武弘・Takehiroの部屋

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<復刻> 現代の英雄か・・・小出裕章さん

2024年05月24日 02時45分10秒 | 経済・エネルギー・原発

<以下の記事は2011年6月30日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>

3月11日の東日本大震災、そして福島原発事故と恐るべき災害が日本に起きたが、今月上旬、旅行で国交のない北朝鮮を訪れた際も色々な人から質問を受けた。この2つの出来事は、正に世界的なニュースになっているのである。
さて、原発事故から数日後のことだったろうか、私がある方のブログにお邪魔したら小出裕章(こいでひろあき)さんという人の記事が載っていた。もちろん初めて知る名であり、小出さんが原子力学者だということが分かった。
私は文系なので、原子力のことはほとんど勉強したことがない。これまで時々、原子力発電所が事故を起こしたりすると、にわか勉強で原発のことを知るだけだった。原発にはまず“無関心”であり、事故が起きてもいつの間にか忘れる感じだった。
ところが、今回の「福島原発事故」は全く違う。余りにも衝撃的な事故だから、忘れようにも忘れられないものとなった。そういう人も大勢いると思う。
もちろん、テレビや新聞が毎日事故のニュースを伝えるので、嫌でも原発のことを知る羽目になったのだ。そうした中で小出裕章さんの名を知ることになったが、インターネットにはほぼ連日、彼のコメントや音声、映像などが載るようになった。
今さら私がくどくどと説明する必要はないが、小出さんは京都大学原子炉実験所の「助教」という肩書である。助教とは以前の「助手」のことである。60歳を超える年齢なのに、彼はなぜ「助教」のままなのか? 始めはそうした疑問が湧いた。
 
すでにご存知の方が多いと思うが、小出さんは原子力学者なのに、原子力に反対する立場を40年以上も貫いてきた。「原子力の平和利用」が叫ばれる中、彼は断固としてそれに反対し、原発の危険性を訴えてきたのだ。
私は最初、可哀そうにこの人は“道”を誤ったのだと考えた。それはそうだろう。自分の専門の道を自ら否定するような生き方をしているのだ。こんな人は滅多にいない。自分の進む道が嫌なら、さっさと他の仕事に乗り換えれば良いではないか。それが普通である。 こういう人はだいたい、人生の“落伍者”と烙印を押されるのだ。自分の仕事をいやいやするような人は、栄達するわけがない。だから「助教」のままなのかと思ったのだ。
ところが、京大の原子炉実験所は「熊取六人衆」と呼ばれ、終始一貫、原子力の危険性を追究してきたことを知った。他の学者が原子力の平和利用や有効性を主張してきたのに対し、全く逆のことを訴えてきたのだ。これは国策と完全に反する。
それを知った時、私は驚いた。何という人達が日本にいるのだろうかと。自分の立身出世などは全く意に介さず、国策と全く逆の立場からひたすら研究してきたのだ。だから、小出さんらは「助教」であることを何ら恥とせず、むしろ“誇り”としていたのだろう。
 
原子力に素人の私でも、福島原発事故の状況はずっとフォローしてきた。詳しいことをここで述べる時間はないが、小出さんが指摘したことはほとんど当たっていた。もし間違いがあったとしても、それは東京電力や政府が正確なデータを公表しなかったからだ。また、東電は時々間違ったデータを公表していた。
小出さんの説明は的確で説得力があった。私は目が覚めるような思いをした。読者諸兄も同じような経験をしたのではなかろうか。以来、私はいつの間にか“小出信者”になってしまった(笑)。 “教祖”の声が聞こえると心も安らぐ。
2~3日ぐらい小出さんの解説を聞かないと、もどかしくなってくるのだ。原発はどうなっているのかと思うと、必ず小出さんの声を探す。同じように思っている人も多いと見えて、ネットには必ず小出さんの解説が出てくるのだ。
こういう人は珍しい。滅多にいない。人柄も朴訥で実に清々しい感じだ。最近出版された『原発のウソ』という本が非常に売れているそうだが、もちろんこれは原発事故の影響だから、小出さんは「少しも嬉しくない」と語っていた。また、小出さんは真夏でも研究室の冷房を使わない。 「原発が無くても電力は余っている」と言っているくせに、彼は“節電”を心がけているのだ。
 
なんだか、小出さん礼讃の記事になってしまったが、こういう人が日本にいるとは思わなかった。原発事故はもちろん良くないが、そのお陰でこういう方を知ったということは“救い”である。どこにも救いがあるものだ。
個人的なことだが、小出さんが“シニア決死隊”などと呼ばれる「福島原発行動隊」に登録したと聞いて、文系の私はすぐにその賛同・応援者になった。カンパもした。全て小出さんの影響である。
こうして書いていると、ただただ礼讃、絶讃の記事になってしまうが、事実だから仕方がない。小出さんは今や「反原発」の神様、教祖みたいなものだが、そう呼ぶとどうも“非科学的”になるので、ここでは“現代の英雄”としておこう。
フランスの文豪ロマン・ロランは言った。「英雄とは、何か偉大なことを成し遂げた人、行動や思想で勝った人を言うのではない。私が英雄と呼ぶのは、心によって“偉大”な人を言うのだ」 (2011年6月30日)

<参考> 小出裕章非公式まとめ・・・http://hiroakikoide.wordpress.com/


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