未来社会を夢見る山下ゆみのブログ

アラ還真っ只中の暮らしと関心ごとを綴っています。最近の日本、おかしなことが多すぎる!と行動に。

辺野古にもどこにも、基地はいらない

2016-01-06 06:34:07 | 平和
 「戦争法」廃止へと国政を動かすとともに、安心して暮らしていくために手放せない課題も山積です。原発再稼働は許せないし、消費税の「軽減税率」のバカバカしさ、・・・国民をだまし惑わせる政治をなんとか変えなければなりません。

 「戦争法廃止」の一点共闘をすすめるために、その他の政策の違いはいったん横に置いて、というのも大事。でも、諦めるわけではないし、根底でつながっている問題も多いし、根底どころかまさに一体、という問題もあります。

 沖縄での米軍基地建設は、かけがえのない美しい海を守りたいとの思いからも、日々心が痛みます。

 権力とはこんなにも理不尽に民を痛めつけるものなのか、という辺野古での闘い。沖縄の人々の人権が侵されています。
 辺野古に基地を造らなければ普天間基地の危険性が除去できないとか、基地を置くことで経済的に助かっているとか、そんな認識の方がおられたら、もっと歴史の事実や沖縄の人々の想いを知っていただきたいです。暴力で奪われたものを返してもらうのに、なぜ代わりのモノを差し出さなければいけないのか。基地が、観光産業をはじめとする沖縄の経済にとって、どれほどマイナスになっているのか。
 
 第一、軍事基地は国防のためでもなんでもない、人殺しのためのモノです。世界のあちこちで罪のない人をたくさん殺している米軍に基地を提供していることは、人殺しに加担しているということです。
 たとえ日本が米軍に守ってもらっているのだとしても(私は決してそう思いませんが。)、その代償として、間接的にアメリカの攻撃対象の国の人々を死に追いやったり難民にしているという事実は重すぎませんか。
 仮想の攻撃に備え自衛隊だけでは心配だから米軍にいてもらわなければ、という人もいました。自分の安全のためならどこかの国の罪のない人が殺されても仕方ないですか。
 自衛隊も米軍と一緒に戦って貢献しなければいけない、という人もいました。貢献、と言えば日本は充分すぎるくらい基地を提供し、お金を出しているではありませんか。この上、自衛隊員さんたちの命まで差し出すというのですか。もちろん米軍の兵士のみなさんの命も大切にしてほしいから、「戦争」そのものをやめてほしいです。

 「安全保障」のことばに、人として大切な「心」が置き去りにされていると思えてなりません。
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