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夢もよう・夢にっき

今は一瞬で過去になり、残る写真や日記もその時々で不思議もよう。まるで夢の中の出来事のよう

娘に音信絶たれ、子離れ決意

2005-09-21 | 気になる記事生き方
絵本作家 喜多嶋洋子さん 55
小さい頃の夢は、獣医師さんでした。
生き物が大好きで、おてんば。
子育てを始めて、子どもが何か拾ってくると、すぐに「飼おう」って。

<1964年に女優デビュー、一世を風靡する。
1970年に作家の修さん結婚し引退。
長女・舞さんを出産後、アメリカへ移住した>

家庭の仕事は全てが新鮮でした。
洋裁作りや料理経験もほとんどなかったけど
本を買って調べたり、レストランの料理を分析したりして挑戦しました。
好きでしたね。家庭の仕事が。
その後、長男の勢と二女の維が生まれました。
子どもに、小さくて弱い立場の生き物を知ってもらおうと
猫やウサギ、カメなど多くの動物を飼いました。
一緒に暮らす楽しさや、辛い死別も体験しました。

<舞さんが、19歳のころ、女優として日本で自立する。
舞さんが実家に帰るとつい口をつく小言。
ある時、舞さんが全ての音信を絶つ抵抗手段に出た>

とてもショックでした。
でも、子どもとは違う人間であり、違う人生。
まさに子離れするタイミングを示されました。
そして「子どもは、親の愛を信頼していたら、わがままを言える」と
やっと理解できたのです。
子どもに自立心が芽生えた時
親としてどう手放すべきなのか
子育てで一番難しい峠ではないかと思います。

<最近出した著書の中では「私の天職はお母さん業」と強調する>

「お母さん」と一言でいうけれど、これは仕事だと思います。
料理人であり、掃除やさんであり、床屋や医者も。
それをしながら、育てた子を世に送り出す。
少子化が進むのは、社会がお母さんの仕事を認めて
ないからじゃないかと思う。
だから私はあえて「お母さん業」と呼びたいのです。
 読売新聞 9/19より

なるほど「お母さん業」ね。
幅広くいろんな経験ができる子育て。
大変だと思えば大変だけど、楽しいと思えばぜんぜん違ってくるだろう。
楽しみながらできるということは、とてもいいことだ。
すべてにいい影響があるだろう。
周りとかかわりあいながら、お互いに成長していくことが出来る子育て。
子育てってとても素敵なことなんだ!!
子育ての期間は、とても短い。
あっという間の出来事なのだ。
実感が湧かないうちに子離れもしなくてはなくなる。
舞さんは、ちゃんと親離れ出来ているんだ。

人生今や80年!
子育てはその中で長くて二十数年。
後は夫婦二人、老後の時間の方がずっと長い。
その時間をどう使うか。。。
どう生ききるか。

娘さん(喜多嶋舞さん)が20日に離婚。
夫だった、大沢樹生さん(36)の会見が今日、(21日)テレビで放映されてしていた。


在宅ホスピス

2005-09-15 | 気になる記事生き方
9/15  読売新聞    今日のノートより
「祖母の一年半の闘病生活を通じて
より良く死を迎えるということは
より良く生きていくことなんだと学んだ」
自宅で臨終を迎えた祖母との対話をつづり
全国コンクールで最優秀となった女子中学生の作文が
在宅ホスピス協会の全国大会で紹介された。

会のテーマは「受けつがれるいのち」
医療問題にとどまらず、在宅での末期患者と家族の心の交流について
実り多い論議があった。

住み慣れた我が家で往診によってがんの痛みなどの緩和ケアを受ける。
ホスピス病棟の不足という事情もあるが
最期まで自分らしく過ごしたいという精神面から希望者が増えている。
同協会はそのような動きをサポートするため
医師、看護婦やボランティアがネットワークを作って
担い手の育成や研修を進めており、会員は700名。
活動の根幹に
「患者・家族の自己決定と生活の質を最優先」
「生と死に敬意を払い、死を早めることも遅らせることもしない」
「体の痛みだけでなく、心理的、社会的苦痛の解決を支援」
といった基準を据えている。

会顧問の柳田邦男さんが
「患者と医療者の人生が交差するところに
在宅ホスピスケアが生まれる」というように
それは子や孫、家族をも含めた「命への思いのリレー」だ。


作文、読んでみたいな。
「より良く死を迎えるためには、より良く生きていくこと」だとは。
素晴らしい家庭、家族と貴重な経験をしたのだろう。

たいてい、人間は病院で死ぬものと思っている節がある。
最近は、自宅で人間らしく死を受け入れるということを、望み、声に出して
それを支えようとする人が増えているようだ。
誰にも「死」はやってくる。
看取ることもなく、寿命も延び
死を遠くに感じるようになっていると思う。
時期はわからないが、死は間違いなく誰にもやってくる。
病院は死ぬところではなく、病気を治すところではないだろうか。
治らないと分かっているものに、無駄な苦痛な治療をすることなく
在宅での生活をサポートする態勢を整えてほしいものだ。
「患者・家族の自己決定と生活の質を最優先」
「生と死に敬意を払い、死を早めることも遅らせることもしない」
「体の痛みだけでなく、心理的、社会的苦痛の解決を支援」


よく考えてみれば、在宅ホスピスは、自然のような気もするが…

「ほな さいなら」

2005-09-13 | 気になる記事生き方
『潮音 風声 
地球上では毎日、至る所で「出会いと別れ」が繰り返されている。
「ダスビダーニャ(ロシア語)
「アディオス」(スペイン語)
「まーさらーま」(アラビア語)
いずれも別れの言葉だが、藤沢周平の世界では「せば」。
こう告げていさぎよく別れる。
山形の方では今もこの言葉が使われているそうな。

この頃の日本では「さようなら」の代わりに
「頑張ってください」という言葉が使われるようになってしまった。
NHKなどでも、アナウンサーがインタビューの最後に
「では、ますます頑張ってください」というのをよく聞く。
いわれた通りに一生懸命頑張った人は
この世との「さよならする日」が、人より早く来たりする。

私は、この世ではあまり頑張らないでおいて
かなり元気で旅立ちたいと思っている。
あの世でもフィールドワークしたいからだ。
あちらで“現地調査”をして
この世にいる人に
「あんがい、ええとこや。そっちでぐずぐずせんと、はよ、こっちに来なはれ」
などと、電子メールや便りを送りたいなと思っている。

着任したばかりの今の職場もいずれ
「さいなら」の日がやってくる。
「ほな、さいなら」「あとは、あんじょうやりや」と
微笑みながら去る日に、私は何かしら、あこがれている。
(国際日本文化研究センター所長)
9/13   読売新聞 より


偶然会うこともあれば、示し合わせて会うこともある。
頻繁に会う人もあれば、人生のうちで一回しか会わない人もいる。
出会いがあれば、必ず別れがある。
はじまりがあれば、必ず終わりがくる。

世の中は無常である。
日々少しずつ、意識するしないに関わらず変わっている。
時に大きくはっきり変わることもある。
どんどん過去になっている。

職場を去るときには言えるかもしれないが
この世との別れの時は難しいだろう。
「ほな、さいなら」「あとは、あんじょうやりや」
言って、微笑みながら去ることが……
そして「ありがとう」を!



「スピコン」―信仰の新形態

2005-09-08 | 気になる記事生き方
『オーラ、前世、セラピー…人知を超えた神秘が魅了9/8読売新聞   こころのページより 
占い、カウンセリング、ヨガ、選んだ色で将来を探るオーラソーマ―――。
今、「スピリチュアル」がブームだ。
本来は霊的、精神性と訳される言葉だが、その意味する範囲は広い。
「スピリチュアル・コンベンション(通称スピコン)」といわれるイベントも各地で開かれ
「自分自身や未来を知りたい」という人たちでにぎわう。
“心の時代”、既存の組織的宗教には興味ないが、人知を超えた神秘的なものに惹かれる、別の形の<信仰>が背景にあるようだ。

8月、神戸市で開かれた「第3回神戸スピリチュアル・コンベンション」
占い、癒やし、自然療法など109ものブースが並ぶスピリチュアルの総合見本市で
約900人の入場者でにぎわった。来場者の大部分が女性だ。

「オーラビジョンカメラ」という自己発見ツール。
「自分の持つオーラの色が写真に写り、性格などがわかる」という装置で
女性を中心に列が出来ている。

別のコーナーでは、夫との関係に悩んでいた34歳の女性に、ソウルヒーラー(魂を癒す人)の女性がカウンセリングをしていた。
メモをとりながら話し合い、時には抱きしめて全身で受け入れる友人同士のような相談の仕方だ。
女性はすっきりした明るい笑顔でブースを後にした。

他にも「前世鑑定」「イメージ催眠」から「アロマセラピー」まで様々だ。
「愛」「癒し」「神秘」という言葉があふれ、来場者はゲーム感覚の軽いのりで楽しんでいる。
既成仏教のような“威厳”めかしたものは見られず、共通するのはパソコンを駆使したアピールと明るい笑顔だ。

スピコンは、2002年10月、東京でインターネット接続会社を経営する小泉義仁さんが始めた。
小泉さんは「スピリチュアルはスポーツのようなもの」という。
F1からカバティまで、ジャンルも幅が広い。
それだけ自分にあったものを見つけるのが難しくなる。
そこで考えたのが、出合える確率が高いコンベンション(見本市)。
「各ブースを試せるので見つけやすい」

「スター的な霊能者の出現でスピリチュアルが商業ベースに乗った」と話すのは
東京大教授(宗教学)の島薗さんだ。
1970年代に精神世界、80年代に霊性が唱えられ、90年代のスピリチュアルはそれらが生活に根付き、制度に入り込む様相を見せているという。
景気が上向いていてスピリチュアルに金を使う余裕も出てきた。
「霊能者、ヒーラーは中世以降ずっといたが、ふれることがタブーでなくなり抵抗感が少なくなっている」
一方「スピリチュアルには、カルトと地続きの部分も感じるが、コントロールするのは無理だし、するのはよくない。
専門家が関心を払い、既存の宗教も含めて批評的に見ていく必要がある」と指摘する。

いろいろ形を変え、人の心の中に入り込んでいる。
中々面白いうまい発想だと思うが。
宗教は恐いけど、宗教ではないので、苦行をするとか、献金やお布施をということもなく気軽でいいという気がするのだろう。
このような軽いのりで、ゲーム感覚で楽しめ、気分が晴れるならばどんどん流行るだろう。買い物、遊びの感覚で、ひとつのものにハマルよりも、いろんなことをしたくなるから。

人間は弱い。
進化し、物があふれ、贅沢になり、楽なことにもなれてきたが心は満たされていない。
今深刻な悩みがあるわけでもないが、何となく不安。
また、本当に悩んでいる人は、藁をもすがりたい気分だろう。
みんな心の拠り所を、探し求めている。

使い方によっては、リラックスして、気分の切り換えが出来いいだろうが
あまりにそれに頼り、甘え、思い込むのは恐い…
それが組織化すると、宗教の新型・新形態になりそうだ。
催眠にかからないように、洗脳されないように、他人の考えに翻弄されないように…
現実は現実、しっかり受けとめてから自分で考えて、自分の責任で行動しなくてはね。

「いつ」「何をさせるか」親の悩み

2005-09-01 | 気になる記事生き方
『可能性広げてやりたいが…
松山市の陽子さん(33)は、毎朝、2歳7ヶ月の長男のために童謡のCDをかけるのが日課だ。
今では歌いながら自己流の振り付けで踊ってみせる。
近くの音楽教室を体験したことがあった。
好きな曲が流れている間は、一番前に踊り出て歌っていた長男だが
「同じ動きをしてみよう」と先生が呼びかけると
関心を寄せるどころか、教室から抜け出そうとした。
地域の児童館など自由に参加できる体操や水泳、英会話を一通り体験させてみるものの
「させられる」空気として感じたのだろうか、退屈な表情に変わった。
「好きなものも強制では嫌いなものに変わってしまうかもしれない。自然に
関心を引き出すようにしたほうがいいのか、きっかけを与えて働きかけるべきなのか迷う」という。


新居浜市のさゆりさん(22)は、1歳3ヶ月の長女がいる。
近所の子ども達は、3、4歳から水泳やピアノの教室などに通っている。
「たくさん泳げる子と、泳げない子では小学校で差が出てくるのよ」と
先輩ママ達の話を聞くと「いつから始めれば、何を学ばしたらいいの」
「最初のきっかけ作りはどうすればいいの」と思う。


松山市のメグミさん(30)は、2歳5ヶ月の長女を1歳半の頃から
週に4日、音楽に合わせて体を動かす「リトミック」
水泳、英会話教室に通わせている。
長女はどの教室に行くのも楽しそうだ。
夫も「娘が楽しそうなら続けてみたら」と賛成してくれているが
早期の習い事に懐疑的な意見を聞くと、ちょっと不安になる。
教室は一日のうちの一時間程度。
それ以外は公園などでなるべく遊ぶ時間を作っているが
「感性をはぐくむためには習い事だけではなく、自然の中で遊ばせる方法も取り入れるべきなのでしょか」
8/31読売新聞   好奇心の芽を伸ばす お便り編 <上> より

そんなに早い時期から…子育てが終わりそうな私は思ってしまうのです。
そういう時代なんでしょうね。
でも子どものためどうしたらいいのか、何かしなくてはと悩むのはいつの時代も一緒ですね。
何でも経験だとは思うけど、あまり小さい時からというのはどうかな。
ころあいがあると思う。
その時期では興味がなかったことも、無理だったことも
ある年齢になると、理解出来てきて、面白いと思うかもしれない。
どのように関わるか、親の影響は少なからずあるだろうが、なるようになるさと肩の力を抜くことも必要だろう。

何だか、へたをすると23日の中国の記事“競争疲れの小皇帝”に通じるものがあるのでは。
日本は一人っ子政策ではないけれど、少子化がすすみ
子どもにお金と情と時間をたっぷり注ぐことができるので
過度の期待をするということが多くなるのではないだろうか。
16日の記事の“空巣老人の孤独と見舞い権”ともつながってくるように思う。

自分の子育てを振り返ってみても、何が良かったのか悪かったかなんて言えないというか、分からない。
良かったと思えばそうだし、失敗したと思えばそうかもしれないし
今がよいのでいいのか、最期の時よかったと言って死ねるのがいいのか
過去に素晴らしい栄光があったからいいのかそれは、その人がどう思うかであり
他人が思うこととは違うし、出来事によったり、時がたつことでも変わってくるだろう。



競争疲れの小皇帝たち

2005-08-23 | 気になる記事生き方
『一人っ子政策 膨張中国   揺らぐ社会主義
中国銀行上海支店の営業ウーマン、顧びんさん(26)のアフター5は忙しい。
デパートで服を買い、友達とカラオケボックスで騒ぎ
年会費5000元(約7万円)のスポーツジムで汗を流す。
月末はいつも金がなくなってしまう。
7月には、友達と1週間シルクロードを旅した。
「年収の4分の1を使っちゃった」と事も無げに言った。

最近、「月光女神」という言葉が流行っている。
「光」は「何も残らない」の意味。
月給を使い果たす若い女性をこう呼ぶ。

「一人っ子政策」は1979年に国策として始まった。
甘やかされた一人っ子は「小皇帝」と呼ばれた。
だが、小皇帝人生も楽なばかりではない。
両親と祖父母が注ぐ愛情と金から生じたのは
激烈な競争だった。
2~6歳の子どもを「個性を伸ばす幼児教育」
早くから良い教育を身につけ、社会性を身につけさせたいと
寮生活をさせ、ピアノやドラム、英会話などを習わせる。

80年代前半に生まれた初期の一人っ子は
いま次々に社会に出ている。
「貯蓄より消費という女性が急に増えている。一人っ子で両親と暮らしているので
収入は全部自分のために使える」
競争で勝ち抜いてきた、出版社に勤める呂さん(25)も
「結婚しても、私の子どもには、今以上の競争社会が待っている。
それでよいのかどうか。先行きが何となく不透明。だからいまあるお金は
今使っている」と言う。
21世紀の社会主義市場経済の担い手の間に「競争疲れ」が出始めている。
    今日の読売新聞の中の気になった記事から

 小さい時から、遊びも英才教育…競争の渦に巻き込まれている。
頭脳は明晰になり、経済は発展するかもしれないが、心は感情はどうなるのだろうか。
素直な感動や人間的な情緒の発達はとても望めないではないか。


 たっぷり甘やかされ、競争に明け暮れ、勝ち取ったはずの今の生活。
一応最初の目的は達成されたけど、勝ちつづけることができるのだろうか。

先行きが不透明だから、いまあるお金は今使うというのは
今を楽しむということになり、ある意味、今を一生懸命生きることになるのかもしれない。
何も残さない人生。
本当にそれでいいのだろうか。
はたして本当に未練のない、悔いのない人生になるのだろうか。

楽な方に流され、自分のことだけ、今のことだけしか考えていない。
先の事、他人の事、嫌なことは考えたくないのだろう。
自己中心の甘えた考えが主流になり
親や家族、友達、まわりに感謝し思いやり、気遣いいたわることが希薄になっている。
親の方も、これほど金も愛情も子どもに与えたのだからと見返りを期待し求めている。

寂しいけれど…中国だけでのことではない。
親離れも子離れもできていないのだ。
いつまでたっても親は親、子どもは子どものはずなのだが、この世は無常。
常に同じではない。時はどんどん過ぎ変化している。
親だからと保護者で与え続けることはありえない。
子どもは親の持ち物でもない。子どもが全てではないはず。
それに気づかないで、親のエゴを押し通してきた結果といえるかもしれない。

自立して自分で生きることが出来るようになったことを喜んで
親の役目は果たしたと、早く子どもから自立し
自分達のために余力を残しておくよう気持ちを切り換えた方がいい。
子どもも親も
あわてず、あせらず、あてにせずだ。


逃げ道奪った先生のおかげ

2005-08-22 | 気になる記事生き方
『舞の海 秀平さん(37)
毎日、やめることばかり考えていました。
中学校の相撲部のことです。もう、嫌で嫌でしょうがなかったんです。

皆はどんどん背が伸びていくのに、僕だけ“成長期”がこないのです。
小学校の時には、自分より弱かった同級生にも負けるようになり
2年生の頃にはやる気をなくしていました。
でも、顧問の先生がやめさせてくれなかったのです。
放課後にこっそり学校を抜け出そうとすると、校門で
待っていて、逃げても追いかけてくるんです。

高校では相撲部に入らないつもりだったんです。
でも、誘われた学校に一度練習を見に行ったら
練習時間は短いし、みんな楽しそう。
「こんな雰囲気で相撲が取れるならいいかも」と
思い直して入部したんですが、そこは信じられないくらいの猛げいこ。
だまされたんですよ。

今の自分があるのは、中学校の先生が無理やり相撲を続けさせたおかげ。
子どもには、辛くてもそれを受け止め、乗り越えるべく精進するなんてことは出来ない。
どうしても、楽な方に逃げてしまうんです。
だから、なんでもかんでも子どもの自主性に任せるという教育方針には
賛成できませんね。
子どもがやり遂げるまで、親や教師が強制することも
子どもの成長のためには大事だと考えています。
  読売新聞の  あのころ より

先生のおかげと受け止めることが出来、努力が実り
今そう思え感謝できることはすばらしい!!
人間って、ちょっとでも成功すればたいてい、忘れて
自分の力を慢心し自惚れてしまう。

親や教師が強制するといっても限度がある。
やはり、素直に聞く耳を持っているかどうか
自分に厳しくなれるかどうかということではないだろうか。
先生もその素質を見抜いて、強制したのだろう。
伸ばすように手を差し出してくれたり、背中を押したり
たまには、尻をたたくのも必要なことなのだろう。
先生のおかげ、まわりのみんなのおかげ
そして、本人の優しく強い心、頑張りのおかげだろう。

「団塊」よ!農村で第二の人生を

2005-08-19 | 気になる記事生き方
『長期滞在市民農園/空き家あっせん
農林水産省は18日、来年度から団塊の世代に
農山村への長期滞在や、定住を促す取り組みに乗り出す方針を固めた。
2007年から大量に定年退職を迎える団塊の世代には
定年を機に、田舎暮らしを望む人が多く、こうした人を受け入れて
農村地域の活性化を図るのが狙いだ。
具体的には、長期滞在型の市民農園を各地に整備し
受け入れ態勢を整え、半年や一年の長期滞在で農村経験をしてもらい
定住につなげたい考えだ。

 また、地域の生活情報や空き家の紹介・あっせん、田舎暮らしのアドバイスなどを
行う「定住フェア」を開催するほか、新旧住民の交流イベント支援なども検討している。

 「3大都市圏に住む、50歳代の42.5%が田舎で暮らす希望を
持っているとの調査結果もあり、田舎暮らしの要望は強い。
都市部から農村への流れを後押ししたい」(地域振興課)と話している。

 国内農業は、従事者の高齢化で、担い手不足や、休耕地の増加が目立っており
農業の新たな担い手としても期待している。

                8/19 読売新聞より  

 団塊の世代は、特に田舎暮らしをしたいと憧れている人が多いだろう。
今まで働いてきて生活も安定し、のんびりスローライフを楽しもうと思っている。
農業の新しい担い手として期待できるのかどうかは定かではないが
空き家などを利用して気ままな、趣味程度で
健康で働ける数年間の長期滞在型は面白いかもしれない。
定住となると、動きにくくなった時など考えて
よほど環境が良くないと難しいだろうが…





空巣老人の孤独

2005-08-16 | 気になる記事生き方
『空巣老人の孤独と“見舞い権”
高齢化社会に突入した中国で「空巣老人(独居老人)」という言葉をしばしば耳にする。

9日の新華社通信によると、李さん(76)には3人の息子がいるが、去年の初め、同居していた嫁と折り合いが悪く、老人ホームに引っ越した。
ところが、息子達は顔も見に来てくれない。
仲間と一緒にいるときはいいが、よその子どもが訪ねて来る光景を見ると
たまらなく寂しくなる。
息子達に何度も電話をしてみたが
「都合がつかない」と取り合ってくれない。
「介護をしてほしいというわけじゃない。食べるには困らないし
生活の面倒を見てほしいとも思わない。ただ顔を見られればそれでいい」
思案のあげく、「見舞いを受ける権利」を求めて裁判所に駆け込んだ。
裁判所は、「両親を精神的に慰める法的義務はない」として
町内会の調停に委ねられた。

上海では、スーパーの女店員が常連客の「空巣老人」に
料理や掃除をしてあげたりするなどして
借金と称して約71元(994万円)をだまし取る事件もおきている。

一人っ子政策」の結果、少子高齢化が急速に進んでいく。
自分達の生活を犠牲にしながら、たっぷりの教育を身につけさせた子供たちは
国外に留学、就職し親の夢を体現していく。
その愛情が深ければ深いほど、孤独も深まるような気がする。
読売新聞  特派員メール★中国 より

なんとも切ないことである。
かわいいかわいいとたっぷりと愛情も時間もお金も注ぎ、自分達の生活も犠牲にしてまで
大事に育てたのに…(無償の愛のはずなのだが)見返りを求めてしまっている。
裁判で、息子達に「見舞いにきてほしい」と訴えなくてはならないなんて!
自分の方にふりむいてほしい、かまってほしい、分かってほしい…孤独な人間の表現方法の一つか。
いずれ息子達にも老いはやってくる。
今はわからないことだが、老いはきっと大勢の中にいても寂しいものだと思う。
ただ、忘れている時間が多いので、一人でいるより寂しくないだろう。
老いた親を思いやる気持ちは望めないのだろうか。

愛情というか、愛着が深く、きっと自分の所有物と勘違いしているのだ。
思い入れが深ければ深いほど、孤独はより深く、辛くなる。
子離れは何と難しいことか。



パパも子育て楽しもう

2005-08-12 | 気になる記事生き方
小児科医の北原さん(46)が絵本に興味を持ったのは7年前。
生後間もない二男の世話に妻が追われ
2歳年上の長男を寝かしつける役目が回ってきた。
絵本を読んだが、少しも楽しんでくれない。
仕事柄、子どもの扱いには慣れているつもりだっただけに
ショックだった。
その後、図書館に通い、猛然と絵本を読み始める。
やがて、字面を追って読むだけでなく、絵本の面白さを実感しながら読むと
長男が興味を示してくれることが分かった。


「もっと娘に関わって!」
経営コンサルタントの中原さん(55)20数年前に言われた妻の一言。
長女は算数と理科が嫌いだという。
一緒に楽しく勉強する方法はないものか。
模索する中で出会ったのが、「仮説実験授業」
「ドライアイスを水の中に入れると、どうなるか」との
問題に、それぞれが答えを予測してから、実験で確かめる手法だ。
やがて長女は、苦手意識を克服した。
実は自分も理数系が得意ではなかった。
自身が実験の妙味に夢中になる。

読売新聞  教育ルネサンス No137 より

同じ本でも、父親が読み聞かせると反応が違ってくるだろう。
怪獣物や、オバケ、落語など
特に自分が楽しみながら読んでいると、子どもにも伝わる。
実験なら、なおさら楽しいだろう。
理解しやすく、親子で楽しめ勉強できる。
親子で共有出来る、新鮮な感動だ。
夏休みは工作、記録、実験など
親子が関わりあうチャンスだが…
親の関わろう、楽しもうとする意欲とゆとりが必要だ。
楽しむためには余裕がなくてはね。

子育ては、とかく母親のかかわりが多く、任せきりになる。
二人で、話し合い悩み、育てあうことだ。
親も育てられるのだ。
みんな、少しづつ成長していくんだ。
色んな経験をして…