ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

広島で、原爆ドームを見て講演会 旅の記録⑫ (20231005ー③)

2023年10月20日 | 旅の記録

2023年10月5日(木)晴れ 広島にて

 15時前に宇品港に着いた。広島だ。今回の旅も本日から後半に入っている。夜は講演をしなければならない。講演会と言っても「交流会」に毛が生えた程度だからと安易に構えていた。そうはいっても何を話すか事前に考えておかないとまずいだろう。こっちにきてから何度かノートをとっただけなのだ。

 じゃ、宇品のフェリーターミナルでお茶しながらまとめよう。約1時間。広電にのり、原爆ドーム前に移動。

原爆ドームを元安川を挟んで。16:46

敢えて、新しい建物に重ねて撮影。

待ち合わせは17時だったはず。時間はないようだ。

焦りながら、しかしここで撮らないわけにもいかない。「ノーモア・ヒロシマ」の呻きを忘れずに。16:51

相生橋を広電が走っていく。夕刻が迫ってきた。16:57

16:58 原爆ドーム。ここまでくると、崩壊ぶりがはっきりわかる。78年前のことだが、核開発の歴史直後の攻撃だったのだ。無差別殺人攻撃。

今思えば、ヒロシマにおとされた爆弾は、赤子のような小さな物だ。それでも20万人もの人が殺され、苦しみながら生きざるをえなくさせたのだ。

「軍事合理性」の暴力は、人間社会を壊滅しうる。大日本帝国の敗戦は、はっきりしていたのに、米軍が敢えて攻撃に使ったのは、訳がある。人体実験であり、大日本帝国を徹底的に崩壊させ、言うことを聴かせる恫喝材料、戦後の対立が予想される対ソ抑止力。ここから核軍拡競争が始まったのだ。暴力では何も解決できない。

大日本帝国側もこの被爆を使いまくった。新型爆弾では勝ち目がなかったと釈明に使った。自らの悪逆非道さを原爆とダブらせて、言い逃れた。

そんなわけで原爆資料館に急ぐ。外国人観光客が目白押しだ。驚いた。私はいそいそと地下の会場に入り、準備。約30名の方々にきていただいていた。

演題やら9月の沖縄での戦場にさせない集会の写真が大きく映し出され、仰々しい。これは真面目に話さないとならない雰囲気だ。ということで約50分話し、19時30分まで。

要旨は以下。

平和のために、沖縄から、広島にて(註:ノートの文を再整理した。当日のれじゅめではありません)

(1) はじめに(私について)
① 1989年5月から沖縄へ
天皇の代替わりや、世界的な変動(東西独の統一など)の時代の中で
② 「加害」と「被害」を統一して考える見方を重視すべき
③ 90年8月広島へ、93年8月長崎へ
④ 2023年は沖縄暮らし10周年の今。

(2)「台湾有事」が煽られる中で
  ①96年4月の米日「安保再定義」が締結され、このかた、一貫した流れの中で。
  ➁政府が言う「辺野古が唯一」の意味するところ
   単なる常套句なのか? それに違いないが、この国は、米国との沖縄戦から、米軍による沖縄占領に始まり、米軍が沖縄島のあちこちを基  地に接収していった歴史を追認している。そのことで天皇制国家は安泰となり、日本帝国による侵略の歴史もかき消されてきた。戦後は米国の言いなりと言うよりも共にこの道を歩むことが、「王道」だと考えてきたのだろう。
   「辺野古が唯一」とは普天間基地(米軍が戦場下で強制接収)の返還を望むならば、米国の言うとおり、全てを満たしてからだというのだ。辺野古ならば、海に面しており、ドック型揚陸艦の接岸も可能であり、弾薬搭載場の設置や、何しろ演習場に接している。
   「移設」とは言い得て妙である。沖縄中の米軍基地の機能を再編統合し、最も合理的な基地体系にしあげていく唯一の方策なのだということだ。軟弱地盤もほぼ関係ない。辺野古側を中心にできるからだ。要は普天間基地を「返還」という我々にとっての「前提」は、彼らにとって、そもそも嘘偽りなのだ。
  ◎普天間飛行場は、嘉手納飛行場を補完する飛行場(滑走路2800m)
  ◎新飛行場は、1500m(当初案)、辺野古側に限定されたら、1000m。
③ 沖縄は「基地の島」という差別・分断。
④ 2010年以来の琉球諸島への自衛隊基地の建設
対中戦争に備える軍備強化の一環。日本国が対中戦争の前面に出る為の諸準備。
⑤ 「オール沖縄」の限界と新たな動きの中から

(3)今何をなすべきか?
 ①「沖縄・琉球諸島を戦場にしない」を呼びかけ、広げていく。
 ➁戦争のネットワークは、全国的に繋がっており、各地の問題にしていく。
 ③岩国は米国海兵隊戦闘機部隊、海軍の航空母艦艦載機、海上自衛隊の航空隊がおり、また呉には海上自衛隊の「輸送隊」と称するドック型揚陸艦隊や海自の空母(「かが」)他がいる。攻撃する輪の大きな位置を占めている。
 ④広島は被爆地だったが、何故落とされたのか、ヒロシマ・ナガサキ後の核実験の歴史を忘れていまいか? 無差別殺人という国際法違反を黙殺している米日両政府を私たちは許さない。そうでなければ、同じような歴史を繰り返しかねない。
(4)今後の課題
①民衆の安全保障を考える。
 軍事力によらない平和・対話・外交―「命どぅ宝」の生き方を根本に据える。
➁沖縄戦の経験を踏まえ、現代戦を考えるべき(アップデート)。
③1960年の「沖縄復帰運動」を検証し、今に至る問題点を整理する。
④沖縄経済の自立戦略を研究していく 

(4)は今後の課題だ。

 普段聞き慣れない話だっただろう。一人一人の気づきがなければ、このまま私たちは追い込まれていく。手をこまねいていたらダメなのだ。

 

 この後、旧知の間柄のみで、少々飲んだ。今晩は岩国へ。広島のホテルは高く、泊まれなかったのだ。行く先に仲間が居るのは嬉しい。ありがたい。

 
 

 



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