峯山から桔梗山へと続く尾根に出るための道が幾つか遺されている。
かつてはすべての支谷戸から尾根に出られたと思う。
比較的しっかりとした道がこれ。
人家の脇を経て小さな畑の中を通ってゆく。
人家のある辺りの地形は、鎌倉の他の地域と同様に、山際まで掘削されていて、いわば切岸のような状態が続いている。ヤグラもある。
山際が垂直に掘削されているが、決して切岸ではない。
ここでは土地の有効活用に他ならない。
峯山から桔梗山へと続く尾根に出るための道が幾つか遺されている。
かつてはすべての支谷戸から尾根に出られたと思う。
比較的しっかりとした道がこれ。
人家の脇を経て小さな畑の中を通ってゆく。
人家のある辺りの地形は、鎌倉の他の地域と同様に、山際まで掘削されていて、いわば切岸のような状態が続いている。ヤグラもある。
山際が垂直に掘削されているが、決して切岸ではない。
ここでは土地の有効活用に他ならない。
殿入り 北条政村別邸跡
以前にも紹介したが、円久寺の裏手は殿入りと言い、北条政村別邸跡と言われている。
深い谷戸だが、湧水が多く湿地となっている。
冬場は草刈されていて比較的入りやすいのだが、夏に立ち入ることはほぼ不可能。
草木が邪魔をして写真が撮れない。
谷戸の地形は、幾段かのひな壇状になっている。
今は細竹が茂っており、冬場でも奥まで入ることが難しくなっている。
入口から奥の方に向かって左側の奥にヤグラがあるのだが、そこへも辿り着けそうにない。
とにかく細竹の繁茂に困っている。
大仏坂切り通し 常盤側入口
人家の脇を経て樹林の中に足を踏み入れると、瞬く間に空気が変わる。
迫りくる切岸の岩肌に押しつぶされるような印象。
崖の上の方にヤグラがある。
元来、ヤグラには板戸が施されていたはずだから、現在のような恐ろし気な黒い穴は見えなかったと思うが。
この谷戸の雰囲気は特別だ。
意図があってこの景観が造り出されたのであろう。
大仏坂切り通しは、トンネル工事によって峠の東側が失われてしまった。
トンネルの東側にあるバス停の辺りに辛うじて痕跡をとどめるのみ。
大仏坂切り通しの峠の辺りから、尾根を辿って源氏山の方までハイキングコースが通っている。
この尾根道は古くからあったのだろう。
大仏坂切り通しの東側、即ちトンネルのハイキングコースに入った辺りに平場が遺されている。
大仏坂切り通しが鎌倉への入口の一つとして重要な場であったら、当然のこと、出入りを管理するための施設があったろうと思う。
大仏坂切り通しの西側入口辺りは比較的破壊されずに遺されているので、多くの方が写真で紹介しているが、東側の遺構はほとんど目にすることがない。
『覚園寺古絵図』に大楽寺と記されている谷戸。
覚園寺のある谷戸が薬師堂ヶ谷。
その支谷戸である。
かつて、覚園寺の門がこの支谷戸の入口辺りにあった。
覚園寺から見て右手側に支谷戸があり、左側に尾根へと上がる小道が設けられている。
この支谷戸には、幕末まで大楽寺があったという。
明治初期の神仏分離令によって廃寺となったのであろうか。