ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

長崎市長の平和宣言と核兵器禁止条約(20200810)

2020年08月10日 | 暮らしと政治
 沖縄タイムスから2020年8月9日の長崎市長平和宣言を抜き刷り的に紹介する。全文あげると長いので、お赦しを。

 「私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。4分の3世紀が経った今も、私たちは『核兵器のある世界』に暮しています。
 どうして私たち人間は、核兵器をいまだになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。」
(中略ーある被爆者の手記を引用しながら)
 「被爆者は、この地獄のような体験を、2度と他の誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。(中略)もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。」
(中略ー核拡散防止条約の経緯に触れ)
 「3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は『核兵器をなくすべきだ』という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。
 そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。」
(長い中略)
 「若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが当事者だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。」

◎引用者註:確かに若い世代への「当事者だよ」との呼びかけは重要だが、この3つを並列することに私は違和感を覚える。この3つは皆が当事者であることはまちがいない。だが、原因が違い歴史が違い対処法も違う。3つを併せてくくると、軍事的な対立の中で起きている驚異・恐怖だと気づきにくくならないか。核兵器は戦争の中に位置づけられる巨大な手段なのだ。同時に文明の中に位置づけられる物質であり、人間の欲望の中に生じた支配欲の塊だ。様々なからくりが埋め込まれているが故に、気づきにくい。こうした観点からの社会哲学的なアプローチが重要だと私は考える。

(続けて)
 「世界各国の指導者に訴えます。
 『相互不信』の流れを壊し、対話による『信頼』の構築をめざしてください。今こそ『分断』ではなく『連帯』に向けた行動を選択して下さい。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
 日本政府と国会議員に求めます。
 核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討して下さい。『戦争をしない』という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持して下さい。
 そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、いまだ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
 東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
 新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意をささげ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求める全ての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
 2020(令和2年)年8月9日 
 長崎市長 田上富久」

 この宣言は、被爆者と、核兵器をなくそうと尽力している人々と生きている市長によるものだと確認できる。また、核兵器禁止条約に正面から言及していることをみても、核廃絶に真剣だ。最後にこの点に触れておく。
 核兵器禁止条約は2017年7月国連で採択された。核兵器全廃を掲げた条約だ。【前文】抜粋
「偶発や誤算あるいは意図に基づく核兵器の爆発を含め、核兵器が存在し続けることで生じる危険性に留意する。これらの危険性は全人類の安全保障に関わり、全ての国が核兵器使用防止に向けた責任を共有していることを強調する。
 核兵器の壊滅的な結果には十分に対処できない上、国境を越え、人類の生存や環境、社会経済の開発、地球規模の経済、食料安全保障および現在と将来世代の健康に関する深刻な関連性を示し、ならびに電離放射線の結果を含めた、特に母体や少女に対する悪影響を認識する。
 核軍縮ならびに核兵器なき世界の実現および維持の緊急性に対する倫理的責務を認識し、これは国家および集団的な安全保障の利益にかなう最高次元での地球規模の公共の利益である。
 核兵器の使用による犠牲者(ヒバクシャ)ならびに核兵器の実験による被害者にもたらされた受け入れがたい苦痛と被害を心に留める。
 核兵器に関わる活動が、先住民族に及ぼした不釣り合いに大きな影響を認識する。
 全ての国は国際人道法や国際人権法を含め、適用される国際法を常に順守する必要性があることを再確認する。
 国際人道法の原則や規則を基礎とする。とりわけ武力紛争の当事者が戦時において取り得る方法や手段の権利は無制限ではないという原則、区別の規則、無差別攻撃の禁止、均衡の規則、攻撃の予防措置、過度な負傷や不要な苦痛を引き起こす兵器使用の禁止、自然保護の規則。
 いかなる核兵器の使用も武力紛争に適用される国際法の規則、とりわけ人道法の原則と規則に反していることを考慮する。
 いかなる核兵器の使用も人間性の原則や公共の良心の指図に反することを再確認する。
 各国は国連憲章に基づき、国際関係においていかなる国の領土の保全や政治的な独立に反する、あるいはその他の国連の目的にそぐわない形での武力による威嚇や使用を抑制すべき点を想起し、さらに国際平和と安全の確立と維持は世界の人的、経済的資源を極力軍備に回さないことで促進される点を想起する。
 1946年1月24日に採択された国連総会の最初の決議ならびに核兵器の廃棄を求めるその後の決議を想起する。(後略)」
 
 本文は第1条(禁止項目)、第2条(申告)、第3条(保障措置)、第4条(核兵器の全廃に向けて)、第5条(国家の履行)、第6条(被害者支援と環境改善)、第7条(国際協力と支援)、第8条(締約国会議)、第9条(費用)、第10条(改正)、第11条(紛争解決)、第12条(普遍性)、第13条(署名)、第14条(批准、受諾、承認、加盟)、第15条(発効要件)、第16条(留保)、第17条(期間と脱退)、第18条(別の合意との関係)、第19条(寄託者)、第20条(真正の文面)となっている。
 この条約が軍事的思惑、利害関係を超える国際人道法・国際人権法を掲げたものだと知ることができるだろう。だからこそ、米国等の核保有国は批准しないだろうし、米国の属国である日本も同様だろう。しかし被爆国日本である事実は消えないし、責任も伴っているはずだ。このことを私たちは強調・協調しながら、米日核安保体制を打破していきたいものだ。ヒロシマ・ナガサキとオキナワは思いのほか近い関係にあるのではないか。
   この条約を日本政府に批准させる力は、新基地建設を止める力と重なるはずだ。新基地建設を止める力は、この条約を批准させる力に重なるはずだ。共に本音のガチンコ勝負であり、私なりに可視化させていきたいと考える。もっともっと学びながら前を向きたいものだ。
 


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