奥様にも喜ばれますよ」とほほえんだ。
                                 (阿部文彦)
    読売新聞 10/18  支えるきもち より 
 
  高齢者だけではなく、だれでも、どの世代でも
人の話をよく聴くことができれば、一方的に自分の意見を押し付けることもなく
お互いの存在意義を認め合い、受け入れることも出来れば、明るい社会になるだろう。
傾聴を学び、意識を変えることはいいことだ。
熟年離婚も減るはず!?

前向きな取り組み応援

2005-10-17 | 気になる記事生き方
 「改革」が叫ばれ続けてきた日本の教育。
掛け声の大きさの割には、結果が伴っていないという見方が強い。
そんな停滞気味の教育界に新しい風を吹き込もうという意気込みで
今年1月下旬に始まった長期大型連載「教育ルネサンス」(朝刊第3社会面で
火曜~土曜に掲載)は、読者の大きな反響を呼んでいる企画だ。
 
 …連載は多岐にわたる。
 教育は「ここが問題」と新聞で社会的に批判されることが多い分野だが
連載では、問題のあることを前提に、その問題に前向きに取り組む事例を
積極的に取り上げてきた。
教育界の応援団としての役割を担おうと考えたからだ。

 この姿勢は、批判慣れしている教師の立場からも評価を受けることになった。
共感した記事を学級通信にして配る小学校の教師まで現われたほどだ。
 一方、保護者の側の支持も大きい。中には、記事で紹介された地元の教師に連絡をとり
学校を知るための自前のセミナーを開いたという母親もいる。
 
 様々なテーマの中で、これまでに最も反響が大きかったのが「教師力」(4・8・9月掲載)
その中で最初に取り上げたのが、教師の「教える力」を向上させる試みだった。

 学力低下や学級崩壊など、様々な課題を抱える教育界だが
教師の授業力が、新聞で真正面から取り上げられたことは、あまりなかったはずだ。
授業をランク付けまでする教育研究団体の取り組みに
「全国のすべての教師にうけてほしい」と拍手を送る読者が相次いだ。

 こうした読者の期待に応えようと9月に東京で初めて企画したのが
「教師力」セミナーというイベントだ。
パネリストが並んで論議するという従来型のスタイルを取らず
紙面で取り上げた教師を招いて、会場で模擬授業を披露してもらおうという催しには
1000人の定員に2000人近い応募が殺到した。

 会場にこられなかったひとのために、模擬授業の映像を
インターネットの「ヨミウリ・オンライン」上で無料公開した。
アクセス数は一日平均1万7000件に達し
「画期的だ。英断に心から敬意を表します」
「まさに、ここからルネサンスが始まる」といった電子メールが続々と届いた。

 「数年来、悲しい事件が続発している要因の一つに『教師力』の衰退が挙げられる。
映像には、教育を改革する大きなヒントがたくさんあり、すべての教育関係者に見てほしい」
という感想を寄せたのは、長崎県佐世保市の教師だった。

 読書とのキャッチボールを、これまで以上に重視する「教育ルネサンス」では
10回に一回のペースで投書を紹介してきた。
投書をもとに、現場に足を運んで、それを記事化するという試みも始めている。

 読者の声を掲載すると、「私はこう思う」という声が増え「モノを言いたい読者」が少なくないことを痛感する。
批判的な意見も含め、それがまた励みになる。
 取材班では、「次はまた『読者の声』をやろう(紹介しよう)」が合言葉になっている。
        (長期連載「教育ルネサンス」取材班)    10/17  より 

 文章にしても言葉にしても、思うように伝わらなかったり、一部分だけが拡大解釈されたり難しいだろう。
記者さんは、いろんな問題や、話題、情報を求め、全国を走り回って大変ですね。
そのままをうのみにして、すぐ記事には出来ないだろうし…
反面、影響力があるということで、反響があればあるほど、面白く、燃えてくるだろう。
新聞がなくなりませんように。。。

見られる快感 生きる力に

2005-10-15 | 気になる記事生き方
『何歳になってもおしゃれでいたい    「生涯自立をめざして」⑥

 軽快な音楽に合わせ、さっそうと登場した竹田安代さん(76)の姿に
会場にいた約50人の観客らが「わー、すてき」と声を上げた。

 8月中旬、東京都東久留米市にある東部地域センターで開かれたのは
「リメーク着物ファッションショー」。
 初めて主催したこのショーで、竹田さんはあでやかな振り袖をロングドレスに
仕立てた一枚を身にまとい“モデルウォーク”で観客の前を歩いた。
 他にも訪問着で作ったワンピース、男性のへこ帯を生かしたドレスなどに
次々と着替え、計6点を披露した。
いずれも知人などから譲り受けた着物を元に竹田さんが手作りした。

 「みんなに見られるのって快感。『きれい』って言われるとすごくうれしいし
生きるエネルギーにつながります」と竹田さん。
この日舞台に立った5人の中で最高齢だったが、白髪はカールされ
指先にはマニキュアがきれいに塗られていた。
          ☆☆☆
 59歳の時、夫を亡くした竹田さんは、二女が結婚して家を離れた12年前から
ワープロ講師をしながらひとりで暮らしてきた。
 10年程前、すんでいた団地でひとり暮らしの高齢者を対象にした
生活調査が実施された。
聞き取り調査役を引き受けたが、家に閉じこもりがちな高齢者が多いことを知り
心を痛めた。
 高齢者を少しでも外へ―――そんな思いから皆で集ってお弁当を食べたり
おしゃべりを楽しんだりすることが出来るグループ「Yワイぐみ」を作った。
毎月約20人が集まる場で竹田さんは「外見を美しく保つことは何歳になっても
健康管理につながる」と呼びかけた。
「『ひとり住まいだから』と髪もとかさず、入れ歯も入れず、寝間着のままで
一日を過ごす人もいる。そんな生活では気持ちがすさむし、足腰も弱り悪循環。
毎朝、身なりを整えれば生活にけじめがつけ、外に出る一歩にもつながります」
          ☆☆☆
 竹田さんの自宅には、玄関、廊下、居間、寝室など様々な場所に大きな鏡が置いてある。
「毎日お化粧をしますし、一日に何度でも鏡を見るようにしています。
『年寄りが今さら何を』と眉をひそめる人もいるでしょうが
何歳になっても自分に関心を持つことは大切だと思います」
 7年前、知人の勧めでシニアファッションショーなどを開く「いよよ華やぐ倶楽部」に入会。仲間と多くの舞台を経験してきた。
 最近は専ら着物で作った独創的な洋服を着て舞台に立つ。

 「高齢者施設でのショー開催後、集った人に衣装を着せてあげるとみんな喜びます。
『きれいよ』と声をかけるともっと笑顔になり自然と背筋も伸びます。
男女を問わず、おしゃれの楽しさや効果を伝えていきたいですね」と竹田さんは話している。
         10/15   読売新聞  ひとりの チカラより 

すばらしい生き方に感動です。       ですね。


「生涯自立をめざして」⑤

2005-10-14 | 気になる記事生き方
『男の自活 毎日コラムに     家事のアイデアや物忘れ対策…

 「大根を薄く切ってざるに広げ、日の当たる部屋の窓際に置いたら
上等の切り干し大根のできあがり」

 「トイレに入って用を足したら、汚したところをすぐにふく。そうしたこまめな小掃除で大掃除いらず」
いずれも主婦向け雑誌に出てきそうな家事のアイデア。
だが、これを考え、実践しているのは、東京都町田市の元中学校教師
山田暁生さん(68)だ。

 今年2月からは、男のひとり暮らしのアイデアをまとめたコラムを
毎日ほぼ一本のペースでパソコン画面に書き続けてる。
単に自分が楽しくて書いたもので、公開は考えてはいなかったが
コラム100本分をまとめて印刷し、同世代の教師仲間に見せてみた。
「すると『役に立つ』『もっと読んでみたい』という反響があったんです。うれしかった。」

       ☆☆☆

 こんな取り組みを始めたのは、8年程前に山田さんが独居生活となったことがきっかけだ。
それまでは妻に家事を任せっきり。
「おーい、メシまだか?」と言っていた生活だ。
当時、妻の母に認知症(痴呆)の症状があらわれ
夫婦で話し合った結果、妻が実家に帰って一人暮らしの母の面倒をみることにしたのだ。
初めての一人暮らしは失敗の連続。だが学ぶことの多い生活でもあった。

 例えば料理では、塩加減を間違えて塩辛くするような失敗がしばしば。
「でも、作ったものを食べるのも自分。人に迷惑かけるわけではないから
失敗も気にならなくなった。
そのうちに、自分の好みの味を作り出す“創作の喜び”を感じるようになりました」
と振り返る。

 コラムは家事のアイデアに加え、電気やガス、戸締りなどのチェックリストを作り
外出前に指さし声だし確認する。
外出時に持参する品はあらかじめ玄関前に置いておく――など
加齢からくる物忘れ対策も紹介している。

 さらに退職後の毎日を充実させるコツも。
「枕元に『明日やりたいこと』を書いたメモを置いておく。すると
朝目覚めた時、『今日は何からスタートすべきか。何をやり遂げるべきか』
が再自覚できます」

 妻のは母昨年亡くなったが、妻は実家を守る必要もあり別居を続けている。
山田さんは、教育評論家として講演や本の執筆を続け
妻も自分のペースで暮らしている。
今の状態が二人にはちょうどよいのでは、と山田さんは思う。

 コラムはすでに200本に達した。
「ひとり暮らしになる高齢男性の役に立つのであれば、将来、本にしたいですね」
      10/14      読売新聞     ひとりの チカラより 

会おうとすれば会えるし、お互い健康でやりたいことがあるうちは、束縛されることなく好きなことが出来、とてもいい関係でいられるだろう。
料理で自分の好みの味を作り出す“創作の喜び”を感じるようになれるとは、うらやましいことだ。
本当のひとり暮らしになる前に、準備・練習ができていいかも。

「元気」は歩き方から

2005-10-13 | 気になる記事生き方
 培う  子供の体力

 「かけっこが速くなる秘密を教えましょう」
岩手大学助教授の上浜竜也さん(41)(健康科学)が切り出すと
校庭に集っていた4年生たちから
「わあっ」という歓声が上がる。
だが、上浜さんが続けた言葉に、一転きょとんとした顔つきになった。
「正しい姿勢で、いっぱい歩くことです」

 岩手県遠野市。
四つの私立小が今年度から「チャレンジ徒歩通学」を始め
その一環として市立遠野北小で9月6日「歩き方教室」が開かれた。
1万メートル競歩の日本記録を持つ大学院生の吾妻武昭さん(23)らが
手本を見せ、児童達も続いた。

 「足が地面につく時、ひざを伸ばして」
「背中はまっすぐ。頭を上から引っ張られている感じだよ」
きめ細かいしどうのおかげで、大半の児童が2時間後には
見違えるようにきれいな歩き方になった。

 上浜さんは、歩きと走りの違いは、両足が地面を離れるかどうかだけと説明し
こう呼びかけた。
「しっかり歩けば、走り方も上手になる。漢字の書き取りや算数の計算と一緒で、子供のときの積み重ねが大事です」

 だが、なぜ「歩き」なのか。
市社会教育課スポーツ健康室長の奥寺啓蔵さん(54)が説明する。
「田舎の子供が元気に跳び回っていると思うのは誤解。
都会よりも車社会に慣れきっている分、かえって歩かないのです」
実際、4小学校で行ったアンケートでは
徒歩通学する児童は半数に過ぎなかった。
自家用車で送迎してもらう児童は3割以上。
残りもスクールバスや自転車による登校だ。
市内の小学生の50メートル走の平均タイムは
昨年度、男女とも全国平均を下回った。
肥満児傾向の児童も全体の15%いる。

 学校の呼びかけに、遠野北小4年の石田礼子さん(10)は9月から
母親の車に乗るのをやめ、学校まで30分かけて歩くようになった。
起床も以前より30分早い午前6時。
「早起きは気持ちがいい。何となくくるまでいっていたけど
友達と歩いた方が楽しい」と話す。

 遠野市は9月下旬、4校の主な通学路に学校までの距離を示す立て看板を設けた。
奥寺室長は「家族や地域の人たちの目に触れさせる狙いもある。
子供の生活を変えるには、周りの大人の意識も変えないと」。
子供が歩き出すには、家族や地域の協力が欠かせないようだ。(梅沢清次)

    読売新聞   10/13  教育ルネサンス No.178 より  
 そうだ。田舎ほど歩くことが少なくなっているというのは当たってると思う。
どの家にも運転できる人や、車が増え、車で移動するのは当然のように子供の送り迎えも。
友達のうちに遊びに行くのまで送り迎えということもある。
過疎化が進み、統廃合のせいで、通学距離が増えた場合もあるだろうが…
周りがみんなそうしているから、かわいそうだから、楽だから、心配だからと
車に依存している。
 昔は、子供の送り迎えなんて考えられなかった。
高学年になると自転車に乗れるようになり、遊びに行ったり、塾に行ったり。
そういえば、運動が苦手で恐がりの私が、乗れるようになったのは同級生の中で一番後でへたくそだったな
 今は、子ども達だけではない、親も横着になり、歩かないでついつい車を使ってしまう
歩けば、自然に体力がつくし、周りの変化、季節の移り変わりにも気づくことが出来るではないか!
わざわざ、ウォーキングしたり、ジョギングしたりしなくとも、生活の中でこまめに歩いて、動けばいいんだ!運動は大人になっても遊び感覚でしたいね。
 もったいない!もったいない。
出来るところで出来ることを、意識してするようにしなくては。
今しか出来ない体験を、いっぱいしておかないと、あっという間に時は過ぎ過去になる。

「老いの形」見えぬ危うさ

2005-10-01 | 気になる記事生き方
『時のかくれん坊   黒井千次
日曜・祝日の夕暮れや宵の口、散歩に出かけると
よく見かける光景がある。
低い門扉の前に停められた車が目にとまる。
乗用車の場合もあるけれど、人や荷物の収まりやすい
ワンボックスカーの方が多く見受けられる。
塀の中から一人、二人の小さな子どもが走り出て
それを追うように現われた親らしき三十代ほどの男女が
いくつか荷物を積み込んだりする。
最後にゆっくり歩み出てくるのが初老の男女。
つまり子供達にとっての祖父母と思われる。
休日を利用して親の家を訪れた子どもづれの夫婦が
一日を過ごして今帰るところなのだ、と見当がつく。

別の時、違う家の前で見かけても
ほとんど変わらぬ光景が繰り返されていることに妙に感じ入る。
しばらく歩いてからやおら考える。

幼い自分が親に連れられて祖父母の家を訪れた時
こんな別れ方や見送られ方はしなかったのではなかったか――。
祖父母はもっと高い場所に、遠く立っていたような記憶が残っている。
祖父母と孫の距離が縮まったのは、専ら祖父母の方が孫に近づいたために違いない。
権威とまではいわないにしても、
オジイチャン・オバアチャンと呼ばれる存在に
かつて備わっていた人間の形が、今は崩れてしまったような気がしてならない。

一般に寿命が延び、昔に比べて年寄りが若く元気になった
という面は確かにあろう。
しかし、その一方、その若さは今の年寄りの
形としての頼りの無さにどこか通じるところがありはしないか。
選挙の際に問題となる一票の格差ではないけれど
積み重ねられていく年齢における一年一年の重さが実質を失いかけている。

たとえば、「隠居」という言葉は死語に近いものとなった。
昔はいかにも「ご隠居さん」という呼び方の似合う年寄りが見かけられたものだ。
「隠居」とは戸主がその地位を家督相続人に譲って閑居する状態を指すのだから
核家族の増加など家族形態の変化により「家」の影が薄くなってしまった以上
「隠居」もまた生き残ることは難しかったのかもしれない。

いずれにしても、年齢相応に老いていくことの困難な時代が到来した。
若さや体力ばかり尊重され
歳にふさわしい生の形が見失われようとしている。
幼年期や思春期や壮年期に
それぞれの季節にだけ稔る果実があるのだとしたら
老年期には老年の、老いに特有な美しい木の実があっても少しもおかしくはない筈だ。
そしてかつて存在した老いの形とは、その実を収穫するための身構えでもあったのだろう。
幼い孫を連れて遊びに来た息子や娘の一家を送り出す休日の夕暮れの光景は
平和で心和む眺めである。
と同時に、ふと何かの欠けてしまったような危うい気分を誘い出されるのは
そこに老いの形がはっきりとは認められぬ故であるような気がする。
     10/1    読売新聞 より

そう「オジイチャン・オバアチャン」の威厳はなくなっている。
昔は、年寄りというものは、経験豊富で、何でも知っていて頼りにされ尊敬され、ちょっと恐いという感じがしていたような気がするのだが…
今は、変化が激しく年寄りには理解しにくく、昔の経験も知恵も通じなくなって価値観まで変わっている。

父親が、昔強かったのは、男社会で、一家の柱として責任を負わざるをえなく
その形を保ち、男中心で家は成り立っていたと思われる。
女性は立場も、力も弱く頼らざるを得なかったせいもある。
年寄りも、権限をもっていたのだろう。
年寄りといっても、人生50年時代だ。
威張っていられたのも、まわりの支える女性や、子供達のおかげ!?
オジイチャン・オバアチャンに対しても、親の態度を子どもは敏感に感じ取る。

休日の夕暮れの見送る光景から、
老いの形をはっきりとは認められなく、身構えをすることもない
危うい気分があることに気付く人がいるなんて!


価値観変えた彼女の一言

2005-09-26 | 気になる記事生き方
『あのころ      脳科学者 茂木健一郎さん 42
蝶を観察して科学展に応募したり
登下校中に磁石と電流の関係をずっと考えていたり…。
机に向かう勉強とは無縁の小学校時代でした。

漱石やスタンダールを読み始めた5年生のころ
アインシュタインの弟子のインフェルトが書いた
「アインシュタインの世界」と出会いました。
宇宙の神秘を解き明かすために
黒板に数式を書きながら議論する――
そんな生き方をしようと科学者を目指したのです。

<東京大学では理学部物理学科に進学し
素粒子論を専攻。
卒業研究は生物物理学に取り組んだ>

理学部では面白い研究をするのが喜びだった。
将来どうなりたいかなんて考えない。
ところが、法学部の学生だった女性と付き合って
「それで教授になれるのか」
「それがお金になるのか」
というのが俗世間の価値観だと気付かされた。
全人格を否定されたようで苦悩し
ぐちゃぐちゃの気持ちで法学部に学士入学しました。

彼女には振られたけれど
あの強烈な洗礼がなければ
社会的な視点に欠けた、幅の狭い人間になっていたかもしれない。
理科系と文科系の両方の世界を見たことは役立ちました。
人間の脳は、無意識のうちに自分が何を必要としているかを分かっていて
成長のための恋愛があるというのが僕の考えなんです。

<大学院で物理学に戻り博士過程終了。
理化学研究所で脳研究と本格的に向き合い
現在は意識や主観の問題を科学的に解明する試みに挑む>

例えば、意識はどうやって生まれるのか――
を知ろうとすることがエキサイティング。
簡単に「分かった」と満足するのではなく
「分からないこと」の価値を大切にしたい。
私たちの生活を支えると同時に
自由な精神の境地に連れていってくれるのは科学。
その恵みを伝えていきたいのです。     9/26 読売新聞より

深いですね。
分かるような気がするんだけど…難しい。
科学ってなんなんだろう…
科学が自由な精神の境地に連れて行ってくれるなんて!
それはきっと賢い人だけの話じゃないの?って思ってしまう。

無意識のうちに自分が何を必要としているかを分かっていて
成長のための恋愛がある――とは、うーん、そうなんだあ。
俗世間の価値観、なるほどねえ、そうかもしれない…