やなさん浜松E-RA日記

浜松暮らしを楽しむ人を応援する柳原新聞店社長の日記です

遠州大念仏

2006年07月15日 | 浜松暮らし
会社から歩いて5分のところに「犀が崖」があります。

ここは元亀3年、浜松城主だった徳川家康が三方原の合戦で武田軍に破れ、ほうほうの体で城に逃げ帰った後、追いかけてきた武田軍をこの犀が崖に布を張り橋と見せかけ、武田軍の多くの兵をこの谷に落として難を逃れたという場所です。

ですからここの町名は「布橋」といいますが、他にも家康が武田に追われ逃げたときに茶屋で食べた「小豆餅」、しかし武田の追っ手の声がしたのでこの小豆餅を食い逃げしたが、老婆に追いつかれ、代金を払ったといわれる所が「銭取り」というように三方ヶ原の合戦に由来する地名や町名が残っています。

犀が崖では両軍合わせて多くの戦死者が出たことから、死者の霊を祀るために宗円和尚が念仏を唱えたことがきっかけで『遠州大念仏』が生まれました。

旧盆の7月15日はこの犀が崖で毎年「遠州大念仏」が開かれます。

この「大念仏」は踊念仏と言われるもので、太鼓や鉦、笛など鳴り物を多く使いそれぞれの保存会により独特の踊りや唄を披露するものですが、中でも2枚の鉦を向かい合わせにして使用する双盤(そうばん)と言われる鉦の音がなんとも荘厳な響きをあたりに漂わせます。

これは聞いてみたものでしか分からない、なんとも説明しがたいものです。

この「遠州大念仏」、次第に宗教色は薄れ村の娯楽として広まったそうです。服装も派手になり覇権争いも始まったことから江戸時代には禁止令も出たほどとか、今は浜松市の郊外各地に郷土芸能として保存会が残っています。初盆のお宅に頼まれれば出かけることもあるとか。

浜松といえば勇壮な凧揚げ祭りのほうが有名ですが、歴史遺産としては「遠州大念仏」のほうが重要です。

もっと全国にPRすべきという意見もあるのですが、「念仏」という性格上広めにくいのかもしれません。

今日はお盆の送り火ともあって、多くの方が訪れています。


遠州大念仏の由来