一時期住まいとされた?
日本書紀という歴史書がある。その国造り神話に周防大島(大島)が生まれた島の一つだとされている。そう聞いたことがある。私が住んでいる山口県にある島であり「え!」と耳に残った。先日大島を訪れる機会があり、そのことを思い出した。そして少し調べる。
大島にある神社の神職の方が書かれたホームペ-ジ(HP)に橘豊日天皇(用明天皇(在位585~587年))が数年大島に住まれたとあった。日本書紀は持統天皇没年の702年頃までを取扱い、万葉集は760年頃までの詩が掲載されているとか。天智天皇の朝鮮出兵(白村江の戦い)は663年。これに敗れて日本の各地に防衛の城を築いた。山口県田布施にある岩城もその一つと思われる。
上記の神社神職のHPには万葉集の詩から読み解いて、天皇の一時期の住まいは島にある長尾八幡宮であったろうという。詩には石城山からの長尾八幡宮方向の眺めを見ながら在りし日を思う時、涙が出るともあったと。年代は橘豊日天皇590年頃-天智天皇663年-日本書紀700年-万葉集760年と、内容のつじつまは合っている。
大島は沖家室島(おきかむろじま)と橋で結ばれている。家室とは古代の豪族層の女性の尊称であったともいう。日本書紀に周防大島が出ていることは、縁があったことを示していると理解して良さそうに思われる。