ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】軍の論理と命の論理ーミサイル防衛の愚(20221205)

2022年12月05日 | 忘れてはいけないこと

 おはようございます。今日の名護西海岸は曇。晴れ間も一部あり。

 昨日、3日に濡れた衣類が乾き、ほっとしました。もう寒くなってきたので、さすがに半袖一枚でいるのは、風邪引きそう。一昨日は寒さと自分のバカさ(雨具を持って出なかった)で、寝付けなかった。今日はその反動か、寝過ぎました。

 私は沖縄タイムスを取っているのですが、これをどのタイミングで取りに行くべきか悩ましい。下手をすると夕方に見ることもあり、出遅れることがあります。時々、新聞情報で今日、明日の予定を決めているからです。

 起きたら取ってざっとみるのが、常識だと思いますが、結構怖い。昨日は沖縄の陸自が増強のニュース(既報)。今朝は「南西諸島の迎撃部隊3倍」とか。驚かされます。PAC3MSEというPAC3の改良型を知念、勝連、白川(以上沖縄島)、宮古、石垣、与那国に配備するそうです。奄美大島もであり、既存の空自の4部隊と併せ3倍とか。要するに対艦ミサイルなどの攻撃兵器を守るためであって、私たちの暮らしを守るためではないのです。既存の部隊は嘉手納基地や普天間基地、自衛隊(那覇)基地を守るために配備されてきた。

 戦は攻守の配分、掛け合いで決まるものであり、「攻」を強化すれば、そこの「守」りを強化することになる。これは軍の論理として考えれば、当然でしょう。しかしそれは戦いだけの軍の論理。断じて人々を守る姿勢は、全くないのです。そもそも対空ミサイル等で守れるのは点に過ぎません。私たちの暮らしの場である面を守ることは不可能です。

 今重要なことは、私たちは面に生きていることを想起できるか否かです。生活圏は、住まいと学校や、職場かも知れないが、それだってどれだけ離れているのか。しかしそれだけで命をつないでいるわけではありません。生活に不可欠な水の供給は、人や物を運ぶ交通機関は、食料や衣類の供給は? 食糧自給率はとっくに50%をきっており、輸入頼み。もしも中国が日本に輸出しませんと言われたら、どうするの? 同盟国である米国やオーストラリアから牛は輸入できたとして、野菜類などどうなるか。工業だって、多くの部品が入らず立ちゆかなくなるだろう。

 これは少々調べて考えておかなくてはなりません。戦争前夜になったならば、「シーレーン防衛」とかいって、軍隊による護衛がなければ、商船だって動けなくなる。油だっては入らなくなるかもしれません。

 余談ながら私の父親は船の売買を昔やっていました。戦時中のことも話してくれました。こっちは餓鬼過ぎてわからなかったけれど。だから日本は負けるとわかっていたようです。

 私が暗い気持ちになるのは、自公政権が米国と軍事産業のいいなり、だからだけではありません。こうした単純なバカな政治家を選んできた有権者の浅はかさに、暗くなります。

 繰り返しになりますが、迎撃部隊がいい例ですが、それって点と点の戦いです。昔風に言えば、陣地をどちらが取るかという100%オンリーミリタリーな論理。私たちの命の営みへの配慮はゼロ%。私たちが生き残るためになど全く考えていないのが戦争・軍隊の常識です。

 対空ミサイルを3倍増にして、原発も増加するという破廉恥(ハレンチ)な発想です。対空ミサイルが迎撃できるのは、点としてのミサイルです。撃ち漏らしたミサイルが原発を破壊したら、面的に汚染される。そこから逃げるにしても、戦時となればこの国は、ますます正しい情報を公表しないでしょう。私たちは戦禍からも放射能からも逃げられない。

 こうした立体的な発想を私たちがもたないと、私たち自身が自滅への道を走り出す。勝負はここにあると私は考えています。点の論理は、比較しやすいが、私たちの命の営みを全く支えるものではありません。

 思えば、昔の天皇の軍隊の死者の過半数は戦死ではありません。餓死です。飢え死に。食料は現地調達しろという無責任がなしたことですが、だからこそ敵の村を焼き払い、食料を強奪した。これが軍人の意識の中では、「当たり前」になっていた。そりゃ、現地住民からしたら日本軍は「悪魔」ですよ。理性を100%喪失した人間は「悪魔」となり果てます。悪事については何でもできるようになってしまう。

 私が尽力したいのは生きる為の文化。死ぬため、殺すためを回避し、如何に共に生きていくのか。点対点の単純な思考を如何に回避できるのかを、日常不断に練っておかなければなりません。

 外交力は重要な要素ですが、その裏打ちとして、生きる為の文化(発想)を創っていかなければ、なりません。命の営みの深さと広さに思いをいたしていきたいものです。

 新聞を読むのもその一歩。ブログを書くのもその一歩、撮影に出かけるのもその一歩です。ひとりひとりができるその一歩を身につけ実践していきましょう。

余談:昨夕の残照、なかなかよかったです(既報)。最後に「友を思う」と書きましたが、地球を思う気持ちも育みたいです。

 



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