ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

自分の頭は小さいからな(20230614)

2023年06月14日 | 考え直すために

 おはようございます。東京から帰って、3日目。名護市内は今日も雨。

 東京で得た情報(思考)から、沖縄の情報(思考)に、切り替え中。やはり同じ頭で考えることは無理だ。東京の雑踏のわかりにくさや危険性と、沖縄ではハッキリと違う。東京は官邸があり、省庁があり、日米合同委員会もあり、国会があり、魑魅魍魎の世界。隠蔽都市東京だ。公開されていることと、隠蔽されていることが入り組んでおり、複雑だ。

 沖縄も基地の島だから、公開と非公開は絡み合っており、決定する機関のある東京と、押しつけられる沖縄。私は、この両側を押さえ、蓋をされベールに包まれていることを、開いていきたい。

 今回の「沖縄から視る『安保3文書』」は、沖縄から視ていると、どう視えるのかの一端を示そうと作成したプログラム。3文書の計100頁から何を引き出せば、わかりやすく提示できるか。それを写真を通して示せるか? 沖縄・琉球弧の地域性と、「安保3文書」が前提としている「自由で開かれたインド洋、太平洋構想」の広域ぶりとのズレがあり、これをスライドで紐解くのは難しかった。

 そのうえ、理屈はいいから、写真で示せという仲介者。結果論で言えば、これが効を奏した。冒頭に「米軍優位の沖縄の日常」を置いたから、これに引き込まれていく。市街地上空を無茶な、というか住民の安全を度外視した訓練が行なわれていることを示した、示せたことで、視聴者のこれ以降の写真の読み込みが早く、大きくなった。

 10年ぶりにお会いした彼は、圧倒されたと言っていた。よくもまぁ、あちこち撮ってきたんだなと、驚愕されていた。「決定する東京」と、押しつけられる沖縄が、歩み寄ることはない。あるとすれば、沖縄が全面屈服させられる時だ。いいや、決定権を持つ「東京」と、押しつけられるのは沖縄ばかりではない。47都道府県の大半がそうだ。それぞれの地域によって位相差はあるが、押しつけられているのだ。それぞれの地域で違いを違いとして認識しなければならないが、大部分は押しつけられる側だ。

 しかし問題は、空間の割合ではない。人々の意識の差がどれだけあるかだ。「国家・国民」とくくられていては、この断絶を断ち切ることはできないだろう。長いものに巻かれろ指向。これを如何に打破していくかが今後の課題だ。これは沖縄に於いてもだ。

 グローバルに捉えると言っても、なかなか難しい。日常の、私たちの五感が働いているのは、わずかな範囲にすぎない。ちっぽけな部分に過ぎないのだ。自分の人生や、子どもや友の人生を想起しながら、広げていくしかないのだ。観念的に「世界同時革命」と言ったところで、ぼけぼけになるだけだ。ぼけぼけだからこそ、安直な言葉で継ぎ接ぎして、形を整えようとするから、空虚な世界を広げることになる。

 数々の失敗を経て、生きてきたからこそ、ごめんごめんごめんを繰返しながら、今の私がある。仕方がない。偉そうなことを言う人がいたら、あなたはどこを見て言っているのかを問い詰めればいい。

 小さな頭でも、自分でAの頭とBの頭を向き合わせていこう。例えば、「日々生きている頭」と、「沖縄を戦場にさせない頭」。実際、やれ食事作るぞとか、買い物行くぞと、名護湾に何が居たかなど、日常の中に広義の「軍事」がはみ出してきているから、2つの頭をかみ合わせている。また、お互いに無視したり、優位に立とうとするのではなく、助け合い、お互いに向き合う頭を育みたい。自分の頭は小さくとも、お互いにこう変っていけば、生き直せる可能性はあるはずだ。

 プログラム(映像作品)を作る際、報道である限り、完結はしないのだ。常に問題提起であり、問いを起こすのだ。



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