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夢もよう・夢にっき

今は一瞬で過去になり、残る写真や日記もその時々で不思議もよう。まるで夢の中の出来事のよう

終え方

2011-01-28 | 気になる記事生き方
「人生のゴール」今から考える

『30、40代に「終活」広がる』という記事が読売新聞朝刊に載っていた。

  元気なうちから人生の終え方について考える「終活」

希望する葬儀のスタイル、家族への気持ちなどを記録するエンディングノートの購入。

自分らしくあの世に送り出してもらう方法、家族に対する感謝の言葉、個人の銀行口座や保険、重要な連絡先
もしもの時、残された家族に役立つ情報が記せるエンディングノート。

遺言書作成宿泊ツアーなるものまであるらしい。

予想以上に若い世代の参加が多く、遺言書を作成することで、家族の大切さを改めて実感出来るそうだ。

「大半が核家族で育っているので、老後の面倒を見てもらうという意識はなく、自分で老後や死について考える傾向が強い。
不透明な社会情勢の中、計画を立てるということで安心感を得ようとしているのでは」と分析しているそうだ。
 

 婚活、就活、果ては終活・・・

ノートをわざわざ買う?理想を書く。在りかをいや、思いを誰かに伝えておかなきゃ。
葬式が済んでから見られては意味がない。

ツアーに参加する?現実味のない自分の死を意識し、色んなことを考え反省する機会になり、旅行気分も味わえる?

老後を、死を自ら見極めることは、とても難しいからなぁ・・・

当然のことなのに、受け入れるのは辛いしともかく嫌なのだ。



人それぞれのやり方で、元気なうちにお互いの関わり合いを見直して、感謝して楽しく生きることが出来るならば・・・


恐怖や不安でいっぱいだ。どんなゴールが待っているのか・・・
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意識しようがすまいが、誰も死に向かって生きている・・・


ごきげんでいよう!

2010-02-13 | 気になる記事生き方
                       読売新聞朝刊  2010.2.13
健康+プラス 
 目の若さを保つ④   より
  
         「ごきげん」に運動、節食
      
 『慶応義塾大医学部眼科教授で、アンチエイジング(抗加齢)医学の第一人者
坪田一男さんは、
「生活習慣を改善し、体全体の若さと健康を保つことが、目の老化防止にもつながると考えられます」と話す。

 坪田さんが提唱する生活習慣の改善ポイントは
「運動」「カロリー制限」「ごきげん」の三つだ。


 「運動」は、成長ホルモンの分泌を促し、生活習慣病の元になる肥満を防ぐ。

日常的にランニングする人は、白内障と加齢黄班変性にかかりにくいとの報告がある。

ストレッチ、ジョギングなどの有酸素運動、筋力トレーニング、バランス運動(片足立ち)の4種類を習慣化したい。

 
 「カロリー制限」は、長寿に関わる遺伝子を活性化させることがわかってきた。
ただ、必要な栄養は充分取ること。

「腹八分目を心がけ、炭水化物や脂質を減らして、緑黄野菜や果物を多く取ることが望ましい」

食事は就寝の3時間前には終える。


 「ごきげん」とは、ストレスを溜めず、リラックスして笑顔で過ごすこと。
ごきげんのためには、睡眠も大切だ。

 
 目の衰えを感じ始めたら、全身のアンチエイジングに取り組むチャンス、と前向きに考えよう。』

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そうだ、誰にでも訪れる老化、恐れずしっかり受け止め、前向きに考えよう!

何でも捉え方ひとつなのだ。

なんでもチャンス!と考えれば「ごきげん」でいられることも増え、楽しくてうれしくて
感動も感謝も出来るだろう。

心地よく暮らすために

2010-02-12 | 気になる記事生き方
早速、図書館で借りた本の中から

斉藤茂太さんの『「捨てる「「片付ける」で人生が楽になる』という本の中より
 拾い読み


『一まとめに整理するだけでは問題の解決にはならない。

人と物との腐れ縁を断ち切る。

「今忙しいから後で」「後でじっくり見よう、読もう、考えよう」「後でまた役に立つかも」バタバタ、アタフタ日は明け暮れるだけ。

捨てられないから愚図になる。

心地よく暮らすために捨てる。

ただ、何でもかんでもすぐに捨てればいいというわけではない。

モノである限りどこかで使い道がある。工夫次第でどうにでもなる。

タンスの肥やしにしたり、とっておいて腐らせたりするほうがもったいない。

生かすために捨てる技術なのだ。

「モノを大切にする」=「モノを使う」である。

捨てるところまで有効に使い切ってこそである。

使わないと衰えが早い。頭も筋肉も。
使わず溜め、使わず捨てることになる。

物を大切にするとは、イコール使うということ。

実践することは骨が折れることである。

知識と工夫と努力と、何よりも熱意が必要だ。

「もったいない」は、徹底的にモノを使いきる技術、使い切って捨てる技術である。

モノを大切に思うのなら、どんどん使い込んでゆくほうがいい。

使い込めば愛着が涌く、新しいモノを買おうとしない。自分の出来る範囲で実践しよう。

仕事が出来る人は、いつも身の回りをきれいさっぱりとしている。

いってみれば「仕事への準備」が出来ている。

働きやすい職場環境のためにも、捨てる。机の上が散らかっている人は、頭の中も散らかっている。』


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今は使い捨てが当たり前になっているからなぁ。

決して使い捨て、溜め、とっておいて捨てではなく

「使い切って捨てる」ということ!

「使い切る」ということが難しくなっている。


使い切るには技術も能力も努力も労力も要るのだ。

より便利で快適な生活に慣れている現代では

工夫する能力も努力する気力も衰えている。

面倒がらずに工夫してうまく使ってこそ長持ちし

新しいモノを買うことも少なくなりエコにつながるだろう。


「仕事の出来る人は身の回りがさっぱり、仕事への準備がしてある人」

そうか!そうだよねえ。

頭の中も整理できていて、モノを探し回ることもなければ、すぐに行動でき、予定以上のことが出来るだろう。

とても良く分かるけど、そうは思うけど…つい怠け癖が出る

自分が一番の敵!

腐れ縁に囲まれて暮らす

2010-01-27 | 気になる記事生き方
  時のかくれん坊     

    腐れ縁に囲まれて暮らす             
                               黒井千次
 歳を取るとは、それだけの長い歳月を生きてきたということだから
老いたる人々は当然その間に様々なものを溜め込んでいる。

 それは経験であり、知恵であり、様々の能力であり―――
などといえばカッコいいけれど、実は遥かにムダでメンドウで後悔の種になるような多くのものを身の内に蓄えてしまっている。

 ・・・・・いつ捨ててもいいと考えているだけに、かえって捨てることの出来なくなった腐れ縁につながれた物たち。

 そんな風にして身辺に棲みついてしまった物の整理は、まことに困難である。
無用のつまらぬ品であるほど変な執着が湧く。

 長年身の近くにあった物を失うと心のバランスを失い
とんでもないことが起こるかもしれないという不安に襲われたりする。

 とはいっても、実生活のうえでは何とか手を打たねばならぬ事態に出会う。
仕方がないので重い腰を上げ、最小限の整理に乗り出す破目に陥る。

 そこから先が、また大変なのである。

捨てたくない物を目をつぶって捨てることはまだ出来るかもしれない。

 しかし、処分を行った後の場所がそのまま空白として放置されることはなく
新しい物が移されたり、入れ替えが起こることは避けられない。

仕分けされ、整然とした姿に変わって再登場するのを眺めるのは気持ちいい。
 
 しかしこの新秩序は、古い状態を壊して生まれたものに外ならない。

古い状態に馴染んでいた身は、この変化に中々追いつけない。

 つまり、整理され居場所が変わったために、求めるものを探し出すのが著しく困難となる。

 無用な物を捨てたばかりに必要なものが行方不明になる、といった事態にこれまで
幾度も追い込まれてきた。
 
 古い記憶は残っても、新しい記憶はすぐ消える。
つまり忘れてしまう。

 年寄りによる整理は、時に自分自身まで見失いかねぬ危険な作業である
と自戒し無用な品々に囲まれて暮らしている。
                       2010年1月27日読売新聞朝刊より


そうか、そうなんだ!

古い記憶は残っても新しい記憶はすぐ消える。

最近、片付けると何をどこに収めたのか分からなくなり、無駄に時間をかけて探さなくてはならないという事がよくある

そういうことだったのか

自分でしたことなのだから忘れるはずはないと思うのに
ころっと忘れてしまっていることがある。

まるで無意識にしているような?

そういえば、そんなことがあったような気が・・・

思い出すには時間がかかる。


歳を取るということはそういうことだったのだ。

腐れ縁に囲まれて暮らしている・・・

物がないと不安?自分自身を失いたくない?動きたくない口実?

自分が年老いていることを認めたくない・・・

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そのうちに思い出すこともなくなるというのに・・・・・

信念を持たない

2010-01-14 | 気になる記事生き方
読売新聞10日の日曜版より

   私は「信念を持たない」人     菅野美穂さん
 (日本テレビ系「曲げられない女」の主人公・荻原早紀を演じる菅野さん)

 自分とは違うキャラクターだと言い切る。
「私は、信念は持たない方がいいと思って生きてきた。
自分が固いと、相手がぶつかってきた時にけがをするから」

 一方で、「自分を貫くことは、責任を負うこと。
自分の人生を選んで積み重ねている充実感が、早紀にはあるのでは」とも話す。

 台本を読めば「独身で働いても結婚して子どもがいても、大変さは一緒かなと思った」。

 30歳を過ぎ、スケジュールをきつく感じることもあるが、経験を積ませてもらった連続ドラマは“自分のベース”。
「みっちりやると力強く、元気になれる気がする。今回も、演じているうちに新しい価値観が芽生えるのでは」・・・・・・




自分は信念を持たない方がいいと思って生きてきたと堂々と言えるのはすごい。


固いと相手がぶつかってきた時、怪我をするから!か
なるほど!上手いなぁ。


柔軟に受け止める?
上手く合わせる?かわす?


怪我をしたくないから信念を持たないという。

まあ、自分が怪我をするのも嫌だけど、下手に撥ね返して相手に怪我させるのもいい気はしないものね。

負けるが勝ちかも


信念を曲げないというのはただ単に、思い込み、決め付けて自分が正当化しているだけのことかもしれない。

思い込み、勘違い、誤解は結構世の中にはある。

気がつかないだけで誰にでもどこにでもあることではないだろうか。
悪いことだけではない、いい方に勘違いすることもある。
答えは一つではない、人それぞれということになるのだろうか。

時間と共に、経験と共に周りの景色も人間の気持ちも変わる。
善悪の尺度も時代と共に変わることもある。


まあ、柔らか過ぎると、周りに流行に左右され、ぐにゃぐにゃ曲がり、責任を他人に転嫁し、もつれて解きようがなくなてったりして・・・

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「曲げられない女」と言うのは、自分が呪縛をかけてしまっていて
曲げようと思っても曲げることが出来ない不器用な女ということか?

その不器用さが可愛いってか?
(放映を見る前の感想)

思いださないで

2009-10-23 | 気になる記事生き方
読売新聞2009.10.23朝刊

寺山修二の詩文集「思いださないで」のなかに、時計の一節がある。
<時計の針が/前にすすむと「時間」になります/後ろにすすむと「思い出」になります>。
思えば人は、前後どちらにも針の動く時計を携えて人生を歩いている。

◆辛い出来事は「後ろにすすむ」針に託し、身は「前にすすむ」針に託す。
振り向けば、耐えられそうになかった悲しみもいつしか歳月の彼方に霞んでいる。
針の動かない、壊れた時計を持つ人はどうすればいいだろう。

◆・・・・・27年前にドイツで娘を殺された復讐をしたとされる父親。
誘拐も犯罪であるが、27年間も胸に抱いてきた「壊れた時計」には切ないものがある。

編集手帳より抜粋

なるほど、前後にすすむ時計の針か。

過去、未来、現在

時計は、時間の概念を教えてくれる人間が作りだした物
止まることなく動き変化している、時

人間は、時計の針をそれぞれ勝手に動かしている(錯覚?)ということか

時計は壊れることもあるだろうし、いずれは止まるだろう

時計の針はまき戻せても、時間は戻らない・・・
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止まらない。

「型」原点

2008-04-30 | 気になる記事生き方
読売新聞朝刊
日本の知力の中から

 狂言師の野村萬斎さんは「基礎となる『型』は、知識ではなく体得するもの。型にはめるのは没個性のように考えがちだが、使いこなすうちに型は様々な個性や表現となっていく」と指摘する。

「まなぶ」と言う言葉は「まねる」から派生したとされる。

明治大教授・斎藤氏は
暗誦できるものが教養であり、暗誦していないものは実は身に付いていないとさえいえる。
文章でも計算でも、反復して自家薬籠中のものとし、いつでも再現できるようになることが本当の「わかった」と言う状態だ。

型を身につけた人は余裕が出来、複雑な課題も考えずに処理できる。
先人が編み出した究極の学習法が「型」なのだ。

より多くのことを知っている、覚えている方が偉いと知識だけが一人歩きしている。
今は、情報発信も収集も、簡単に出来るので、にわか批評家、評論家が増えている。
多くの情報の中で埋没して、翻弄され解りにくくなっているとも言える。
一度経験しているから「わかった」と思うのは間違い。
それも一つの考え方、たまたまのこと、奥は深いのだ。
やり方によって、見方によっては全く違ってくる可能性がある。

まずは「基本を学ぶ」ということ。
繰り返し繰り返しまねて体得する。
「型」を身につける。
そして、専門以外の事を拒否するのではなく、関心をもち「多様な考え」を尊重する。
そこからやっと「個性」に発展する。

基本を真似て反復して、自然に瞬間に行動できるようになる
いつでも再現できるようになることが本当の「わかった」と言う状態。
いつでも再現できるかどうかは、普段の生活習慣そのものの結果ということではないだろうか?

社会の変化は目まぐるしく、専門学で身につけた最新知識もすぐに時代遅れとなる。
知識だけではどうしようもなくなる。
だから、基本、原理が分かっているかどうかということになる。

人間、本当に「わかった」状態になるということは本当に難しい。
私には、出来ないのかもしれない・・・
だから、いつも謙虚に、基本を大切にしたいものだ。
そして、継続は力なりということかもしれない。

新しい目標

2008-03-26 | 気になる記事生き方
安らぐ家 自ら建てる』という記事が読売新聞の社会版に載っていた。

 石川県輪島市の金間さん(80)は、1年前の能登半島地震で、自宅が全壊した。倒壊を免れた納屋を改装する作業に精を出す。
 地震直後、親類宅に身を寄せ、間もなく仮設住宅に入ったが、「自分の家が欲しい」と妻とともに切実に願い、「自分で家を建てられないことはない」
 自宅は出来る限り自分の手で再建しようとしている。
 仮説住宅の入居期限は、あと1年。
 間取り図を何度も書き直し、足腰が不自由になり、この冬は仮設住宅にこもりがちの妻とも会話が弾む。
「地震は人生の新しい目標を与えてくれたようです」と。

さぞかし仮設住宅での生活は不便で窮屈なものだろう。
不幸をプラス発想に変え、生きる活力にしているということ。
素晴らしいことだと思う。
嘆いて、不平不満をいうばかりだと自分が苦しいだけだ。
おけ作りの職人であったこともあり「自分で家を建てられないことはない」と出来ることは自分で1年かけて完成させることを目標にされているらしい。
無理なところだけ他人やプロに助けを求めればいいものね。
気力があれば、知力、体力も湧いてくるだろう。
その気になればきっと何でもできるに違いない。見習わなくちゃ!

その気をどうしたら起こせるかにかかっている・・・
小さくてもいい、いつでも目標を持つということは生き生きと生きていくコツだろう。
老人だけではない、誰しも残り時間は日々確実に少なくなっているのだから
少しでも悔いの残らないように気持ちよく生きていきたいものだ。

心の豊かさ

2008-03-06 | 気になる記事生き方
ゴールデンループより
 人生街道
    「感動」と「感謝」の体験が育む心の豊かさ
                                明治大学教授  北野 大
 モノのなかった時代に育った私たちの世代は、ひたすらモノの豊かさを求め
経済成長を後押しする一方で、残念なことに環境問題をも、もたらしてしまいました。
私たちには、限りある資源と健全な地球環境を子や孫へと残す責任があります。
そんな中で今求めれれているのは、モノの豊かさから心の豊かさへと価値観を転換することだと思っています。
では心の豊かさとは何か?
それは「感動」と「感謝」という二つの言葉に表されると思います。

 「感動」とは、本物に触れたり、見たり、持ったりすることで得られるもの。
コンサートでも美術館でも野球でも、本物と出会って感動する。
そういう体験を重ねることで、人の心は豊かになっていきます。
日常品でも、本物を大事に、長く使っているうちに、思い入れが加わって、だんだん自分のものになっていく。そんな経験のある方も多いはずです。

 一方の「感謝」とは、人から感謝される経験を持つということ。
例えば、ボランティアなどの形で「自分は人様のお役に立っているんだ」という実感を持つことです。
人から感謝されること、それが生きがいになって、さらに役立とうと積極的になり、また人から感謝されて生きがいが増していく。
これが、人とのつながりで生まれる心の豊かさです。

 先ほど本物を大事に長くという話をしましたが、環境に優しい社会を求めるに当たって大切なのは、大量に作って、使って、大量にリサイクルすることではなく、モノを長く使うことなんですね。
私の場合も、弟が二十数年前に買ってくれた外国製の腕時計を大事に使っていますし、おふくろが買ってくれた頑丈な木の机は、今もうちの息子が使っています。
人とモノに感謝し、愛着のあるモノは子へ孫へ伝えることで感謝の気持ちも引き継がれてゆく。
そんなあり方こそが、心の豊かさを養っていくのではないかと私は思っているのです。

感謝はまず、家族に感謝だろう。
親が子に、子が親に、夫が妻に、妻が夫に、姑が嫁に、嫁が姑にすることが当たり前とせず、感謝すること。
そして食べれることに、普通に暮らせることに、自然環境に、友人に、周りのすべてに感謝。
感謝すればヒトもモノもより長く、より大切に、より有効に使うことが出来、自然に感動することも増えるのではないだろうか。
感謝があれば感動も出来る。
感謝があれば・・・憎しみも、怒りも、恨みも、悲しみも感謝に変えられれば・・・

ま、いっか

2008-02-25 | 気になる記事生き方
読売新聞朝刊より 
            医療ルネサンス  NO.4286
  シリーズ こころ          摂食障害・・・4・・
         完璧求めず「ま、いっか」で
 東京・池袋駅近くの喫茶店で、長谷川あやさん(37)は連日、若者達と向き合う。
自ら克服した摂食障害のカウンセリングを続けて9年になる。
「自分には自信が持てない」
「やせることでしか評価されない」。
悩み苦しむ若者たちに、長谷川さんは共感を持って接する。
 摂食障害に陥ったのは高校2年の時。
男子生徒に「太ったの?」といわれたのがきっかけだった。
 163センチ、50kとむしろやせていたが、食事量を極端に減らし、半年で36kになった。
「やせたね」。
友だちの言葉がうれしかった。
自分より細い女性にしか目が向かなくなり「もっと細くなろう」と必死になった。

 やせて、就寝時は骨が布団に当たって痛い。
体は食物を求めていた。
短大合格を境に過食が始まった。
夕食後も空腹を抑えきれず、深夜に冷蔵庫をあさった。

 精神科に行くと、医師は決まって「幼少期の母子関係に原因がある」と言った。
長谷川さんは、母親から厳しくしかりつけられた体験を思い出し、「あなたのせいでこんなになった!」と母にあたった。
家族関係はねじれ、「何もかもが嫌になり、感情がなくなった」。
 多量の睡眠薬を飲み、自殺を図った。
助かったが、短大を休学し、過食しては寝る日が続いた。
 体重が80kを超えた時、思った。
「もう、どん底だ」。
すると心が楽になった。
「母を恨んでも何も変わらない。自分の人生は、自分で切り開かなくては」
 家を出て、旅館で住み込みのアルバイトを始めた。
そこで働く人たちは、怒ったり、笑ったり、自分の感情に素直に生きていた。
調理場でキャベツの千切りをしていると、おばあさんがほめてくれた。
 「若いのにうまいね」
うれしかった。涙が出た。
「私を認めてくれる人がいる。私はありのままに生きていいんだ」
 短大に復学した。過食して「太ってしまった」と悔やんだ時も、勇気を出して友達と会った。
すると、「案外、楽しい」。
過食の頻度が減り、結婚した24歳を境に「過食しても自分を責めなくなった」という。
 ずっと抑え込んでいた活発な性格が戻った。
摂食障害の人たちと会い「克服した人の体験を聞く場がない」と感じた。
それが、現在の「あや相談室」につながった。
 「摂食障害の人は、何事も完璧でないと気が済まず、○か×か、白か黒かの世界で生きています。
でも、△な自分もあり、なんです。
『ま、いっか』という考え方を認められるようになれば、必ず克服できます」

何事も完璧を求める人は皆、過食?拒食?
決して完璧を求めすぎているのではなく、ただ偏った考えに固執しているだけ
考え方受け止め方、見方を変えると気にならなくなるはず。
自分に甘く、一つのことしか見ようとせず思い込み、過食や拒食を繰り返すから超肥満、超痩せになるのだろう

偏らないように過ぎないように。なんでも過ぎたら片寄ったらいびつになる。
大量生産、大量消費、物余り、飽食の弊害という面もあるかもしれないが、それに責任転嫁してはいけない。

自分のやれることは何か?どんなに些細な、小さなことでもいい、やってみる
「ま、いっか」なんて言わずにやれることをやる、動いてみる。
少しずつ出来ることも増え、興味が広がって楽しくなってくる
周りの理解、助けはとても大っきいが、まず自分の強い意志が必要だ。
そうすると、食欲や痩せることや見てくれに気が向かなくなる

○も×、△も受け止め方一つで逆転もする、その時の一時的な感覚にすぎない。
過去にこだわらず、慌てずあせらず、あてにせず
今を瞬間を生きよう!