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夢もよう・夢にっき

今は一瞬で過去になり、残る写真や日記もその時々で不思議もよう。まるで夢の中の出来事のよう

生きることは汚れること

2011-10-24 | つぶやき
働いて

泣いて

食べて

笑って

恋して

走って

ころんで

また笑って

生きることは汚れること

だから洗おう

おお洗濯せんたく・・・・・

洗濯洗剤のCMの歌。


生きることは、汚れる・・・そうだ!
当たり前?ちゃ当たり前だけど、何気なくしていることだけど
ちょっと考えさせられ、新たな気持ちになった。

汚れれば、洗って磨いて、輝かせ気持ちよく生きることが出来る・・・
汚れ方も洗い方も干し方、着方も色々だけど。

人生はずっと汚しては洗濯して・・・服もだけど、体もモノも心も・・・
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いや働かなくても、走らなくても、転ばなくてもただ生きているだけで汚れる・・・生きている間は繰り返し

共存するには?

2011-08-09 | つぶやき
今日も本当に暑い。
雨らしい雨も降らず、朝から太陽が照り付けて10時には32度を越えた。

暑ければ暑過ぎる!熱中症が!節電が!って騒ぎ

涼しければ、天変地異かと不安になったり

人間って単純で身勝手。


吉永小百合さんが朗読前「『原子力の平和利用』という言葉を、今まであいまいに受け止めてしまっていた。」と言われたとか

核兵器はいけないけど原子力発電は平和利用・・・確かに曖昧に受け止めて便利よさに安住していた。

戦争をするわけではない。
兵器として使うわけではない、人間が便利に、豊かに暮らしていくために使うのだからいいと過信していた。

安価で、便利で素晴らしいという原子力は、今やなくてはならないものになっている。
人間が作り出したものではあるが、使い方を誤ったり、間違えたりしたら、とんでもないことになる。
それはそれは恐ろしいモノという現実を知ることとなった。

便利なものほど安易に使ってはならない。使い方は難しいということを肝に銘じなくては!

こういうことがなければ、気づくことも、考えることもなく怖れることもなかっただろう。

次々起こる災害は、元は自然災害ではあるが、人的災害と言えるだろう。

天災は、人間の力で起こらないようにすることは出来ない。
予知することがやっとだろう。

まずは防御というか、準備をしておくこと。
絶対ということはないだから、ありとあらゆる考えられる対策をしておくべきだろうが
いつなのか、おきるかどうか分からないことに何処まで金と労力をかけることができるだろうか?

何処にどんな天災が起こるのか、予知出来たら・・・少しは覚悟ができる?
こんな時はどうしたらいいのかをシュミレーションしておく。

刃向かうのではなく、自然とうまく共存しお互いを高めあうことはできないだろうか・・・・・
雷や豪雨、台風、ハリケーン、地震などの力を上手く使えないかな?

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そのためには、自然をむやみやたらに壊さないことかもしれない。

残暑お見舞い?

2011-08-02 | つぶやき
8月になった!
というのに、何だか涼しい朝

ここのところ、朝晩がしのぎやすい。

昼間はクーラーをかけなければかなわないと思っていたのが、扇風機でなんとかなっている。

節電の夏にはふさわしい?のだろうか・・・でも何だか変

あの厳しい暑さの7月初旬が嘘のよう、まるでもう残暑?

いやいやそんなことはない、まだまだ夏本番
のはず・・・・・
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きっと6日は暑くなる・・・・・


横着病?

2011-01-14 | つぶやき
春眠暁を覚えず・・・春?

まだ1月、冬の真っ只中!

それなのに、ああ眠い、ああだるい。


コタツに座りPC、TVを見てると体がダルーくなる。

なんだかしんどい・・・何もしたくなくなる。


横になって血圧を測ると76/43になっている。



ちょっとだけ寝させて・・・



人が来たり、どうしても動かなくてはなくなるとガバッと起きてちょっとクラッとして

しばらく動いているとあまり気にならなくなるのだが。


今までもよくあったけど最近、ひょとして低血圧では?と思って

測ってみるとたいてい100以下



朝は、頑張って起きる。弁当をしなくてはと


気が張っているからか、辛いのは一瞬で

動き始めると分からなくなるから不思議。

病は気から?


ホッとするからか、コタツに入るとしんどい!ってなることが多いような・・・


動かないから血圧が下がるのかな?

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まあ、命に関わるような病気ではないのだから、上手く付き合っていかなくては!

食べられるということ

2011-01-07 | つぶやき
口から食べる、食べられると言うことは、健康な人にとってはごく当たり前のこと。

暮れには、年越し蕎麦、お正月にはお雑煮、煮しめ、黒豆、酢レンコンはもとより焼肉、水炊き、刺身、焼牡蠣、寿司・・・・・

毎日、色んなご馳走をいっぱい食べて食べ過ぎた。


恐ろしいことに2k以上も太ってしまったとため息。



今日は七草粥を食べる日。

少しは胃腸を休めなくては、節制をしなくては・・・・・



食べたい物を食べるれるのも、空気を吸えるのも
本当は有り難いことなのに・・・すっかり忘れている。




嚥下性肺炎になり入院している父

食べたくても食べるものは沢山あるのに食べれない。

呼吸困難も続いている。

年が越せるかどうか心配していたので、本人の苦しさを差し置いてホッとしている・・・




うがいだけでも出来ればいいのだが、動けなくなればそれさえ出来なくなる。

動ける時でも「うがいが仕事だと思っていつもするのよ」と言っていたけど本人には届いていなかったようだ。


認知症になったら自分で清潔に保つことはまず出来ない。

介護施設で、家庭で、介護者の補助がなくては出来ないのだ。

介護者が家族が口腔ケアの必要性を再認識し、指導、チェックすべきなのではないだろうか?



今まで、口の中は、あまり重要視されていなかったのではないだろうか?

食べさせればいいのではない。

口から食べるためには口の中の管理に心を配らなくてはならないということだ。

まだ動けるうちから、食べた後はうがいだけでもすることを指導して欲しいものだ。

そういうことが、徹底されれば、長く口から食べることが出来、嚥下性肺炎も減るのでは?

それを、老人ホームに求めるのは無理なことだろうか?


病院に入ってからでは遅いのだ。

一旦繁殖した菌は、簡単には退治できない。



うがいや歯磨きが食べるために必要だと言うこと。

食べるということが口腔ケアによって成り立っているということにやっと気づいた。

食べることが苦痛になるということは、生きている楽しみがなくなるということ。

お腹イッパイ食べられると言うことはどんなにか有り難いことだったのだ!


元気なうちから

今から、口の中の自己管理はしっかりしておくべきだと痛感している。
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歯磨きやうがいをしたことにしていない?虫歯や、口内炎、歯肉炎、歯槽膿漏になっていない?

離れられない

2010-11-09 | つぶやき
引越しは確かにいいチャンス!

何もかも運び出さなくてはならないから、大変だけど仕分け出来、思い切りやすい。

というか強制的にでも処分せざるをえなくなるだろうから、そりゃあ、スッキリするだろう。

その状態を維持できるかどうかは、その人の、その家族の断捨離の心がけ次第。


実際によく使うもの必要なものって限られている。

一年に一回は必ず使うものはまだしも、別になくても困らないもの、何年も忘れられているものがいかに多いことか!

いつか使うかも?ととって置いている物。

いざ使おうとしても、どこに納めたか忘れて、無駄に捜しても見つからず買ったら出てきたり・・・


今ある物を捨てずに上手く工夫し、使い切ってから捨てる。

頭も体もこまめに動かすことになり、呆け防止、一石二鳥!?になるというのは理想だが・・・

使いこなすということ中々難しいものだ。


引っ越すことのないだろう、私にとってモノは溜まる一方。

あまり買っていないと思っても、結構モノは増えている。

モノにいや、ゴミに埋もれて暮らしているということだ。

モノに対する執着心、未練から離れなければ、捨てられない・・・


便利で安全で快適な暮らしに慣れてしまっている。

欲しいと思えば、何時でもどこでも何でも買えるのが当たり前になっている今。

いつでも手に入るのだから、使い捨て、捨ててもいいと安易な気持ちにもなるだろう。

どんどん新しいモノは手に入れるけれど、欲望はエスカレートするばかりで新鮮な感動や感謝はしなくなる。

使い切れないモノはいっぱいあるけど、何かに餓えている・・・

だから、断捨離なんてのも流行るのだろう。


人間はとかくないものねだり。あまのじゃくなのだ。
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寂しがりやだし、気分屋だし、なまくらだし、欲深い。

ただ、あるがままに、軽やかに生きることは難しいねえ。

捨だった

2010-11-05 | つぶやき
 断舎離じゃなかった「断捨離」だった(アハ)

断って、捨てて離れるだよねえ・・・断って、舎を離れる??てちょっと行きすぎだよね・・・・・・



入ってくるいらないものを断つ。(無駄なものは買わない、これはちょっと出来そう)

ガラクタを捨てる。

ガラクタ?

何がガラクタで、何が無駄で、何が必要か?
モノの仕分けが蓮舫さんみたいに、ビシッとはいかない・・・

貧乏性なので、まだ使える、まだ着れる、まだ大丈夫とモノが捨てられない。

いざ使おうとすると、捜すのに時間がかかりすぎる。

納め込んでしまっていると、そんないいものがあったことも収めていることも忘れている。

いるものは分かりやすく整理(季節ごとや消耗品ごと)することも、物が少なければたやすいはず!

使えるものは今すぐ使おう。使ったら元に戻す!これも大切。

着るものは一度は着てみてから判断し、着ないと思うものは、フリマか資源ごみ。

大事に収めていることが、大切にしていることにはならないということか。

その都度、思い出して、見て上手く活用したいものだ。



趣味のもの、もったいないと思うもの、どうしても捨てがたいものは一旦それようの部屋に並べて

その都度見直してみるというのはどうだろう?

思い切って全部捨てたけど、後であれは残しておけばよかったと後悔しても間に合わないからね。


適材適所、上手く使ってこそなのだ。

使い切って捨てるのが理想だが、使い切ったと思えるのがどこなのか?

有り難いと感謝すれば、工夫して使い切ることができるのだろうか?

モノが溢れ、使い捨てが当たり前になっているのだからそう簡単にはいかない。



物への執着から離れる。

物や人、出来事の執着から離れる。執着心をなくすということだろうが、これが難しい。



モノに縛られず、自由に自分で動いて自分で何でもするってことはもっと難しいだろう。

まずその智恵が、行動力が欲しい・・・

物がない昔の人はモノを大切に使い、使い方も、保存方法も工夫していた。

その力が覚悟があるかな?
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そろそろ年に一度の大掃除の時期(チャンス!!)

今年こそ、断捨離してスッキリしたいものだが・・・

見方も看方も・・・味方?

2010-05-11 | つぶやき
痴呆になれば

「物を盗まれたという。
今、ご飯を食べたのに食べていないという。
出かけたら帰り道が分からなくなる。
夜中に徘徊する。
子どもの顔もわからなくなる。
帰る、帰るという。」

そういうものなのだと思っていた。

他人事の時は。

歳をとれば仕方がないことだろう
気にも留めず、知ったかぶって分かったような気がしていた。

誰もがそういう状態になるわけではなかった。人によって全く違う。


今は、痴呆とは言わず認知症というらしい。

認め知る?ことができなくなる?


個人によってその状態は様々で、かなり違っている。

環境も、人格も違う、傷み具合も違うから、思い込んだら、決め付けたらいけないのだ。


今、どんどん増えている老人介護施設

色んな便利なサービスがいっぱい!介護保険様様だ!

相談はケアマネージャー

デイサービスは幼稚園?学校?

延長もあるそうだ、延長保育?学童保育?

お泊まりはショートステイ・・・介護施設

まるで子どもと一緒だ!?

いや、違う。子どもはこれからどんどん学び成長する、楽しみがある。
老人は・・・


一日のうちでも変化はある。

さっきまでボーとしているようだったのに、他人が来るとシャッキとして、全く認知症を感じさせないくらい普通にしゃべる。

とても素直だと思っていたら、おかしなことを言い張ることもある。
まるで駄々をこねるように・・・可愛くない

本気に受けたら、腹がたつ。

それが全てだとか、本音だとかと根に持たないことだな。

違う時には全く違った言い方をするからだ。

心の変化が目まぐるしく起こっているのだろう。

これって、子どもにだって普通の人にだってある、時と場合によって自分の都合のいいことを言う。

何もかも手を出すのではなく、見守る。

子育てに似てるけど、教えるわけではないのだから難しい。

随分、介護の形も考え方も変わり、色んな選択肢があり介護しやすくはなっている。

けれど、自宅で最期までというのは稀だろう。



自分が看られる立場だったらどうか?

本人の気持ちになるというのはまず、無理だろう

だってそれぞれの立場としての、今があるのだから。


看る方も看られる方も、皆、自分の味方になってほしいと思う。
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それなりに工夫して、看かたにより、見かたによっては、お互いに心の成長があるのではないだろうか?


自分に、その時が来たら全く違った見方をするかもしれないけれど・・・

老いる幸せ

2010-04-23 | つぶやき
人が老いるようになったのは、最近のことではないか?

長寿の祝い「古希」という言葉のように老人になることは稀なことではなくなり

当たり前の超高齢者社会になっている。


医療のめざましい進歩や公衆衛生観念

何といっても戦争がないことも大きな要因ではないだろうか?


老いることが出来るようになった現代は、何と幸せな時代かと思う。



今や超高齢者社会に対応すべく福祉、介護サービスの充実が図られ

デイサービス、ショートステイ、老人ホーム、特養施設などが増えている。

介護用品もどんどん開発され、利用しやすく、介護しやすくなっているようには思う・・・



そのうちに介護される方になるのは間違いない。

長生きできるということ

至れり尽くせりの介護をされるということは有り難いことだが

本当に幸せなのだろうか・・・
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色々なことを考えてしまうこの頃である。

溜め込んだもの

2010-04-02 | つぶやき
老いたる人は様々なモノを溜め込んでいる・・・

黒井さんの言う 「腐れ縁に囲まれて暮らす

多くの経験から得た知恵、能力・・・と言いたいところだが

ムダでメンドウで後悔の種になるようなモノがほとんどかもしれない。


溜め込んでいるつもりはないのに、長年かけて、凝り固まってしまっている。


新しいことに、変化に順応できない、受け入れられない。

変えたくない、認めたくない!


長年慣れ親しんできた家、モノ、家族・・・



いろんな溜め込んだモノや、やり方に執着するのも、捨てられないのも、変えれないのも老化の証拠?



しかし、それすら忘れてしまう時が来るのだ。

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何もかも忘れるわけではないが、斑に・・・