ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】善通寺駐屯地を見下ろすー旅の記録⑥(20231003)

2023年10月13日 | 旅の記録

2023年10月3日(火)晴れ 善通寺市

本日朝から私は何処へ行ったのか? 

10月1日夜に思いついた。地形図3枚(善通寺・丸亀・仁尾)を重ねながら、善通寺インターから髙松自動車道(高速)に入り、瀬戸中央自動車道ー山陽道にいけば、海上自衛隊の呉に行ける。また髙松高速から瀬戸中央自動車道ー山陽道-岡山道ー中国自動車道を行けば、日本原演習場に行ける。彼らは善通寺インターを使うに違いない。

 土賛線の踏切を渡り、国道319号線を北上。

8:13 善通寺インターへ1km。髙松へ34km。丸亀へ7km。

金倉川を渡る。あれが髙松高速だ(東西に通っている)。8:29

8:33 どこから髙松高速に入るのか? 

8:40 振り返る。この右に入るのだ。私が歩いてきた歩道は、地下に潜って、こちらにきた。

国道を眺めていると。

来た! 8:50 第47普通科連隊のトラックだ。第47普通科連隊は広島県海田市の基地にあるが、この第1中隊のみは善通寺駐屯地に居るようだ。

入っていく。小型の重機を載せている。8:51

2台目だ。これも第47普通科連隊の所属だ。 8:51

ここから出入りしていることが分かれば、ひとまず良し。

駐屯地に向かうため、ひとまず善通寺に向かう。

善通寺入り口 9:53

善通寺は陸上自衛隊善通寺駐屯地とも仲良しのようだ。この町は、善通寺・善通寺駐屯地・善通寺市のトリプルの蜜月な関係が続いているようだ。善通寺市市勢要覧をみると、善通寺の空海、第11師団長に就任した(1889年)乃木希典のこともとりあげている。彼は日清戦争(1984ー95年)、日露戦争(旅順攻略)(1904ー05年)での侵略の「活躍」ぶりがさらっと謳われている。

さて香色山(157m)に登る。

善通寺(まんなか)を見下ろす。北東方面。11:07

善通寺駐屯地だ(この山の東側)。11:14

背後は鶴ヶ峰。

グランドに機動戦闘車が走っている。右は2分の1トントラック、中は軽装甲機動車だ。11:16

こちらは大型トラック(3台)に、96式装輪装甲車だ。丸二つは何かな。燃料タンクか。11:16

右(西)側 11:17

この箱は? 11::26

機動戦闘車の走行は終わりか。11:26

左奥に多数が居る。カバーがされているところから砲塔が見える。機動戦闘車だろう。計12両。ここに隠れていたのか。他に5、6台居たので、計20台とつじつまが合う。11:31

高みの見物はここまで。下りましょう。

自衛隊香川協力本部善通寺地域事務所だ。12:45

通りを歩いていると自衛隊側にフヨウが咲いていた。12:49

この花に罪はないが、私たちは騙されてはならない。

近くに見えた(基地内)16式機動戦闘車だ。12:54

私は基地の外から撮っている。

全備重量:約26トン。全長:8.45m、全幅2.98m、全高:2.87m。最高速度約100km/h 105ミリ施線砲、12.7ミリ重機関銃、7.6ミリ機関銃搭載。

あの航空自衛隊のC-2輸送機ですら1両しか搭載できないのだ。緊急時に如何に運ぶのかは、自衛隊の中でも課題となっているはずだ。民間飛行場や港湾を確保したいし、輸送船団も不可欠だ。

第15即応機動連隊ー「戦1」とある。

第15即応機動連隊は、有事即応部隊として2018年に設立された。連隊本部、本部管理中隊、第1普通科(歩兵)中隊、第2普通科(歩兵)中隊、第3普通科(歩兵)中隊、火力支援中隊(120ミリ迫撃砲)、機動戦闘車隊の本部、第1,第2機動戦闘車隊となっている。また整備支援部隊に第14後方支援隊即応機動直接支援中隊がある。

善通寺の第14旅団は、第14旅団司令部、第15即応機動連隊、第14後方支援隊、第14偵察隊、第14情報隊、第14通信隊、第14特殊武器防護隊、第14旅団司令部付隊、第14音楽隊が駐屯している。傘下に第50普通科連隊が高知に、第14飛行隊が北徳島(徳島飛行場)に、第14施設隊が徳島に、第14高射特科隊、中部方面特科隊が松山駐屯地に構えている。

第14旅団は、中部方面隊(中国・四国)の一角を成す、四国におけるひとつの自律して戦える戦闘団だ。2018年から陸上自衛隊は地域を守る部隊から、即応機動連隊を中心に、出張っていく部隊に攻撃的に再編されたのだ。

もしも中国と戦火を交える時は、ミサイル攻撃の次は、水陸機動団(佐世保市相浦等に駐屯)が、そして彼らが琉球諸島に出張り、戦禍をもたらすだろう。沖縄を琉球諸島の島々を戦場にさせてはならないのだ。

善通寺駅の近くにある善通寺市役所の一角に立つ善通寺市役所の看板。13:41

旧陸軍将校を中心とした親睦・研究団体の建物があり、旧第11師団が培ってきた地縁であることを示している。

ということで、私は松山に移動する。松山泊り。



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