2025年4月9日(水)晴れ
大阪万博が来週(4月13日)開幕するらしい。今日の沖縄タイムスにもちらっとでていた。「『海の万博』安全どう守る」-「アクセス途絶 孤立危惧」と。
そもそもゴミの埋め立て地に建物を建てるのだから、メタンガスの発生を抑えることはできない。地盤は軟であり、新たに造った施設は「6ヶ月持てばいい」という計画のようだ。
70年万博は、まだ新たな時代を映し出すプランがあったのだろうが(私は行っていないから詳細不知)、2025年万博はカジノ業者に手を貸すだけに終わるだろう。
炎天下を避ける日陰がないとか、数々の指摘の声は止らない。大阪府や国は税金を投入し、何をここで体現したいのだろうか。意味不明。30年続く経済不況の中にあって、この万博は時代を象徴しているようだ。私は大いに注目している。万博のなれの果てを注目している。
私が注目しているのは、揶揄するためではない。税金をかけてカジノを造るための一里塚として強行する「新自由(銭ゲバ)主義」の実態を見極める実験場だからだ。安全や人権を度外視して、儲かればいいの発想が、大赤字になって、現地に出向かない人にも跳ね返ってくるだろう。
沖縄から見てみれば、「基地負担軽減」なる大義名分をかざすだけで強行している辺野古・大浦湾への新基地建設と似ている。「公共事業」にみせかけて強行するありかた。「環境に配慮する」のではなく、軍事緊張に身構える世論形成の中で、米日一体の運用(共同統合作戦)を造り上げてきた軍事力強化。
「基地負担軽減」の呼び込みの中で、島々を軍事化し、緊張を高めてきたこの国。嘘とデタラメがまかり通る、「一途さ」。
「公共事業」が聞いてあきれるやり方で、沖縄の民意を無視。「公共事業」ならば、民意を排除することはありえない。これは国家事業そのものだ。
軟弱地盤の上で計画どうり進まないだろう。滑走路の機能を維持できないブツで完成は果てしない先の先。ジュゴンを追い出し珊瑚礁を破壊しまくり、樹木を根こそぎにして、この国は何をやろうとしているのだろうか?!
私は今だからこそ「ノン」という。自然を守れなかった私たち。平和を守れない私たち。守れていないからこそ、私たちはこだわり抜くべきだ。こう考えるのはネガティブ過ぎるのだろうか。こだわらなければ、これからの世代に責任を放棄することになるからだ。ネガティブな生き方を経ずに、ポジティブな生き方を掴み取ることはできないだろう。
大阪の例、沖縄の例、話は大いに違うのに、共通点が多いようだ。浅はかすぎる権力者たち。浅はかすぎる土建屋たち。浅はかすぎる国民。儲かればいいという安易な考え方を疑うべし。
国は人々を戦場に送り出し、国のために死ねと強制してきた。そんな国に愛着をもつなどという恐るべき事はありえない。今の大阪府政は「死ね」とは言っていないが、危険な場所に誘導している。死傷事故が起きても責任を持って対処できる体制を準備していない。死傷事故が起きてからでは遅い。やめるべし。