名越切り通しの「まんだら堂やぐら群」は、刑死したものを葬った場のように感じられて恐ろし気だ。
化粧坂切り通しのある葛原岡も同様に、鎌倉の入口には刑場が置かれていた。
人の集まる場であり、否応なしに人の目につく場である。
一方で、市も立っていたであろうと思われる。
化粧坂の場合には、その名の通りに遊女もいた。
名越の切り通しはどうだったのだろう。
写真は、先の平場の上の尾根道を西に向かう辺り。
現在は旧道も藪化が進んで、季節を選ばないと行き来ができない状態。
20年ほど前には尾根道を歩くことができたのだが、今では倒木もあって冬場でも歩けないだろう。
前回紹介した切り通しの上の平場は、夏にはこんな感じ。藪で平場も何もわからない。