武弘・Takehiroの部屋

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長嶋亜希子さんとの電話

2024年06月20日 04時35分45秒 | 文学・小説・戯曲・エッセイなど

<この記事は長嶋亜希子さんが急逝された翌日、2007年9月19日に書いたものですが、ここに復刻します>

 長嶋亜希子(あきこ)さんが昨日、心不全で急逝した。まだ64歳の若さである。亜希子さんは、プロ野球の読売巨人軍終身名誉監督である長嶋茂雄氏の奥さんとして有名だが、彼女が1965年(42年前)に、当時巨人軍の“スーパースター”であった長嶋選手と結婚した時は、日本中の話題をさらった。
 それは報道が伝えているように、前年の東京オリンピックが機縁となったもので、その時、報知新聞の五輪特別リポーターを務めていた長嶋氏が、コンパニオンをしていた美しくも賢い亜希子さんに“一目惚れ”をして、結婚に至ったのである。これは「東京オリンピック」に花を添えるような慶事だった。
 ところで、日本一の若夫婦の誕生から2年半ほどたった頃だろうか、私は亜希子さんと一度だけ電話で親しく話したことがある。 そうは言っても、これはとても“無粋”な話しで、長嶋家に泥棒が入って金品を盗んだ事件の取材のためであった。

 当時、若かった私はテレビ局(フジテレビ)の報道記者として警視庁の記者クラブに詰めていたが、ある晩のこと、宿直勤務でクラブでごろごろしていると、警視庁広報課の人が「広報で~す」と言って部屋に入ってきた。「巨人軍の長嶋選手の家に泥棒が入りました」と言う。
 これはニュースだ! 広報係の話しを一通り聞いた後、すぐに所轄の警察署に電話を入れて取材したが、大まかな被害状況が分かっただけで、詳しいことは分からない。これでは完璧な原稿は書けないから、長嶋家に電話をして詳細な事実を聞くしかない。
 そこで、長嶋家の電話番号を調べて電話をかけた。お手伝いさんでも出てくるのだろうかと思っていたら、受話器の向こうから突然、明るい若々しい声が聞こえた。「奥さんですか」と聞くと「そうです」と答える。私は少しドギマギした。あの亜希子夫人が出てきたのである。

 それから何を詳しく聞いたかは、40年前のことだから覚えていないし、被害金品がどうだったかもまったく忘れてしまった。 ただ印象に残っているのは、亜希子さんの声が非常に晴れやかで、答え方が実にハキハキとして丁寧であったことである。盗難事件に遭った家の奥さんという感じはまったくしなかった。
 取材をしていて、これほど晴れやかな声を聞いたことはなかったし、またこれほど感じの良い受け答えを経験したことはなかった。まるで、ソプラノ歌手が明るい曲を歌っているようだった。 その後も長い記者生活を続けたので、私は何百回も数え切れないほど電話取材をしたことがある。しかし、あの時の長嶋夫人・亜希子さんほどの気持ちの良い応対を受けたことは、ほとんどなかったように思う。 
 私の電話取材で、長嶋選手はその夜帰宅することが分かった。たぶん、ビジターの試合が東京以外であったのだろう。取材を終えると、私は局に電話をして長嶋さんが帰宅する模様をカメラに収めるよう手配した。 克明な取材で、私はほぼ完璧なニュース原稿を書き上げたと思う。夜の遅いニュースに長嶋選手が帰宅する映像が間に合い、それを見て私は満足した。

 私は40年前の思い出を語ったが、亜希子夫人の素晴らしい応対を今でも忘れることができない。話しの中身は全て忘れてしまったが、あんな感じの良い電話取材なら、毎日でもしたいくらいに思う。 なんの屈託もない晴れやかな受け答えだったので、私は気持ち良くなって必要以上に電話をしていたかもしれない。
 長嶋さんは、本当に素晴らしい奥さんを持ったと思う。長嶋亜希子さんの急逝に接し、心よりご冥福を祈るものである。 (2007年9月19日)


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