ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

神戸の海へ、明と暗(20240102ー➁)

2024年01月10日 | 旅の記録

2024年1月2日(火)晴れ ➁

新神戸に下りてきたら、昼時をまわってしまった。異人館方面をカット。

三宮辺りでランチ。メリケンロードを南へ。南京町を気にしながら、華僑歴史博物館を探す。

海岸通りを右折。

華僑博物館の入っているビルをみつけたが、正月休みのようだ。そうだろうな。

並びに「非核『神戸方式』の碑」がある。15:40

1975年に活発に行なわれ始めた「神戸方式」。国が打ち出した非核3原則(核兵器をもたず、造らず、もちこませない)に依拠しながら、神戸市は核兵器搭載の艦艇の入港をチェックし、そうでなければ、入港を認めないことにしたのだ。

しかし今や、この「非核3原則」そのものが、「核抑止論」の強調によって空洞化している。そもそも人類は核と共存できるのか?!

隣にある「神戸港 平和の碑」 15:40

この建物に「戦没した船と海員の資料館」があるのだが、正月休業だった。海員組合が設置している。15:42

79年前までの戦争で、どれだけの民間船が軍事徴用され、沈没させられたのか。船員が殺されたのか。そして今、再び軍事徴用の動きが広がってきている。私たちは、改めて史実を知ることが大切だろう。この場所を教えてくれたのは、つれあいだ。過去に見に来ているそうだ。

お目当ての場所は、閉館だ。まだ南京町での食事には早いし、港を見よう。

海岸通りを東に戻る。ポートタワーが頭を出している。15:46

斜め前を見れば、巨大な魚。コイだとつれは言う。15:48

神戸港震災メモリアルパーク。15:58

1995年1月17日未明に起きた阪神淡路大震災の遺構。岩壁が崩れたままを残している。

再建された今と過去。2024年1月1日の「能登半島地震」を重ねて考えたい。当時も今も、国がやった、やっていることは、ちぐはぐだった。仮設住宅などの建設は遅れたし、住まいとしての発想がなかった。登山でビバークするような作りで考えていた? 登山でのビバークは、野営(緊急野営)だが、登山者が山頂に登るための、あるいは遭難を防ぐための主体的な行為の一環だ。震災後の仮設住宅は、強いられた自然災害から身を守り、生活再建に向かう一歩とするものだ。そこに住の観点がなければ生活再建を進めることはできない。住民・行政、地域行政・国政が如何なるスクラムを組めるのか。

対岸に帆船が見える。15:59

左手に海保の船。奇妙な形をしているが、調べたら、PC55「ふどう」だった。16:01

奇妙なのは2本のマスト。消防用放水銃の機能が優れているらしい。このマストが、17mまで伸びるそうだ。神戸港には大型船も入るので、消火能力が高い巡視艇を造ったようだ。

日没間近だ。ポートタワーと何だろう。16:04

シルエットの造形にしてしまったが。

16:06 ぐるっとまわってみよう。

対岸の帆船が停泊しているところに到着。16:21

ザ・シルエット。帆がなくても様になっている。帆船2隻。

海王丸とこれは日本丸だ。16:21

縦位置で。16:21

全長110.9m。縦13.8m。細長い。乗員190名。

私はこの規模の帆船をみたのは、初めてだった。練習船だという。

船首先端にある「女神像」。固有名詞がついているのだが、省略。お守りかいな。女性差別の象徴みたいな。16:26

海王丸の船尾。16:26

日本丸の船尾。16:31 

16:33 タコ上げをしている親子がいたの。タコです。日本丸(左)、海王丸。

ポートライナー。神戸空港と三宮を結んでいる。16:35

日が沈む。16:44

クレーンは川崎重工か。潜水艦を造っているのだ。南奥が三菱重工。潜水艦を共々造船している。

残照を浴びる神戸ベイクルーズの御座船安宅丸。16:46

サンセット。16:47

では食事に行くか。

ポートループがいた。2両連結のようなバス。17:02 

のりたかったけれど、乗れなかった。またの機会に来るとしよう。

神戸も基地ウォッチングの素材があるようだ。

南京町へ。

南京町の一角で。内側から外を見る。外が暗いので、門等が浮き上がる。17:25

旧正月はまだ先です。

通りは、屋台の客でごったがえしていたが、お店の中は、ほどほどだった。美味しく頂きました。定食1100円ぐらい。

ホテルに戻ったら、羽田飛行場での事故を報じていた。

 

 

 


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