武弘・Takehiroの部屋

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『思想家』とは何か?

2024年07月14日 04時34分26秒 | 思想・哲学・宗教

<2002年3月23日に書いた以下の文を復刻します。>

1) 思想家とは、単純に言って、“自分の思い”を持っている人である。 ということは、ほとんどの人が思想家ということになる。しかし、ほとんどの人が、自分自身を思想家とは思っていない。

 それならば、何をもって「思想家」と言うのだろうか。 この定義は難しい。 物事を徹底的に突き詰めて考える人、まったく独自の考えを持っている人、考えることが何よりも好きな人、自分の考えをいつも表明したい人、考えを表明することで生計を立てている人など、いろいろな定義があると思う。

 私なりに考えると、思想家とは、完全に自由な立場で、物を考える人のことを指すのだと思う。 完全に自由な立場とは、あらゆる既成の概念や価値観などに、拘束されないということだろう。 我々の思考というものは、通常なんらかの形で、既成の概念や価値観に捕われているものだ。 思想家というのは、それらの拘束から逸脱し、つまり完全に自由になって、物を考える人のことを言うのだと思う。

2) ほとんどの人が“自分の思い”を持っているのだが、思想家の“思い”というのは、とりわけ強いか、深いのではないか。それだけ、思いが執念深いのだろう。 普通は、自分の思いを表明したら、それで済んでしまう。それ以上は、しつこく追い撃ちをかけるように、何度も表明したりはしない。

 しかし、思想家の場合は、その思いを何十回も何百回も練り直し、いつの日かそれを表明し直そうとする。 思想家が自分の思いを表わす時、この世の中の全てのものは、単なる素材になってしまうのではないか。 つまり、料理人が料理をつくる時の、食材と同じようなものと化してしまうのではないか。

 料理人は、ある料理をつくろうと思う時、それに見合ったいろいろな食材を集めてきて、あとは香辛料などを調合して、煮たり焼いたり蒸したりする。 思想家も、自分の思い(イデア)を現実化するために、世の中の諸々の事象をかき集めてきて、それらを素材として調理するのだ。 出来上がった料理が美味しいかまずいかは、食べる方の勝手である。

3) 優秀な料理人は、できるだけ美味しい料理をつくろうとする。 さらに、自分が思い描く“味”を出そうと、いろいろな工夫をする。 その場合の“味”とは、思想家の“思い”と同じである。そこには、なにか執念が感じられる。 ただし、どんなに旨い味を出そうと思っても、大本は食材や香辛料などによって、制約されている面がある。 あとは、料理人の腕次第ということになる。

 料理人が思い描く“味”は、彼にとって一種の夢である。同じように、思想家の“思い”も、一種の夢かもしれない。 その場合、しかるべき素材が見つからないと、彼の場合は、単なる空理空論、夢想に終わってしまうだろう。 

 ただし、食材に制約されて料理をつくるように、思想家は、できるだけ現実の事象をもとに、思想を発展させていこうとするだろう。 それがうまく行くと、他人から見れば、おやっと思うような“発想”が飛び出してくるのだ。(これが思想の“飛躍”であり、“ひらめき”と言われるものだ。)

 先にも述べたように、思想家は完全に自由な立場にいなければならない。 これは何物にも囚われないということだから、自由であると同時に、孤独でもある。カッコ良く言えば、孤高ということになる。 誰にも理解されなくても良い、ただ自分の思う所に従う、というような心境ではなかろうか。

 ただし、思想家であろうとなかろうと、我々を含めてほとんどの人は、最初はどうしても既成の価値観、既成の信条といったものから、スタートせざるをえない。 宗教や哲学、慣習など、我々の周りには諸々の価値観が存在しているからだ。 しかし、思想家というのは、思いが強くて深いから、どうしても既成のものに飽き足らなくなり、そこから逸脱していくことになるのだ。

4) 最近、インターネットのある所で、良寛という僧侶の話に出くわした。「子どもらと 手まりつきつつ」の、あの良寛である。 良寛には、嫌いなものが三つあったという。「詩人の詩、書家の書、料理人の料理」だという。 これには、いろいろ意味があるようだが、要するに、専門家の完成されたものが、嫌いだということらしい。

 私はよく知らないが、良寛といえば、その書は天下一品のものだったらしい。 当時一流のある書家が、越後に良寛を訪れて、半日書を教わったそうだ。 その書家は、「良寛老師の書は神品である。自分の書が一変した」と語ったという。(「日本の名僧100人」宮坂宥勝氏監修 中嶋繁雄氏著 河出書房新社発行)

 それほどの良寛が、書家の書を嫌ったのは面白い。 つまり、彼は天衣無縫で、何物にも捕われることが嫌いだったようだ。 だから、専門家の完成された書を嫌ったらしい。 それは、彼の生き方にも現われていて、日本の西半分を放浪したようだ。他人からは、浮き世離れした、得体の知れない坊主と見られていただろう。

5) 良寛は1758年、越後・出雲崎で名主(みょうしゅ)の長男として生まれたが、18歳の時に突如出家したという。 名主の見習いをしたが、まったく上手くいかなかったらしい。結局、日々の煩わしい仕事に耐えかねて出家したようだから、人生の落伍者と言っていい。

 しかし、その人となりは自由かっ達で、何物にも捕われない孤高の人だったようだ。 良寛が、仏教界でどれほどの存在かは知らないが、こういう人が、真の思想家に向いていると思う。 先程の「日本の名僧100人」によれば、元々、曹洞宗の僧侶であった良寛は、やがて浄土教にも深い理解を示し、晩年には、宗派にこだわらない境地に達していたという。 そういう意味で、彼は“自由人”であったと言える。

 仮に、良寛のような人が今いたとすれば、おそらく仏教の枠を越えて、思想を広げていったであろう。 西行法師もそうなったかもしれない。 こういう人達は、既成の価値観の枠には、はまらないのだ。逸脱し、変転し、思想は空の彼方へ飛んでいくだろう。 思想家とは、大空を悠々と飛ぶワシやタカのような存在である。(2002年3月23日)


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2 コメント

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Unknown (おキヨ)
2020-02-05 12:32:45
スケッチ旅行で出雲埼へいき良寛さんの銅像のある場所で仲間と一夜を明かしたことがあります。良寛さんがいっしょで安心でした^^
良寛という子供好きのお坊さんとしか認識がなかったのですが、おかげさまで良寛さんは生れもっての思想家だったとわかりました。
何年に1度はこのような人物が世に現れるのですね。。。。
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良寛さん (矢嶋武弘)
2020-02-05 16:28:24
私は仏教も書も良寛さんもよく知りませんが、一言で言えば、彼は天衣無縫の人だったのでしょう。天から舞い降りた人だったのでは・・・
いろいろな逸話が残っていますが、例えば、どうしようもない放蕩無頼の不良青年が、良寛さんと数日一緒に寝泊まりしただけで、良寛さんは一言も意見がましいことを言わなかったのに、彼はすっかり改心したというのです。
良寛さんの「愛の心」が自然に彼に伝わったのでしょうね。
こういう人は稀(まれ)です。われわれ普通の人間が、真似しようと思っても出来ることではありません。そういう意味で、天から舞い降りた人と言っても過言ではないと思います。キリスト教的に言えば、愛の“救世主”ということでしょうか。
すっかり良寛さんの人柄の話になってしまいましたが、彼のような人は、思想界でもきっと“無限”だと思います。
天衣無縫な彼は、思想の世界でも天に羽ばたいていったでしょう。
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