ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

戦争を想起しながら伝える努力をー新聞資料から(20220905)

2022年09月05日 | 忘れてはいけないこと

(1)今年の5月、「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる実行委員会」が立ち上がることを私は知った。私はズームを使えず、スルーした。2022年6月7日の沖縄タイムスの記事に「戦没者名1500人で読み上げ」とある。沖縄戦戦没者県内外・国外を含む241686人のお名前を読み上げるという。
 すごい企画をやるものだと私は思った。一覧名簿はあるにしても、名前の読み方を確認する事は大変な作業だろう。「平和の礎」には誰々の「子」としか記載されていない人もいる。一家全滅で名前を確定しようがなかったのだ。それに読み上げる人がそんなに集まるのだろうか? 結果的に1500人の有志(海外からの参加も含む)が集まった。
 先の記事に、沖縄戦体験者で「平和の礎」の建設に関わった高山朝光さんの「刻まれている名前は生きた証し。戦争で亡くならずにいれば、どのような人生を歩んだのかということに思いを馳せながら、読み上げてほしい」とある。もっともな要望だ。
 刻銘をみるだけだと、ただ名前がずらずらとあるとしか思えない私。一人一人の生きる営みを想起することは難しい。まだ沖縄県民だと市町村の字ごとに世帯単位で出ており、ある程度の想像がつくこともある。名前が特定できていない人を含め、読み上げれば、読み上げるという行為によって、死に至らしめられた事態を想起し、生きていたその人に一歩近づけるかも知れない。地元の人が読み上げれば、また、一歩近づきうる。
241686人の読み上げの作業は6月12日から23日まで続いたようだ。誠に誠にお疲れ様でした。

(2)今年の沖縄全戦没者追悼式で朗読される『平和の詩』に沖縄市のTさん(小学校2年生)の「こわいをしって、へいわがわかった」が選ばれたと事前の記事があり、6月24日には報告記事が出ている。私が印象的だったのは、この詩は宜野湾市にある佐喜眞美術館の「沖縄戦の図」を見て、書いた詩だとでていたからだ。一部を紹介する。
「(前略)こわくてかなしい絵だった/たくさんの人がしんでいた/小さな赤ちゃんや、おかあさん (中略) たくさんの人がしんでいて/ガイコツもあった/わたしとおなじ年のこどもが/かなしそうに見ている/(中略) きゅうにこわくなって/おかあさんにくっついた/あたたかくてほっとした/これがへいわなのかな (中略) せんそうがこわいから/へいわをつかみたい/ずっとポケットにいれてもっておく/ぜったいおとさないように/なくさないように/わすれないように/こわいをしって、へいわがわかった」。
 「沖縄戦の図」は「集団自決」を丸木位里さん俊さんが描いたものです。数多くの死体が描かれていますが、そこには生きていた姿が記されています。だから小学校2年生の「わたし」もすーっその絵の世界に入っていけた。今この絵を見ているおかあさんにふれて、肌のぬくもりを感じ、生きていることを感じたのでしょう。祖父と母と姉と毎年6月23日に平和の礎に通っていたから「沖縄戦の図」に出会えたのでしょう。
 子どもの感覚には確かなものがあります。それをつなぎ続けてもらいたいものです。それを支えるものが社会における平和教育でしょう。また佐喜眞美術館のような社会教育施設の存在です。人の、自分の命を想像する力が身近な人たちとのふれあいの中で培われていく。
 これは絵に描いたような話ですが、事実。なお、今年8月13日の沖縄タイムスに「戦後77年 佐喜眞美術館館長 佐喜眞さん平和へ思い」がでています。

(3)そして昨年の沖縄全戦没者追悼式典で「みるく世(ゆ)の謳(うた)」を読んだUさん(14歳)は、SNSで賛意と誹謗中傷を受けた。今年の宮古島市全戦没者追悼式で「Unarmed」(武器を置く)を朗読した。これで広島県で開催された第1回ひろしま国際平和文化祭で「初代ひろしまアワード」を受賞した(音楽部門国内の部)。
 2022年8月9日の琉球新報が報じている。壮絶な詩だ。「偽善者だ/おまえが戦争に行けばいい/おまえが死んでしまえばいい/おまえが/おまえが」で始まる。こうSNSを通じて言われて悔しがった。「本土復帰50年/インタビューのおばあが言った/どちらも武器を置きなさい/」「『命どぅ宝』と言い切れる勇気を/わたしたちの強さと呼びたい(後略)」。誹謗中傷を乗り越えて「武器を置こう」と呼びかけている。彼女は踏ん張った、負けてはいないのだ。自身に実直だから。
 ただ私たちは、平和に生きようと思えば、「死ね」と揶揄される時代に入っていることを忘れるわけにいかない。自決・特攻をお国のためにと言われていた77年前に近づいていることを忘れてはなるまい。生きることを封じ込める社会を許してなるものか。だからこそ私たちは、戦争の記憶を、「命どぅ宝」をつないでいこう。

 



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