goo blog サービス終了のお知らせ 

ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

8月の夕方に覚えること-戦後75年目の8月に(3)(20200810)

2020年08月10日 | 歴史から学ぶこと
 毎年疑問に思っていた。米軍は沖縄を撃滅し占領し、さらに原爆を落とした。力(武力・技術力・経済力)の差を見せつけたのだ。さすがの天皇ヒロヒト以下の大本営もギブアップ。時は1945年8月14日。8月15日に公式に降伏を認めた。45年9月2日に降伏文書を交わした。沖縄の日本軍(石垣島・宮古島に残存していた部隊)とは45年9月7日に交わした。
 米国・米軍はこれで戦後世界を展望していった。対ソを想定した動きが始まる。ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下は文字通りの核人体実験だった。お陰で日本側は、負けた言訳ができた。米国とつるむ口実もできた。それを媒介したのは「聖断神話」の立役者であり、素となった天皇ヒロヒトだった。さすがに「現人神」ともなると凄いものだ。それから2代の代替わりが終って、今日に至っている。日本神話は永遠に不滅なのだろうか。
 「忖度」とか「同調圧力」とかいうが、日本の歴史では武家社会の頃から、身分制の下、お上の命令に従うべしだった。明治維新(1868年)は市民革命でなく、江戸幕府を薩長政権が倒した内ゲバだ。丁度西欧列強からの横やりを上手に使って一挙に近代化。殖産興業を起こし、同時にアジア侵略に一直線。1889年に大日本帝国憲法を発布。時は明治22年2月11日。場所は宮城(きゅうじょう)だ。紀元節の日だね。
 因に大日本帝国憲法に「内閣」の規定はない。あるのは第4章に「国務大臣及び枢密顧問」第55条が国務大臣、第56条が枢密顧問だ。第55条は「国務各大臣は天皇を輔弼しその責に任ず。②すべて法律勅令その他国務に関する詔勅は国務大臣の副署を要す」(現代がなに改めた)。ここで重要な語は「輔弼」(ほひつ)。天皇の行為や決定に関し、進言し、その結果について全責任を負うこと」(広辞苑)。要は国務大臣は天皇の決定を助け、全責任を負うのだ。この憲法に「国民」はでてこない。大日本帝国憲法には「臣民」とあり、天皇に従う民。これは私の常識とかけ離れすぎており、あぁ難しい。
 2月11日の紀元節は神話の世界。大日本帝国は神話の世界から誕生。凄いね。「皇祖皇宗」というのは、そもそも神話の世界からお生まれになり、代々引き継がれていますよということだ。
 ついでにひと言。戦後の、日本国憲法下の時代、1966年に紀元節が「建国記念日」と称して復活した。再び神話の世界がこの地上に躍り出たのだ。1967年2月11日が初めての建国記念日だった。なぜ私がこんな日付けを記憶をしているかといえば、この日、私は雪山にいたのだ。山梨県芦安鉱泉辺りで冬鳥の探鳥会に行っていた。まだ中学3年生だった私だが、燦めく冬鳥を観察した後に、大人達と紀元節など神の支配する世界をおかしいねと話していたものだ。単純に自然界の上に立つ神など私はあり得ないと考えていたからだ。
 話しが大きくずれてしまったが、要は神がかりの世界に生きていれば、歴史を見誤る。欺される。ヒロシマ・ナガサキとオキナワの関係も明晰な歴史的政治的軍事的な分析を私たち自身がしなければ簡単に欺されてしまうのだ。分析は国内に留まらず国際的な関係もしっかりと考えなければならない。だから元号の頭でものを考えることは不可能である。より精緻な分析に努めたい。
 8月って、案外忙しい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。