ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】【補足】米国大使、長崎式典欠席への違和感(20240808)

2024年08月08日 | 世界に潜む闇

 今朝の新聞に「米大使、長崎式典欠席へーイスラエル不招待受け」とあったのだ。 ここにあるのは、米国の問題と、付和雷同している日本を除くG7諸国と欧州連合の政治が関わっている。 米国エマニュエル駐日大使は、長崎市がガザを攻撃しているイスラエルを招待せず、パレスチナを招待するとは、けしからんということのようだ。

 これを読んで、私はあっけにとられた。 否、さすがは米国大使だと仰天させられた。 長崎市の態度を政治的だとも論難しているようだ。 しかしこうして核と戦争の問題に公言して頂けると、その国のあり方が見え見えになる。

 イスラエルは、パレスチナの地に侵攻し、「祖国」を作り上げ、パレスチナ住民を追い出し、隔離し、そして大虐殺をやめようとしていない。 原爆投下は、無差別大量殺人であり(それも多くが子ども)、国際人道法に違反する行為だ。 この意味で、今次イスラエルのありかたと同根と言わざるをえないのだ。 イスラエルも核保有国であり、核保有国同志の連帯の絆なのか。無差別大量殺人国の連帯か。植民地主義同志の哀れみか。

 ここでもう少し考えておこう。 米国大使らは、長崎市に対して「政治をもちこむな」と言っているらしい。 ちょっと待てよ。 1945年8月に原爆を投下したのは何処の誰だよ?! 米国政府だろう。 こうした行為そのものが政治だろう。 何せ世界初の原爆開発に成功したのが米国であり、それを「マンハッタン計画」として国を挙げて推進してきたのだ。 これを政治的でないとすれば、何処に政治的なことがあるのだよ。

 原爆投下責任を口に出さず、「慰霊します」とか、「追悼します」などと言うことは、本来成り立たない。 確かに、時の日本の権力者も口をつぐんできた。米国が出した核関連の全ての情報を禁圧してきた(プレスコード)ことに易々と従ってきたのだ。1952年4月28日まで。日本国は独立しても、核政策について米国にびったりとくっついている。核密約然り、原発推進然り、核兵器禁止条約黙殺然り、モノが申せない。情けない国に成り下がっている。

 戦後79年が経ち、生存しているヒバクシャは、ごくわずかになってきた。肉声で、身をさらして被爆の事を伝えることは、困難になってきたのだ。私たちがよほど、注目し、その実相を知ろうしない限り、忘れられていく。この意味でもどこかの国が核攻撃に出る可能性は高まっていると言えるだろう。無差別大量殺人は国際法違反だと、言い切る私でありたい。道義的に許されないのだ。

 とすれば、米国大使とは何者なのか? 先日は与那国島に視察にきたようだが、対中戦争最前線を激励して回ったのだ。核抑止力で相対するという野蛮なやりかたを至急脱却すべきだろう。そんなやりかたを軽蔑する世論を作り出そう。核抑止力で相対すれば、核対核で破滅するという常識を目に留めないという唯我独尊ぶりに驚きを禁じ得ない。

 最後に長崎市の態度に、少々だが救われた。言うべきことは言い、質すべき事は質していこう。 

 日本の反核運動は、1954年のビキニ事件を以て、マグロが汚染したと焦って、盛り上がったのだ。食べることと反核が繋がることは悪いことではないが、原爆開発・投下の政治責任を忘却し、反米・反植民地的な要素を脱色していった。脱政治化が現在の混迷を招いており、政治的なことをやたらと避けたがる傾向さえ生み出してしまったのだ。情けないことだ。

【補足】大使が参加しない国:米国(福岡首席領事が参加)、英国(政治部公使参事官が参加)、フランス(次席公使が参加)、イタリア(総領事が参加)、カナダ(参事官兼政治・経済部長が参加)、EU(政治部長が参加)

 



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