2007.3.20(火)読売新聞朝刊
緩話急題より
昭和の警告
「安全」に身を委ねる危険
社会部 棚瀬 篤
扇風機をつけたまま寝ると、死んでしまう。
昭和30年~40年代に子ども時代を過ごした世代には、周囲の大人からそう注意されたという人が多い。筆者も母親から繰り返し聞かされた。
そんな記憶がよみがえったのは、自動車用の居眠り防止シートが開発された、という記事を読んだからだ。ドライバーの脈拍の変化から、眠りに入る予兆をとらえるという。
製品事故に関する情報が集まる独立行政法人「製品評価技術基盤機構」によれば、扇風機の風で命を落としたという報告事例はないそうだが、世通しつけていれば寝冷えを招き、体調を崩すことは十分に考えられる。
身近な生活空間に電気製品があふれていった時代。突如としてもたらされた便利さに身を任せてしまうことの危うさを、当時の人々はかぎとり、そこから自分や家族を守ろうとしていたと解釈できなくもない。
昨年から製品事故が相次いで問題になっている。もはや使い方のせいに出来ない――― 一連の事故を通じ、メーカーの得た最大の教訓はそれだろう。
使い方のいかんを問わず、事故の起きない製品が求められる時代になったとも言える。
とはいえ、それを使いこなすのも人間である以上、百%の安全を保証するシステムは存在しえない。不完全燃焼防止装置付きのガス湯沸かし器で一酸化炭素中毒事故が続発したという事実が、そのことを物語る。
安全対策にメーカーが不断の努力を払うべきなのは言うまでもない。だが一方で、便利なシステムに身を委ねているうちに、人々は危険に対する想像力や、異常を感じ取る能力を鈍化させてしまったとは言えまいか。
これに似た指摘は「食育」の関係者の間からも聞こえる。
目の前の食品が、食べ時かそうでないか、安全か危険か―――。
嗅覚や味覚を使って判断していたが今は「賞味期限」や「消費期限」が教えてくれる。腐った食品のニオイ、味。それがどんなものかを体感したことのない子どもが出てきたと、各地でジュニア向け料理教室を開く東京ガスの担当者は言う。
《ものがメーカーの努力によってよくなった。(中略)壊れないものを使って、知らぬ間に壊れていったのは人間自身のほうだ》
中学生用の国語の教科書に寄せたエッセーで、現代人のありようにこう警告を発したのは、ロボット工学の権威で東工大名誉教授の森正弘さんである。
養老孟司さんは、自著で森さんの言葉を引き、「機械を便利にしたら、人間は怠け者になる」と書いている。
コンピューターがはじき出した桜の開花時期が、実際のつぼみの膨らみ具合からは考えられないほどに早くても、気象庁の職員はプログラムの異常を疑おうとしなかった。
製品安全の問題から話がそれたが、本質は変わらない気がする。やはり何かが、壊れ始めているのだろうか。
普段から使いつけていなければ、いざというときにはうまく使いこなせないし、慣れているからと気を抜くと思いもかけない事故が起きることになる。「安全」と「危険」は隣り合わせ、と昔からよくいう。昔は色んな戒めをしていたようだ。
現代は、使い方のいかんを問わず、事故の起きない製品が求められる時代なんだ。
作ったもののせい、すべて他人が悪いという利己主義で自己主張をする時代。
自動車用の居眠り防止シートだなんて…
必要以上の物があふれ、便利になりすぎ、何も知らなくても簡単に動かせ、機械に頼って、何でも出来ると過信し錯覚してしまっている。
人間として感じ、考え、行動する基本的なことが、便利なものにうもれ、どんどん忘れ去られ、自分で考え判断し行動し、責任を取るということがだんだんなくなっているということではないのだろうか?
緩話急題より
昭和の警告
「安全」に身を委ねる危険
社会部 棚瀬 篤
扇風機をつけたまま寝ると、死んでしまう。
昭和30年~40年代に子ども時代を過ごした世代には、周囲の大人からそう注意されたという人が多い。筆者も母親から繰り返し聞かされた。
そんな記憶がよみがえったのは、自動車用の居眠り防止シートが開発された、という記事を読んだからだ。ドライバーの脈拍の変化から、眠りに入る予兆をとらえるという。
製品事故に関する情報が集まる独立行政法人「製品評価技術基盤機構」によれば、扇風機の風で命を落としたという報告事例はないそうだが、世通しつけていれば寝冷えを招き、体調を崩すことは十分に考えられる。
身近な生活空間に電気製品があふれていった時代。突如としてもたらされた便利さに身を任せてしまうことの危うさを、当時の人々はかぎとり、そこから自分や家族を守ろうとしていたと解釈できなくもない。
昨年から製品事故が相次いで問題になっている。もはや使い方のせいに出来ない――― 一連の事故を通じ、メーカーの得た最大の教訓はそれだろう。
使い方のいかんを問わず、事故の起きない製品が求められる時代になったとも言える。
とはいえ、それを使いこなすのも人間である以上、百%の安全を保証するシステムは存在しえない。不完全燃焼防止装置付きのガス湯沸かし器で一酸化炭素中毒事故が続発したという事実が、そのことを物語る。
安全対策にメーカーが不断の努力を払うべきなのは言うまでもない。だが一方で、便利なシステムに身を委ねているうちに、人々は危険に対する想像力や、異常を感じ取る能力を鈍化させてしまったとは言えまいか。
これに似た指摘は「食育」の関係者の間からも聞こえる。
目の前の食品が、食べ時かそうでないか、安全か危険か―――。
嗅覚や味覚を使って判断していたが今は「賞味期限」や「消費期限」が教えてくれる。腐った食品のニオイ、味。それがどんなものかを体感したことのない子どもが出てきたと、各地でジュニア向け料理教室を開く東京ガスの担当者は言う。
《ものがメーカーの努力によってよくなった。(中略)壊れないものを使って、知らぬ間に壊れていったのは人間自身のほうだ》
中学生用の国語の教科書に寄せたエッセーで、現代人のありようにこう警告を発したのは、ロボット工学の権威で東工大名誉教授の森正弘さんである。
養老孟司さんは、自著で森さんの言葉を引き、「機械を便利にしたら、人間は怠け者になる」と書いている。
コンピューターがはじき出した桜の開花時期が、実際のつぼみの膨らみ具合からは考えられないほどに早くても、気象庁の職員はプログラムの異常を疑おうとしなかった。
製品安全の問題から話がそれたが、本質は変わらない気がする。やはり何かが、壊れ始めているのだろうか。

現代は、使い方のいかんを問わず、事故の起きない製品が求められる時代なんだ。
作ったもののせい、すべて他人が悪いという利己主義で自己主張をする時代。
自動車用の居眠り防止シートだなんて…
必要以上の物があふれ、便利になりすぎ、何も知らなくても簡単に動かせ、機械に頼って、何でも出来ると過信し錯覚してしまっている。
人間として感じ、考え、行動する基本的なことが、便利なものにうもれ、どんどん忘れ去られ、自分で考え判断し行動し、責任を取るということがだんだんなくなっているということではないのだろうか?