アンコウ物語

徒然なるままに

血液検査の基準値

2013-12-27 13:34:57 | 健康

 

血液検査の基準値

 

  検査項目       単位

 A 病院

  B医院

 町健康診断

  C医院

 D医院

 総cholesterol       mg/dl

 130~219

  150~219

     -

  150~219

    -

 HDL cholesterol    mg/dl

  40~99

   46~86

   40 以上

    40~80

   40~75

 LDL cholesterol    mg/dl

   50~139

    -

 119 以下

    -

   0~139

 中性脂肪           mg/dl

  30~149

   50~149

  149 以下

    50~149

  45~150

 γ-GTP             IU/I

   15~90

    70以下

     -

    16~73

    0~60

 クレアチニン       mg/dl

  0.7~1.2

 0.61~1.04  

  0.45~1.14

 0.65~1.09

  0.3~0.9

 尿酸                mg/dl

  3.0~6.9

  3.7~7.6

   7.0 以下

     0~7.0

  2.3~5.7

 血圧 収縮期       mmHg

     -

    -

   129 以下

      -

    -

     拡張期        mmHg

     -

    -

    84 以下

     -

    -

 PSA (前立腺)      ng/ml

     -

    -

   4.0 以下

     -

    -

 

上記は血液検査の各項目の基準値の一部を示した数字です。各病院や医院はそれぞれ検査機関に
採血した血液を送って検査しており、その結果が患者に届けられます。この表の数字は2002年から
2013年の間に東京都、千葉県、福島県で受けた各医療機関での血液検査の際に受取った検査表に
記載されておりました。各検査機関による基準値は何故か異なります。

血液検査結果には基準値を超えている項目にチェックマークがつき、医師の診断を指示されます。
総コレステロールは
検査機関による差異はあまりありませんが、LDLコレステロールは119から
139mg/dlまでありその差は17%もあります。
尿酸はこの表では最高と最低の差は33%、γ‐GTPは
28%もあり、検査機関によって大きく異なります。どうして基準値は
同じ数字ではないのか。

「基準値とは健常人の95%が含まれる下限値と上限値の範囲の値であり、この値をはずれたものが、
即疾患の有無を
示すものではありません。また測定した施設によって基準値は若干異なります。」
と表示している大学付属病院もあります。


しかし、町の定期健康診断検査結果にチェックマークが付いた人は、病気を心配して医者に行きます。
例えば尿酸の
基準値が6.9mg/dlの検査機関で7.4mg/dlの結果が出た人は痛風が心配になり
医者に行きますが、基準値が
7.6mg/dlの場合は基準値内となりチェックマークも付かず医者には
行きません。

基準値とはやや異なる話ですが、
以前、毎月診断して貰っているクリニックで血圧測定をしたとき、一度
だけ145/85の結果が出ました。医者からすぐ
血圧低下薬を服用する様指示されましたが、1回だけの
数値で薬を飲むことは納得出来ず断ったことがあります。
通常は120~130/60~70でこのクリニックの
医者には毎月測定して貰っていたので平常の血圧をよく知っている
にも拘らず投薬を勧めて来ます。

日本の降圧剤の市場は2010年で9、144億円、2018年の需要は1兆400億円と予測されております。
血圧(収縮期)の基準値を10mmHg下げただけで製薬会社の血圧低下薬の売り上げが数百億円
増加したと言う話も
あります。基準値の増減だけで医療費が大きく変わります。どの数字が正しいのか。
一度、
基準値の違いについて医師に尋ねたことがありますが、「何故かよく分からない」と言われました。
基準値はあくまで参考値として
考えればいいのでしょうが、患者側での判断はかなり困難です。

 


ネルソン・マンデラ元大統領

2013-12-07 17:08:06 | 政治

 12月5日に南アフリカ元大統領ネルソン・マンデラ氏が亡くなった。南アフリカには5回
訪問しているので身近なニュースとして感じられた。南アフリカへの最初の訪問は今から
43年前の1970年。この時はアパルトヘイトが行われており、非白人は厳しい状況に
置かれていた。因みにアパルトヘイトとはアフリカーンス語で「隔離」と言う意味である。

1994年4月に南アフリカ最初の民主選挙が行われ、黒人の初代大統領ネルソン
マンデラ氏が誕生するまで、アパルトヘイトが続き黒人、カラードと呼ばれる混血、
日本人を除く中国人・韓国人などアジア人等非白人は職業、居住地、滞在場所、
他数多くの差別があり自由を奪われていた事は衆知のとおり。非白人の中で日本人
のみが日本と南アフリカとの緊密な経済関係から名誉白人と呼ばれ白人と同じ処遇を
受けていた。これは
1970年代に入り、、世界がアパルトヘイト廃止を主張し、国際連合や
米国などが南アフリカ制裁を開始したが、日本は南アフリカとの関係を続け南アフリカの
最大の貿易相手国となり名誉白人の地位を与えられたことによる。これに対し国連
安保理では日本非難決議が採択されている。

当時はパス法と言う法律があり、白人以外のこれらの人種は全てパスと称する
身分証明者を常時携帯する事が義務づけられた。このパスには指定された居留地の
住所の他、勤務許可地、勤務許可時間が記載され、指定された場所、時間以外の
ところにいた場合直ちに逮捕された。
パス法以外に、人種別に居住地域を定めた
「集団地域法」、アフリカ人の土地所有を国土の13%に限定する「原住民土地法」、
非熟練の単純労働者に限定する為のアフリカ人への独自の教育を行なう
「バンツー教育法」、
逮捕状なしで90日(後に無期限に変更)拘禁出来る法律、白人と非白人の性交渉を
禁じた「背徳法」、白人と非白人の結婚を禁止する「雑
婚禁止法」、公衆トイレやバスを
人種別に利用させる「分離施設法
」などの法律があった。これらの法律は1991年まで
続いた。

1970年の最初の南アフリカ訪問時はケープタウン、ダーバン、ヨハネスブルグなどに
3週間滞在した。ヨハネスブルグのホテルの近くの中華料理店でよく食事をしたが、
ここの店主は台湾から来た中国人女性で人種差別の色々な話を聞かせて貰った。
非白人の職業は掃除夫、メイド、レストランの皿洗い、ガードマン、工場労働者、鉱山の
採掘工、ゴミ収集作業などごく限られた職種のみに限定されていた。

バスは白人、非白人共一緒に乗ることが出来たが、バスの全体の半分の前部側の
椅子席には「White Only」と表示されており非白人は座れなかった。バスの停留所にも
同じように「White Only」と書かれたベンチがあった。街のレストランの殆どが日本人を
除く非白人の入店を拒否していた。中華料理店主の中国人女性は街に住むことが出来ず
非白人に指定された居留地から毎日店に通っていた。


2005年1月に国際会議に参加する為南アフリカを再度訪問したが、この時マンデラ氏が
27年間収容されていたケープタウン沖のロベン島の旧刑務所を見学した。南アフリカには
以前4回訪問しているが、2005年の訪問は35年振りで5回目だった。43年前は刑務所が
使用されていたため当然この島には囚人、看守以外は上陸禁止だった為2005年の訪問の
際初めて見学した。

ロベン島はケープタウン沖合12キロにある黒人政治犯が収容されていた旧刑務所がある島で
1999年にユネスコの世界遺産に登録されている。ロベン島とケープタウンの間の海峡には強い
潮流があり、たとえ刑務所を脱出しても泳いでケープタウンに辿り着くのは不可能とされる。

刑務所は島の港のすぐ近くにあり刑務所内のガイドは元囚人が行っている。刑務所の建物は全て
囚人達が近くの石切り場から切り出した石を使い、自分達で建築したと言う。マンデラ氏が収容
された部屋は独房棟の4号室で約3畳の広さ、支給品は毛布3枚に50センチ程の高さの食事用の
台と便所用の金属製バケツが一つ。それ以外はベッドも何も無くコンクリートの床の上で寝る。

この島では冬は気温が摂氏5度位まで下がる。寒さを凌ぎながら過酷な環境の中で過ごした。
囚人は非常に厳しい管理下で服役し、雑居房の囚人は就寝する場合、1棟に100人ほどが
2列で同じ方向を向いて寝るよう要求された。寝返りを打つ場合は一番端の囚人が次に寝て
いる囚人の背中をトントンと叩き次々にこれを繰り返し数分後にはまた全員同じ方向を向いて
寝た、とガイドが説明したが本当だろうか?

刑務所内では囚人達がお互いに勉強を続け、読み書きが出来なかった政治犯が大学卒業
レベルまでの学力をつけ釈放後副大統領になったと言う人物もいる。過去10年間の南アフリカ
政府の閣僚はこの刑務所の元囚人が多数を占めるとガイドの説明があった。

前の4回の滞在中はいずれも街の中で非白人を見る機会は少なかったが、2005年の訪問時は
自由に街の中を歩く多くの非白人を見た。しかし、人種差別は表面上なくなったが、長い間行われて
きたアパルトヘイトによる影響は続き貧富の差は今でも改善されていない、と言われている。

 

 


花園渓谷の晩秋

2013-12-03 22:06:24 | 自然・季節

最早紅葉も殆ど終わった北茨城市にある花園渓谷とその上流の七つ滝の
景観です。この滝は標高700mにあり滝までは細い石段の急坂を登ります。
途中何度も休まないと登れません。乾季に入り水量も少なく細い滝ですが
落差は60mあり荘厳な感じの滝です。