鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

釈迦堂ヶ谷の支谷戸

2021-03-23 21:43:22 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

大御堂ヶ谷の東隣が、釈迦堂の洞門のある谷戸だ。

この辺りの山の上、即ち尾根筋近くには、数多くのヤグラがある。

山の頂はかなり険しい。

なぜ滑落しそうなほどの急峻なところに、高いところにヤグラを設けたのだろう。

土地の有効利用であろうか疑問である。

 

さて、現在、釈迦堂の洞門は崩落が頻繁に起こっているため通行ができない。

洞門へ向かう途中も崩落している。

写真は、その支谷戸。

木々や下草が茂って藪化しているが、大きくは育っていないため、比較的明るい。

ただこうなると、どこにでもある谷地の風景か。

山の上の方にまで家が建っている。

 

谷戸の写真は冬場に撮ることにしている。

特にこれからの季節は木々が茂って谷戸の地形が判り難くなるのだ。


大御堂ヶ谷 勝長寿院

2021-03-21 14:32:30 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

東勝寺のある屏風山を越えた谷戸が大御堂ヶ谷。ここに勝長寿院跡がある。

勝長寿院は、頼朝が父義朝を弔うために建てた寺。

鶴岡八幡宮の境内で殺された実朝も、ここに葬られている。

北条政子も勝長寿院奥に新御堂を建立している。

そのほか堂塔がいくつも建立されたが、幾度か火災に遭っている。

やがて北条氏が倒され鎌倉時代が終わる。

その後、中先代の乱で北条氏の残党が立ち上がるも、やはり攻略されて北条時行ほか何百人かが大御堂で自刃している。

そのような歴史的背景の重さを感じる場であるはずだが、ずいぶん宅地化されており、勝長寿院の建物を想像することも難しい。

掌のように支谷戸がいくつもある。

その中の一つが、平地のままの状態をとどめている。

ただし、木々が成長して見通しが悪くなっている。

大御堂の呼称の通り、かなり規模の大きな寺域であったようだ。

 


鶴岡八幡宮へ

2021-03-21 08:41:26 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

初詣は鶴岡八幡宮へ、のはずだったが、コロナウイルス蔓延のため、昨年の秋頃から今年はずっと、小町通り、段蔓の辺りをさけてきた。

昨日、所用があって小町通りまで出かけたものだから、そのまま鶴岡八幡宮へ、おそくなったが初詣。

八幡宮拝殿の裏山を・・・スマホのカメラで。

小町通りの人込みを避けて、扇ヶ谷の方へ。その途中の旧川喜多邸別邸。

銭洗弁財天まで足を延ばして。みのわでくずきりをいただこうかと予定していたら、休みであった。

宅地造成されていた、みのわのすぐ近くの空き地。家が建ち始めている。

 


浅間神社 長谷大谷戸

2021-03-19 22:14:00 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

鎌倉の観光名所を歩いているわけではないので、見栄えのする景色ではありませんが、お付き合いください。

 

大仏の鎮座する長谷には、大仏の背後の小谷戸と、その東に位置する大谷戸がある。

大谷戸を北に歩くと、西側の急斜面を登った小山の頂に浅間神社がある。

神社と言ってもほんの小さな、観光目的で鎌倉を訪れる人には無縁の、村の鎮守といった印象の、ちいさな神社。

周りは切り立つような崖。

なぜこのようなところに神社があるのだろう。

背後の踏み分け道をさらに上ると、源氏山から大仏坂切り通しに至るハイキングコースに出られる。

尾根伝いの途中で大仏の後ろ姿が眺められるポイントがある。


たちんだい

2021-03-17 21:53:51 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

常盤の辺りは緑地公園のように比較的手つかずのままの状態で地形が遺されている。

たちんだいは北条政村の別邸跡と言われている。

守りの堅固な城郭のように感じられる。

道路とほぼ同じ高さの平地は湧水が多く湿地となっている。

その上に広い平地があり、ここに邸があったのだろう。

たちんだいとは専らこの二段の土地をいうが、筆者は、さらにこの上の桔梗山と峯山を結ぶ尾根筋も、たちんだいの一部ではなかったかと考えている。

鎌倉に西に目を光らせるに都合の良い土地である。

 

「舘の台」が地名の源なのだろうか。

面白い呼称だが、ずっと疑問に感じている。