アンコウ物語

徒然なるままに

ネルソン・マンデラ元大統領

2013-12-07 17:08:06 | 政治

 12月5日に南アフリカ元大統領ネルソン・マンデラ氏が亡くなった。南アフリカには5回
訪問しているので身近なニュースとして感じられた。南アフリカへの最初の訪問は今から
43年前の1970年。この時はアパルトヘイトが行われており、非白人は厳しい状況に
置かれていた。因みにアパルトヘイトとはアフリカーンス語で「隔離」と言う意味である。

1994年4月に南アフリカ最初の民主選挙が行われ、黒人の初代大統領ネルソン
マンデラ氏が誕生するまで、アパルトヘイトが続き黒人、カラードと呼ばれる混血、
日本人を除く中国人・韓国人などアジア人等非白人は職業、居住地、滞在場所、
他数多くの差別があり自由を奪われていた事は衆知のとおり。非白人の中で日本人
のみが日本と南アフリカとの緊密な経済関係から名誉白人と呼ばれ白人と同じ処遇を
受けていた。これは
1970年代に入り、、世界がアパルトヘイト廃止を主張し、国際連合や
米国などが南アフリカ制裁を開始したが、日本は南アフリカとの関係を続け南アフリカの
最大の貿易相手国となり名誉白人の地位を与えられたことによる。これに対し国連
安保理では日本非難決議が採択されている。

当時はパス法と言う法律があり、白人以外のこれらの人種は全てパスと称する
身分証明者を常時携帯する事が義務づけられた。このパスには指定された居留地の
住所の他、勤務許可地、勤務許可時間が記載され、指定された場所、時間以外の
ところにいた場合直ちに逮捕された。
パス法以外に、人種別に居住地域を定めた
「集団地域法」、アフリカ人の土地所有を国土の13%に限定する「原住民土地法」、
非熟練の単純労働者に限定する為のアフリカ人への独自の教育を行なう
「バンツー教育法」、
逮捕状なしで90日(後に無期限に変更)拘禁出来る法律、白人と非白人の性交渉を
禁じた「背徳法」、白人と非白人の結婚を禁止する「雑
婚禁止法」、公衆トイレやバスを
人種別に利用させる「分離施設法
」などの法律があった。これらの法律は1991年まで
続いた。

1970年の最初の南アフリカ訪問時はケープタウン、ダーバン、ヨハネスブルグなどに
3週間滞在した。ヨハネスブルグのホテルの近くの中華料理店でよく食事をしたが、
ここの店主は台湾から来た中国人女性で人種差別の色々な話を聞かせて貰った。
非白人の職業は掃除夫、メイド、レストランの皿洗い、ガードマン、工場労働者、鉱山の
採掘工、ゴミ収集作業などごく限られた職種のみに限定されていた。

バスは白人、非白人共一緒に乗ることが出来たが、バスの全体の半分の前部側の
椅子席には「White Only」と表示されており非白人は座れなかった。バスの停留所にも
同じように「White Only」と書かれたベンチがあった。街のレストランの殆どが日本人を
除く非白人の入店を拒否していた。中華料理店主の中国人女性は街に住むことが出来ず
非白人に指定された居留地から毎日店に通っていた。


2005年1月に国際会議に参加する為南アフリカを再度訪問したが、この時マンデラ氏が
27年間収容されていたケープタウン沖のロベン島の旧刑務所を見学した。南アフリカには
以前4回訪問しているが、2005年の訪問は35年振りで5回目だった。43年前は刑務所が
使用されていたため当然この島には囚人、看守以外は上陸禁止だった為2005年の訪問の
際初めて見学した。

ロベン島はケープタウン沖合12キロにある黒人政治犯が収容されていた旧刑務所がある島で
1999年にユネスコの世界遺産に登録されている。ロベン島とケープタウンの間の海峡には強い
潮流があり、たとえ刑務所を脱出しても泳いでケープタウンに辿り着くのは不可能とされる。

刑務所は島の港のすぐ近くにあり刑務所内のガイドは元囚人が行っている。刑務所の建物は全て
囚人達が近くの石切り場から切り出した石を使い、自分達で建築したと言う。マンデラ氏が収容
された部屋は独房棟の4号室で約3畳の広さ、支給品は毛布3枚に50センチ程の高さの食事用の
台と便所用の金属製バケツが一つ。それ以外はベッドも何も無くコンクリートの床の上で寝る。

この島では冬は気温が摂氏5度位まで下がる。寒さを凌ぎながら過酷な環境の中で過ごした。
囚人は非常に厳しい管理下で服役し、雑居房の囚人は就寝する場合、1棟に100人ほどが
2列で同じ方向を向いて寝るよう要求された。寝返りを打つ場合は一番端の囚人が次に寝て
いる囚人の背中をトントンと叩き次々にこれを繰り返し数分後にはまた全員同じ方向を向いて
寝た、とガイドが説明したが本当だろうか?

刑務所内では囚人達がお互いに勉強を続け、読み書きが出来なかった政治犯が大学卒業
レベルまでの学力をつけ釈放後副大統領になったと言う人物もいる。過去10年間の南アフリカ
政府の閣僚はこの刑務所の元囚人が多数を占めるとガイドの説明があった。

前の4回の滞在中はいずれも街の中で非白人を見る機会は少なかったが、2005年の訪問時は
自由に街の中を歩く多くの非白人を見た。しかし、人種差別は表面上なくなったが、長い間行われて
きたアパルトヘイトによる影響は続き貧富の差は今でも改善されていない、と言われている。

 

 



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